丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第29回〜 
《2003年 新年号 掲載》



             新年明けましておめでとうございます。


              恐怖からの解脱 〈3〉

    
  ☆心霊現象の数々

 さまざまな心霊現象を分析すると、これまでの自然科学や心理学では解釈のつかないことが、事実として存在する。そこで「霊魂」という存在を仮定して解釈すると、すっきりと説明がつく。
 心霊科学は、まだ社会的に公認された学問ではないかもしれないが、もっと堂々と、人間の生命についての仮説体系をつくりあげ、憑依現象を含む心霊の因果関係を理論づけ、科学的に検証するようにしてもらいたい。それには人びとが、もっと、おおらかに「霊」について語ることが大切だと思う。
 世に霊現象と言われていることは多い。たとえば幽霊、千里眼、霊言、心霊写真、念写、ポルターガイスト(騒霊)、心霊治療……工トセトラ。幽体離脱や近似死体験なども付け加えることができるだろう。


  ☆自動書記

 自動書記(オートマチック・ライティング)という現象で有名な例としては、アメリカのバーモント州ブラットロボに住む工員T・P・ジェームズが突然、自動書記をはじめ、その霊界からの通信文の最後には「ディケンズ」というイギリスの有名作家の署名があったというケースがある。この通信は6ヵ月以上つづいたが、それはディケンズが生前に書き続けていて、死によって中断した『エドウィン・ドルードの神秘』という小説の残り部分だったのだ。自動書記に現われた文章は、考え方や文体はおろか、筆跡までがディケンズそのものだった。こうして完成した小説は、これもディケンズの指示で1847年に出版され、この作品は前篇がディケンズの作品として評論家に認められている。
 すでに死んだ作家が、新しい作品を送ってくる。すなわち、霊界が存在し、そこで霊魂が生き続けているという証明でもある。
 その他、イギリスの音楽霊媒ローズマリー・ブラウンの例も有名だ。彼女は1976年に、ベートーヴェンの霊に憑かれ、「第十交響曲」を完成した。周知のように、ベートーヴェンが生前に作曲を完成したのは「第九交響曲、合唱つき」までである。この自動書記による作曲は、オランダでドキュメンタリー映画を撮影しながら同時進行し、イギリスやオランダの有名な音楽家たちが鑑定している。まもなく「ローズマリー基金」がつくられ、彼女は四百曲以上もの譜面を完成させたのである。
 ちなみに、べートーヴエンは、ある伯爵夫人への手紙に「不滅の霊魂を有する、死すべき生者たるわれわれ人間は、ひたすら悩みと歓喜のために生まれてきたのです」と書いている。


  ☆幽霊

 よく幽霊を見たという話を聞くが、これは「霊視」である。たとえば、太平洋戦争で激戦地だった硫黄島の幽霊などは、そうした例であろう。アメリカ兵たちが出合い、異様な悪臭に包まれたという証言が伝わっている。どこに出るかというと、飛行場などで、すっかり錆びついた旧日本軍の高射砲、その周りに四、五人の日本兵の幽霊が出るというのである。見た軍人・軍官は、合せて三万人もいた。
 もっとも、怪談話などに出てくる幽霊には、本人の心の苛責が生みだした妄想である場合が多いのだが、潜在意識が生みだした幻覚でも、眼の錯覚でもない本物の幽霊の例を、次に紹介しよう。  元素タリウムの発見者として知られるイギリスのノーベル賞化学者サー・ウィリアム・クルックスは、フローレンス・クックという女性の霊媒実験会を約半年にわたって催した。クックは15歳のころから霊能カを発揮し、トランス状態に入ると、ケーティ・キングと名乗る幽霊が必ず出現した。この実験会の出席者には「探偵シャーロック・ホームズ」で有名なアーサー・コナン・ドイルもいた。彼は、もともと医者だったので、霊媒クックや、幽霊ケーティ・キングの生理的状態を調べるには適任だったわけだ。
 なにしろ、このケーティ・キングという美貌の幽霊は、幻覚や錯覚とは違って、実際に手で触れられる肉体をもっていたのである。実験会の出席者たちと話をしたり、自由に歩きまわったりもした。
 この物質化した幽霊の写真は、いまでも残されている。クルックス博士は、霊魂が存在することを、堂々と「イギリス学術協会」で表明している。そして『イギリス科学年報』に、こう述べている。 「私が実際に目撃し立ち合った現象は、本来ありえないが、本物であることを認めざるをえない」と。  

