丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第43回〜
《2004年4月号》




          あの世で幸せになる話〈2〉

                平成15年4月25日 『はかた南無の会』 講演会より


 
  ★ ロンドンでの霊体験


 さて、僕が霊界研究をして45年、皆さんにお話する前に必ず私が言うのは、「全部、受け売り」です。受け売りでないものは一つもない。自分で経験したのはショーン・コネリーとの出会いの縁と、ロンドンのドーチェスター・ホテルで、向こう(霊界)の者3人に出会いました。

 僕が言っていることには、ひとつの誇張もないし、そのまま申し上げます。というのは、こういう話は、月が経ち、日がふるにしたがって、大げさに皆さんに伝えるものなんですが、僕の話はそのままですよ。

 僕がベッドに寝たのが12時頃だということは、はっきりしていますが、夜中の1時2時か分からない。左の肩を平手で押されて、目を覚ましました。

 回りに直径5センチくらいの真っ黒な柱が4本あります。4本の柱にきれの屋根がかかっているのはどの部屋も同じみたいです、ドーチェスターは今もそうらしいですから。

 目を覚ましました。横には誰もいない。ふと見ると、足の片方に黒い柱をもって、1人の大きな西洋人が立っている。それが女性の肩を抱いている。女性は明らかに中国人、一目で分かる。年齢が12、3から15歳位まで、トラディショナルな中国服を着ている。そして、もう片方には、彼女とそっくりの双子の女性がいる。

 僕は寝ているんです。僕が目を見開いて思ったことは、絶対にまばたきをすまいということです。まばたきをして、再び目を開いて、いなかったら、これは夢か幻か錯覚だ。何べんも何べんも心に言い聞かせた。まばたきだけはすまい。ここでまばたきをしたら後で後悔するぞ。

 どういう後悔をするのか。僕は今霊界研究をしている。幸いにして向こうの者と出会っている。目をつぶってまばたくような馬鹿なことをしたら、この千載一遇の機会を逃してしまう。

 誰がそういうことを仕掛けてくれたのか知らないけれど、僕の霊界研究があまりにも熱心なのに感心して、向こうの素晴らしい軍団が協力して、「見てみろ」と出てきた。

 それはカラフル透けてもいない

 そうこうする間にフェード・アウトした。彼らは逃げたんじゃないよ、消えたんだ。そして、僕は今度はベッドに座ったんだ。しばし考え込んだよ。どうしようか。それでもまばたきだけはすまい。

 僕は立ち上がった。その時、部屋はこれだけ暗いのに、何で着物の柄まで見えたのかということは考えない。後でどう考えても、あの時に暗いから電気をつけようとしたに相違ない。しかし暗いのに、何であれだけはっきり見えたのか。そこだけはいまだに疑問である。

 それから横座りしてしばらくいたけれど、立ち上がって夢遊病者のように2部屋続きの隣の部屋に行った。

 ドーチェスターゴージャスな風格を漂わすホテルで、歩くとキューキューと鳴って京都のウグイス張りみたい。イルミネーションだけは、実に古典的な、いいものがついている。その光を導入すべく、廊下のドアを開け、隣の書斎を通り越して、寝室のドアは開きっ放しなんだから、そこへいって、うーんとうなった。

 その間、怖いもへったくれもない。これはすごい宝物と僕は考えた。いまだにその記憶を大事にしている。

 僕が今、話をしているのは、受け売りじゃない。体験です。霊界研究者にいちばん大事なのは、おのれの体験、あるいは信用できる者の体験。人がその体験を「向こうの者に会ったよ」と言ったときに、普通は「嘘つけ」となる。

 しかし、これをきっちりとこっちが受け止める。あなたが逐一説明することは、僕が前に経験していれば、いちいち相槌を打つくらいのものなんだ。そうすると霊界研究というのはどんどん上へ行く。霊界研究が実証されればされるほど、これは宝物がどんどん増えていく感じです。
                                       《次回につづく》