『週刊大衆』連載中 平成16年11月8日から40回の連載記事から 宇宙に訊け(そらにきけ) 其の五
★ 来世の宣伝マンが薔薇色の「死後」を説く (掲載する人物には敬称を略します) 昔、『御用金』(1969年)という映画で萬屋錦之介と仲代達矢と共演したときのことだよ。ある晩、3人で風呂に入り、日本で一番いい役者は誰かという話になったんだ。 私は、こういってやったよ。 「決まっているじゃないか、オレだよ。君たちはオレに次いで2番目、3番目くらいにはなれるな」 2人は笑ってたが、私は本気だったよ。(笑) いまでも役者としては自分が�癸韻世隼廚辰討い襦�というのも、人と自分を比べる発想が私にはないんだ。 だから、日本の高名な俳優であろうが、外国人の人気俳優であろうが、憧れや尊敬の対象として見るということがない。そもそも外国の役者なんて、よく知らないし、共演したこともない役者の名前をいちいち憶えているほど、私はヒマじゃないんだ。尊敬したくても、尊敬のしようがな〜い。 ただし、本当のことをいうと、ひとりだけ尊敬している役者がいる。森繁久彌だ。あの、軽妙にして、しかも深みのある芝居というのは余人にはマネのできないものだよ。 私とは役者としてのタイプが違うが、似ているところもある。それは2人ともエッチだということだよ。 たとえば、彼は公演中に女性が差し入れを持ってくると、サッとお尻を撫でる。女性が振り向くと知らんぷり。女性も怒らないんだ。おそらく、尻を撫でるのにも心がこもっているんだろう。だから相手の女性も不思議と嫌がらないんだよ。 森繁さんは私より9つ年上だ。この世界も長くなると、先輩と呼べるような俳優もすっかりいなくなったよ。確か森光子が私より2歳上だ。 そして、ひとつ年下なのが三國連太郎だ。彼は私が作ったプロダクションに一年だけ所属していたことがあったんだ。まあ、ひと言でいうと身勝手な役者だな。(笑) たとえば、殴るシーンになると、決まって本気で殴りやがる。それもリハーサルの時から本気なんだ。見ていた私が「少しは殴られるヤツのことを考えろ。リハーサルだぞ」と注意しても駄目。 「それじゃあ実感がない」というんだ。要するに、役者としては不器用なんだよ。 しかし、一面、気の弱いところもある。私との乱闘シーンで、殺陣師が来るのが遅れたことがあった。あいつは、とうとう殺陣師が来るまで撮影に入ろうとしなかったよ。殺陣師がいないと、私が何をするかわからないと思ったらしいんだ。 高倉健とはまったく相性が悪いようだが、私は三國をけっこう気に入っている。不器用だが、芝居に対する熱心な姿勢、これは認める。 三國の息子もなかなかいいな。最近、頑張っているようじゃないか。 数多い二世俳優の中で、私が一番買っているのが中井貴一だ。役者としての筋もいいし、何より礼儀正しい。まだまだ伸びるよ。 ★ 佐田啓二の交通事故も霊界の予定通りだった 彼の父である佐田啓二とは、一度だけ共演した。 私が清川八郎役で主演した『暗殺』(1964年)だ。佐田啓二はこの映画に、坂本龍馬の役で数シーンだけ出ていたんだ。撮影の合間に、佐田啓二が「僕は家族のことを考え、生命保険に入っています。丹波さんは、ちゃんと入ってますか」と話しかけてきたことがあった。 彼が交通事故で死んだのは、それから数ヶ月後のことだったよ。 さらに、それから30年近い歳月が経ち、私はあるヤクザ映画で、佐田の息子の中井貴一と共演した。今度は中井貴一が私に相談してきたんだ。 「まだ僕が母のお腹にいたとき、ある人から『お腹の子を産むと、父親は交通事故で死ぬ』といわれたんだそうです。母は心配し、実家にも相談したそうですが、結局、僕を産みました。しかし、父は僕が2歳半のときに亡くなりました。それも交通事故で。やはり、父の死は僕が生まれてきたからからでしょうか。僕が父を、この世から追い出したのでしょうか」 もちろん、私は彼の推測をきっぱり否定したよ。そもそもだ、人間はこの世に生を受ける前から、いつ、どこで、どんなかたちで死ぬかっていうことは決まっている。霊界で、ちゃ〜んと定められているんだよ。 霊界から、この世にやってくるのは、ここで修行をし、霊人としての魂を磨くためなんだ。おそらく佐田啓二は、この世に出てくる際、霊界で、こんなやりとりをしたはずだ。 「俳優となって、大いに人間界を楽しませてきなさい。最後は交通事故であっさり死んで、こっちの世界に戻ってきますから」 「わかりました。行ってきます」 つまり佐田啓二にとっては俳優として成功することも、交通事故で死ぬことも決まっていたんだよ。生命保険を気にしたのは、このときのやりとりが潜在意識のどこかに残っていたんだろう。彼は30代になると、職業運転手を雇って、年中、口をすっぱくして「安全運転」「安全運転」といっていたというじゃないか。 しかし、そこまでしたにもかかわらず、霊界の予定通り交通事故で逝った。現場検証をした警察官によれば、交通事故など起こりようのない場所だったらしい。かれの最後の言葉は英語で「Anyhow !」だった。通常は「とにかく」と訳すが、文章の最後につくと「やっぱり」となるんだ。 中井貴一もこうした私の説明に納得してくれたよ。 もうひとつ、この話には後日談があるんだ。私は、あるとき佐田啓二の事故があった韮崎市で、数百人の医者を前に講演したんだ。当然、彼の話もしたよ。講演が終わると、ひとりの医者が私の楽屋を訪ねてきた。 「私は、佐田啓二さんの脳の手術をした者です。当時の手術は成功とはいえず、ずっと、それで悩んできました。でも、丹波さんのお話を聞き、やっと自分を納得させることができました。ありがとうございました」 どうだ、諸君。こういうものなんだよ、人間の死というのは。必要以上に悲しむことはないし、まして、自分のせいになんか、しなくていいんだ。 《次回につづく》 |
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