丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第46回〜
《2004年8月号》




          あの世で幸せになる話〈5〉

                平成15年4月25日 『はかた南無の会』 講演会より


 
  ★ 霊界には時間がない


 その他、霊界の特徴として、「時間」というのがない。
霊界には過去、現在、未来が全部、現在なんです。それは皆さんよく知っていると思う。

 それから、霊魂はあっと言う間に、そこへ行こうとする。

 例えば僕の場合、キース・ピーコックという人物とクアラルンプールで友達になって、ロンドンに帰ってきて一年もいっしょに働いていた。たった一年というけれども、僕にとっては異国、知らない国での一年間というのは非常に密接な関係にしてしまう。でも、不幸にもキースは、仕事中事故死してしまった。彼はスタントマンだったのだ。

 そうすると、ある日のこと、霊魂を見える者が、日本の僕の家にやって来て、母親のために作った日本間に「西洋の方がいますよ」と言うのです。
「どこに?」。
「あなたの傍に」。
「何がどこにいるのよ?」と言うと、
「後頭部から血が流れていて、それが肩にかかって、前にも後にも流れている」。

 よくよく話を聞いてみて、これはキースだなと思った。
 ロンドンから日本に帰ってくるついでに、パリに寄ろうかというので、パリに行く準備をしていた。僕のほうが年中、金を出しているから、彼は引け目を感じていたらしくて、ちょうど仕事が入ったから、その仕事をやってから行くということで、夜に出かけていった。そうしたら明け方、死骸となって帰ってきた。

 特徴を詳しく聞いてみると、顔から何からキース・ピーコックだった。
 霊魂というのは、距離を省略してしまう。行きたいという願望の早さ、強さであっという間に行ってしまう。瞬間移動する。非常に便利なところが、霊界といえる。

 年齢は刻々、若返ってしまう。美術家の横尾忠則の母親は65、6歳で死んでいるが、でも横尾忠則のところに出てくる姿は決まって年中30代だそうです。

 横尾忠則が、むかし描いた絵をどこにしまったのか探していると、お母さんが「霊界に飾ってあるわよ」と言う。「こっちに返してよ」と言うと、「いいわよ」と言って霊界から送り返されてきている。

 これは、ちょっといまだに僕は、クエションマークなんだ。絵の「念」が送り返されるのなら分かるけど、絵そのものが霊界から人間界へ空中輸送されることは難しいと思う。どうだろう、有り得るだろうか。

(質問)有り得ます。

(丹波)有り得る、本当? それ教えてよ、逆に。何で?

(質問)すべて霊は、バイブレーションでしょう。
     自由自在に消すこともできるし、物質化することもできる。

(丹波)そうだな、多分。おそらくそうだろうな。
     それは20年位前に研究した中に入っていた。
     バイブレーション、要するに物質化。




   ★ それ自体光っている

 その他、霊界で、行ってよかったと思うのは、あらゆるものがそれ自体光っている。森があるとすれば森全体が光っている。人間界では、その森は太陽の光線を浴びて反射的に光つているんだが、霊界の事物は全然違う。
 森なら森、草なら草、花なら花はそれ自体が光っているから、満艦飾を通り越して、それのきれいさというのは、もう説明できない。

 エッ?、僕は残念ながらまだ行っていない。行ってないけど、言えることだ。全部受け売りだったら言えないけれど、45年間も受け売りの箇所を何千ページと読んでいれば、自分の実体験みたいに錯覚する。

 だから、僕が見る霊界は、あるいは夢として存在したのかもしれないけれども、その綺麗さはとてつもないものだから、これは生きて、息を吹き返しては駄目だな。死んでしまったほうが綺麗だなと思った。

 だから、霊界を勉強した皆さんは、死というものに対しては、感じ取って知っているだろうけれども、「早く死にたい」とは思わないよね。
 でも、死というものに対する恐怖心というものはだいぶ違うね。ほとんどないね。もっと極端に言えば、ちょっと待ち遠しい感じかな。どう?

(質問)執着心がまだ少しあります。

(丹波)
 人間界に執着心がちょっとある、それは、ぜいたくというもんだよ。
  どっちかにしてよ。
 子どもで、早めに向こうに行く者に対する解釈というのは、例えば北海道のトンネル事故がありましたね。小学校の上級生から中学校の3年生までの何人かが死んでいる。もうあと何秒か早く穴から出れば助かった。もうあと何秒か遅く入口につけば、穴に入らずにすんだ。
 これは無理だ。絶対に入る。残念だけれど、両親その他の方々には慰める言葉はない。

                                       《次回につづく》