丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

           〜第1回〜  私が霊界研究をはじめたきっかけ

                     《2000年9月掲載》


●宗教とは全く縁のない私


 1973年に、私は映画「人間革命』で創価学会の二代目会長 戸田城聖の役を演じることになった。
 ところが私は、およそ宗教については無縁な男で、何も知らない。
 それでも、とにかくこの役を引き受けて、撮影に入ったわけなのだが、あるとき、撮影中にとんでもない間違いをしでかしてしまった。
 富士宮までロケに出かけ、総本山である大石寺のご本堂(御宝蔵というらしい)前の石段のあたりでお題目を唱えるという重要なシーンを撮ろうとしていた。
 スタッフばかりでなく、創価学会の関係者も見守るなかで撮影は順調に進むかと思えた。
 ところが、そのとき、私はなんと、
「南無阿弥陀仏 ナムアミダブツー」とやってしまったのである。
 カメラマンが真っ青になって素っ飛んできて、「違いますよ! 違いますよ!」とあわてて止めた。「えっ、どうしたの?」と私はまだ気付かない。
「南無妙法蓮華経ですよ、丹波さん」と言われて、ようやく「ああそうか」という具合だ。
 スタッフだけならともかく、創価学会の開係者も見学に来ていた。しかも、総本山でだ。
 まさに冷や汗ものだが、それくらい宗教には関心がないということだ。


●ある友人の「死」から……

 それほど「宗教」とは無縁だった私が、では、なぜ、死後の世界に興味を持つようになったか?
 目の見えない方が火に近づいて火の暖かさを感じるように、自然にその興味はわき上がってきたのですが、改めて考えてみると、直接のきっかけは、ある友人の死にであったことにあると思う。
 その友人は癌に冒されて、苦しみ抜いた挙げ句に亡くなったのだが、私はその様子を目の当たりにしただけに、死に様の、余りのみじめさに心をふさがれるような思いをした。傷ましくて傷ましくて目をふさぎたくなるような思いに何度となくとらえられた。  そのときに、つくづくと考えたのである。
 死というのは、誰にでも必ず一度は訪れるのだから、もっと楽に、もっと「カッコよく」死ねないものだろうか。まして、自分は、いわば常に「カッコよさ」を売り物にする俳優である。あんなふうに、みじめに騒いで騒いで死ぬのは厭である。だいいち、みっともない。とにかく、もっと気持よく、もつと「カッコよく」死ぬ方法はないだろうと。
 こんな単純で、漠然とした動機をまず、もったのである。
 具体的に研究しはじめたのは、それから五年くらいたってからだったと思う。

 研究するとは言っても、初めは、自分自身が納得できればそれでいいという考えだったし、あくまでも自分自身を納得させるための「手段」としてのみ考えていたわけだ。
これが私がこの世界を研究するきっかけであった。
その友人の死から35年ほど経ちました。この間もう死にものぐるいで研究しました。
その集大成を皆さんにここでお伝え出来ることが何よりも幸せです。

●『情けは人の為ならず』

 もし、あなたが「人間は死んだらそれまでである。すべてが 終わり であり 無 に帰する」と考えているとするならば、それは「旅の恥は掻き捨て」的な人生と言わねばならない。
 その反対に、もし、「生命は永遠である」と感じられたならば、うかつな人生は送れないはずだ。どちらが幸せな生き方ですか?
 生命が永遠ならば、戦争なんてとんでもない。人をねたむ、うらむなんてとんでもない話になる。一人でも多く、何とか自分の力の及ぶ限り、不幸な人間を助けたいという考えになるはずだ。
 そうした言動が巡り巡って自分に返ってくるのだ。
『情けは人の為ならず』、誰のためでもない自分の為なのだ。
 私は、常々次の言葉をモットーとしている。
 「明るく、すなおに、あたたかく」
 このように生きていくことこそ、真の健康的幸福な生き方と確信している。