丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第51回〜
《2005年3月号》



          『週刊大衆』連載中
                平成16年11月8日から40回の連載記事から

      宇宙に訊け(そらにきけ) 其の四

現世の地位や財産の有無など
霊界では一切、通用しない。


 
  ★ 来世の宣伝マンが薔薇色の「死後」を説く


 
 私には俳優・丹波哲郎としての決め事が、ひとつだけある。
 それは新人監督がデビューして間もないときはギャラが車代だけ、あるいはノーギャラでも出るということだ。

 これにはちゃ〜んと理由がある。私が毎回遅刻するのを撮影所の門の前で待ち、いつも代わりに監督から怒鳴られていた助監督が、いよいよ一本立ちしたんだ。できることがあれば何かしてやりたい、そう思うのが人情だろう。
 それに新人の監督の作品に十分な予算がかけられるなんてことは、まずない。だから、私はギャラなんて要求しないんだ。もちろん、作品の内容も、とやかくいわない。

 内藤誠が監督した『ポルノの帝王』(1971年)のときも、まさにそうだった。新宿の靴屋で偶然会い、「やっと監督です。ぜひ、今度の僕の作品で出てください」といわれたんだ。私としては出るのが当然だよ。
 その2年後には『色悪魔』というポルノ映画に出た。監督は降旗康男。降旗は、すでに新人でもなんでもなかったが、やはり助監督時代に世話になってるからな。私の役は「ポルノの大王」という看板を肩からかけただけのサンドイッチマン。セリフは、ひと言もなかったよ。

 ところが、この映画が公開されるとき、ちょっとした問題が起きてしまった。ちょうど私が主演した『人間革命』と、公開の時期が重なってしまったんだ。
 『人間革命』は、私のキャリアの中でも代表的といっていい作品だ。戸田城聖という大宗教家を演じ、この年の毎日映画コンクール主演男優賞をもらったんだ。

 まあ、このとき私が演じたというより、戸田城聖が私の中に入ってきて、自分が演じさせられたような感じだったな。私自身は宗教には無知だが、演技としては完璧だったといえるんじゃないかな。いろんな人から「神がかり的だったよ」といわれたよ。

 余談だが、このときの毎日映画コンクール主演男優賞には『トラック野郎』菅原文太もノミネートされていた。で、東映の宣伝部長が電話してきて「文太に賞を譲ってほしい」というわけだよ。私は「ああ、いいよ」と。だいたい、賞なんかに私は執着がない。そんなもんはどうでもいいんだ。

 しかし、結局、裏取引は通用しなかったらしい。賞は私のところにきたよ。
 おっと、少々話が横道にそれたな。要するにだ、東宝の映画館では『人間革命』が上映され、すぐ近くの東映の映画館ではポルノ映画が上映されたわけだ。そして、そのどちらの作品にも私が出ているという状況になってしまったんだよ。

 それで、東宝サイドは「丹波さん、それはないでしょう。イメージが壊れますよといってきた。
 まあ、無理もないな。宣伝する側は、そう思うよ。でも、私としては、いちいち封切りの時期を気にして映画に出演しているわけじゃないからな。世話になった監督に頼まれたから出ただけのことさ。周りが気をもんだだけで、私は屁とも思わなかった。


    ハンデを背負った人は、実は「見込まれた」人間

 そもそも、私は物事にこだわらない。そして、なんでも公平に考えるんだ。ポルノ映画だろうが、教育映画だろうが、自分が出るべきだと思ったら出る。人に対しても同じだよ。

 よく私は態度がデカくて、偉そうだといわれるが、それはいつも「地のまま」だからなんだ。それを人によっては「図々しい」「傲慢だ」と受け止める。だが本来、私は社長も平社員も監督も小道具さんもみんな、関係はイーブン、平等だと思っているんだ。だから分け隔てせず、つき合う。

 こうした私の価値観や行動は、むしろ外国映画に出たときに、わかってもらえたな。気難しいといわれる英国人と仕事したときも、簡単に打ち解けてしまった。だいたい、私が最初に親しくなるのは、名前も知らない、使い走りみたいなスタッフだよ。

 外国人ばかりの中でも、なんら違和感を持たずに仕事できたのは、いつも彼らとイーブンの関係で接したからだと思うね。

 私がいると撮影現場が明るくなるんだ。
 『五人の軍隊』というイタリア映画に出たときも、すぐにスタッフと親しくなったよ。だから、共演のアメリカ人俳優にはスパゲティを作ってやらないのに、私には作ってくれたもんさ。

 そもそも国籍だとか、地位だとか、金持ちだとか、貧しいとかってことで人を判断するなんていうのは愚の骨頂。そういう違いを超えて、人間はみんな平等であると思うことが、霊界の考え方なんだ。

 人間界は、あの世へ行くための準備をする場所でしかないんだ。人間界での狭い了見を絶対視して、やれカネだ、地位だ、名誉だと右往左往する姿は、なんともあさましい。
 仮にだ、いま、世間でいうところの地位も財産も権力も持った立場にある人がいたとしよう。霊界はなぜ、彼をそんな立場の人間にしたか。それは彼が、この人間界で与えられた恵まれた立場や条件を、どう使いこなすかを見届けるために、だ。もっとはっきりいえば、恵まれた立場や条件を他人のために使いこなせるかどうか、試されているんだ。

 逆に、非常にきつい立場に置かれた人、大きなハンデを背負った人もいる。それは霊界が「これは」と見込んだ人間だから、あえて厳しい条件が与えられたんだ。その試練を全うすれば、素晴らしい来世が待っていることを私が約束しよう。

 ところで、私は外国映画には都合10本出演した。実は外国のエージェントから専属契約しないかと持ちかけられたこともあったんだ。
 「アラン・ドロンジャン=ポール・ベルモンドと同じ内容の契約書です」といわれたよ。でも、サインしなかった。

 なぜかといえば、外国生活に飽きてしまったんだよ。撮影期間は長いし、パーティーみたいなことを始終やっている。パーティーなんて、私はちっとも嬉しくない。
 第一、私は酒を飲まないんだ。ガールフレンドもたくさんできたが、女はやっぱり日本人が最高だよ。
                                       《次回につづく》