 霊魂や趨常現象を否定する人は、幽霊に出会ったこともなけれぱ、火の玉を見たこともないの、ないない尽くしなのだろう。もっとも、そのような体験をしたにしても、なかなか信じられるものでもない。
 次の例は、私自身の体験である。1960年ごろのことだ。私は映画「007シリーズ」のロケのため、イギリスのロンドンに1年ほど滞在した。
 平成4年、ロンドンの夕刊紙で、故ダイアナ妃が亡父スペンサー公の「降神」を霊媒師に依額していたことが報じられたのは、記憶に新しい。
 ロンドンでは大人も子供も、幽霊の話をよくする。いい例が家賃である。日本では、幽霊の評判が出ると借り手がなくなるのが普通なのに、ロンドンでは幽霊屋敷や、幽霊が出るアバートのほうが家賃が高いのだ。また、ノックの音がしたり、天井のシャンデリアがくるくる回ったりと、超常現象が頻発するパブは連日、紹介者なしでは入れてくれないほどの超満員なのである。
 そんなとき、交霊会の噂を耳にした。運のいいことにアメリカ人のプロデューサー、ブロッコリー氏が出席のチャンスを与えてくれた。交霊会は、今でもイギリスでは盛んであり、一級の学者たちによる、真理の探究を目的とした、科学的な配慮が払われたものなのである。
 案内されたのは、ロンドンのどこの家庭にもあるような平凡な書斎である。部屋の中央には、楕円形のかなり大きな机があった。船を造る材料で造られているということで、一人や二人の力では、とても持ち上げられるような代物ではない。私も力を入れて押してみたのだが、一寸たりとも動かなかったほど重いものであった。
 出席は総勢9人(うち女性4人)、霊媒が一人というメンバーだった。このときの霊媒は、身分ある裁判長の夫人で、50歳前後に見えた。銭場などに置いてあるような、大きな秤の上に据えられた椅子に、手も足も縛りつけられている。
 いよいよ始まった。私たちは机の周囲の椅子に腰かけたまま、9人全員か両手をその机の上にかぎした。明るさは、腕時計の文字盤がやっと見える程度。
 30分ほど経過した。カタ、と机の片端が浮き、身体中の空気が一度に、フッと出たような音がした。それを合図にしたように、机がグググ……と急速に上がり出した。(これを、テーブル浮揚現象という)。
 全員が立ち上がった。その最中に、机の脚の一つが私の歯に当たって、前歯のところが欠けてしまった。机は天井まで届き、コンコン……とぶつかっている。メンバーは、みんな口をあんぐりとあけたまま、机を見ているのである。そのうち、音もなく机が下りてきた。と、いびきが聞こえてきた。霊媒のところからだ。裁判長の夫人が両手両足を縛られたまま、昏睡状態に陥っている。その夫人の鼻から、綿菓子を牛乳でまぶしたような、黄色がかった白色のものが、だらだら出ている。
 私は、ゾクゾクしてきた。目盛か動いている。150ポンド(約68キロ)近くあった体重が、あれよあれよというまに減り、51ポンド(約23キロ)のところで、ようやく針は止まった。
 床に流れ出たエクトプラズム(トランス状態になった霊媒の口や鼻などから発する物質。パリ大学生理学教授シャルル。リシューによる心霊学用語)は、私の目の前で、人の形をし、20歳代後半の 女性になった。そして、握手を求めてきた、温かく柔かかった。よく考えてみると彼女は、俗に言う幽霊なのだが、幽霊の手は冷たくはないのだ、という素朴な発見に私は感動した。
 その後、エクトプラズムによって顕在化していた幽霊は、アイスクリームの大きな塊に強烈なライトを当てたようにグズグズと崩れ、どんどん霊媒に戻っていった。今度は、おもしろいように体重が増えていく。目盛は最初の150ポンド弱のところで、ピタッと止まった。
 守護霊の実在を実感している私ですら、目の前で起こった超常現象を、にわかには信じられなかった。ましてや、霊界に関することに無関心な人たちには、なおさらのことだろう。


  ☆幽体離脱

 生きながら「霊魂が身体から脱け出る」という現象で、これを科学的に測定しようとする研究も行なわれている。もしそれが証明されたなら、霊体の存在を明らかにできることになる。
 チャールズ・タートが行なった幽体離脱の実験から、重要な点をピックアップしてみよう。
 まず、幽体離脱を自由にできる被験者を選び、実験室のベッドで眠らせる。もちろん、被験者の体には脳波、眼球運動、脈拍、血圧、皮膚電気低抗などの生理学的データがとれる電極その他の装置をつける。そして天井近くの高い棚には、アトランダムに選ぱれた五桁の数字カードを置いておく。
 ある女性の被験者の場合、天井近くまで上がって、棚の数字を憶えてきた。彼女が答えた数字は「25132」で、それは高い棚に置かれた数字とピッタリ一致した。そして、生理学的なデータを分析すると、眼球運動はレム睡眠状態ではなく、脳波も覚醒した精神平静時の波型(アルファ波)が大量に加わっていて、夢を見ている最中の状態ではなかったことが、証明されている。
 もちろん、幽体離脱の体験例は数多く報告されているが、すべてが真実であると鵜呑みにすることはできない。これから述べる例は、多くの専門家によって、その内容を子細に検討し、真実であろうと判断されたものだ。
 イギリス空軍の顧問医師であり、大英帝国の貴族(ナイト)になった人物が、第一次世界大戦のさなかに体験したことである。
 1913年、クレールマレに駐屯していた王立航空隊第二旅団の医務官であった彼は、緊急事故の報を受け、現場に駆けつけるため偵察機に搭乗した。離睦してまもなく、飛行機のエンジンの調子がおかしくなり、まもなく失速した機は、降下しはじめた。高度が60メートルに低下したとき、幽体離脱現象が起きた。
 飛行機は彼とパイロットを乗せたまま、大地に突っこんでいったが、その状況をもう一人の彼(霊魂)か上空から見つめる形になったのだ。機は、いったん地面に叩きつけられたが、抵速で機体も軽量であることが幸いして、ワンバウンドして裏返しに着地した。そのはずみで、バイロットと彼は機外に放り出される。彼のほうは気を失って横たわっていたが、パイロットは無傷で医務官のところに駆けよる。近くにいた部隊から救急車が飛び出したが、看護兵が医療道具を忘れたかして、救急率はUターンし、それから再び医務宮のほうへ猛スピードで向つてくる。
 彼の幽体は、この慌しい様子を中空から眺めていた。まもなく担架が持ち出され、4人の兵土が、救急車に彼を運ぶ。その後、彼の意識は途絶え、病院の一室で意識を取り戻し、付き添っていた医師や看護兵に、自分の体験を語りはじめたのだった。
 彼が幽体難脱したという事実を、周囲の者たちは納得せざるを得なかったという。そうでなければ説明で書ないことばかりであったのだ。そして、この幽体離脱そのものも、霊の存在、ひいては霊界の存在を前提としなければ、理解しがたいものといえよう。百歩譲ったとして、科学では説明のつかない幽体離脱などの現象か現実に存在するという事実は、否定すべくもないのである。  


  ☆真の霊能者

 霊能者というと、下北半島の恐山や、北津軽の川倉などの地蔵講での盲目の巫女「イタコ」を思い浮かべる方も多いだろう。これらの地方には、死者を呼び出し、その言葉を伝える「口寄せ」の風習がある。目の不自由な女性のなかでも、精神統一をするのが上手な人が、自分に霊を乗り移らせるのだか、それも最近では多分に観光化されてしまっているようだ。
 戦前の最大の霊能者ということになると、大本事件で有名な出口王仁三郎(1871〜1948。「大本」の聖師。彼の□述『霊界物語』は全81巻にも及ぶ)だろう。その逸諸をあげれぱ、きりがない。
 有名なものは「日本は外国軍に占領されて、東京は焼野原になる。さらに日本は敗けて、天皇は人間宣言をする」という予言だ。これは大正10年のごとで、たちまち官憲の弾圧(第一次大本教事件)を受けて、牢獄に入れられた。彼は第二次の弾圧の獄中で、太平洋戦争を迎えているが、広島の信者が面会にきたとき「即刻、広島から立ち退け。空から火が降ってくるんじゃ」と、原爆の投下まで予告している。どうして先のことがわかるのかと聞かれたとき、「活動写真のように、ただ見えるんじゃ」と答えたという。
 出口王仁三郎ほど有名ではないが、明治41年に亡くなった長南年恵も、稀代の超霊能者、というよりは霊人であった。地元の人びとから「極楽娘」と敬愛され、その神通カを無私の心で惜しみなく分け与えた、まさに天界からの使者であった。
「瞞(だま)し者」として留置されたときも、食べない、飲まない、排泄にも立たないで69日間を過ごしたことは、山形県の鶴岡警察が認めている。さらに、明治33年12月の神戸裁判所では、病気を治す「霊水」を空瓶に満たし、ついに無罪となっている。そして、審理にあたって裁判官の一人は、彼女に感服し、小冊子まで残している。

 一般に、心霊現象についての偏見は甚だしい。頭から無視・黙殺するか、オカルトブームや天中殺ブームのように、一時的な興味本位に踊らされて飛びついてみるだけのことである。
 心霊現象に対して、根強い不信感があるのは、偽物が多いことも、その理由の一つである。それは私も否定しない。人の弱みに付けこむ、いわゆる「インチキ霊能者」は、霊異の知識を広く伝えたいと願っている私のような者にとって、はなはだ迷惑な存在である。真の霊能者というのは、霊界の存荏、死後の存在を、広宣流布すべき人間である。一人でも多くの人に、生命の永遠を教え、「旅の恥は掻き捨て」的な人生を送っては危いということを知らしめるべき役目を担っているぱずなのだ。それで、金銭が儲かるというわけでもないのに……である。
「20世紀最大の霊能者」と呼ばれたエドガー・ケイシー(1877〜1945)の例も、まさにそうであった。彼は、いつも無報酬に近い状態で、周りか生活を維持するのに苦心を払ったほどだ。そして生涯を清貧の人として遇ごしている。
 しかし、どっぷりと唯物思想に漬かっていた西欧社会に、輪廻転生の思想を吹きこんだ人物こそ、ケイシーその人であった。
                                          (つづく)