丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第45回〜
《2004年7月号》




          あの世で幸せになる話〈4〉

                平成15年4月25日 『はかた南無の会』 講演会より


 
  ★ 前世は中国系らしい


 今日この会場に入って来た時から、これは本物だな、今日の聴者は本当に研究したい意図を持っている人の集まりだな、ということを肌で感じました。

 ここまでで、皆さんのほうから質問をもらおうかな。


(質問) ロンドンの、その3人は幽霊だったのですか?
           (ロンドンのホテルで夜中に対面した3人の霊人のこと)

(丹波)
 3人はまさに幽霊そのもの。幽霊とはいろいろある。
 人によっていい幽霊が出てきたり、馬鹿な幽霊が出てきたりするんです。
 僕の場合は、僕が本当の意味で、人類の真の使命のために研究をしたいんだという大げさな旗を振っているから、幽霊さんの方でもそれに応じて、変な顔はしませんよ。
 それぞれいい顔をしています。
 ただ15度くらい前のめりで、僕の顔をずっと見られたら、30分もそういう姿勢をとられたんでは、僕の方でも参るかも知れない。


(質問) どれくらいの時間だったんですか?

(丹波)
 長い間と感じられたけれども、せいぜい1分くらいだったと思う。
 ロンドンだから西洋人は当り前だよね。
 何でチャイニーズが現れたのか。そこのところは、いまだに合点が承知しないね。


(質問)前世の何かですか?

(丹波)
 前世の何かなんて、どうして知っているの? 
 実は僕の前世はどうやら中国系らしい。
 丹波康頼という後漢の渡来人の子孫と伝えられる人物がいる。
 丹波康頼は平安時代の医書「医心方」を出して、これは国宝になりました。
 それまでは「坂上(さかのうえ)田村麻呂」の姓なんだ。
 僕の家の系図というのは信憑性があるらしい。
 この系図は、半分以上は正しかろうといって太鼓判を押したのは、京大の言語学者の上田名誉教授です。
 この人が見せろというので見せた。
 私の系図は写しの写しで、東京の伊勢丹で写したものです。
 まずもって生年月日から、80%合っているから、この系図はまず間違いないんじゃないかといって面白がっていた。

 さて、話を元に戻そう。
 幽霊さんは、僕を中国人と間違えたのかなと本当に思った。
 もう一人は西洋人、それも大きな西洋人だね。
 今までやった外国映画は、ほとんどロンドンのパインウッドという撮影所で撮影したから、友達がたくさんいた。
 そういう関係で西洋人と中国人が出てきたのかなと思った。
 今、日本でいちばん売れている霊能者  さん。
 彼はドーチェスター・ホテルに行くたびに幽霊さんに出会うそうだ。
 僕は一ぺん会っているから、幽霊さんにはもう興味がない。
 幽霊さんは、あれで終わりでいい。
 それよりももっと霊界というものの真の姿を、これから何年、何ヶ月生きているか分からないが、その間に少しでもそういう世界に迫ろうとしている。
 だから、今日は時間が許す限り、向こうの姿はどうなっているかということをお話しましょう。

 それでは、また質問をして下さい。
 質問に対する私の答が、中途半端かもしれない。
 質問のほうが高級で、僕のほうが力不足になるかもしれない。
 それに追いついていかれないかも知れないが、その点はご勘弁願いたい。

 ただ45年、明けても暮れても研究した。
 学校の成績は自慢にはならないが、霊能者でも何でもない私が、これほど夢中になって研究したものはない。
 だから霊界へ行ったなら、〃研究者〃としては歓迎されるのではないかと思う。
 思うんであってどうだろうか。間違いない? いや、聞違いであっては困るんだよ。(笑)




   ★ 魂の似た者の集まり

 さて、霊界事情についていろいろとお話する中で、皆さんが研究したのと僕が研究したのと、どういうところで合致するのか、あるいは合致しないのか?

(質問) 同じだと思います。私は向こうの世界というのは身体がないだけで、時間と身体が自由であるだけで、なんら変わりないと思う。

(丹波)
 まず間違いないな。変わりない。
 変わっているところは、やけに変わっている。
 どういうところが変わっているかというと、善人・悪人を便宜上区別する。
 悪人と善人はどこで区別する?
 例えば、善人を白とするか、悪人は桃色とするか。
 桃色の中に善人は入れるが、白の中に桃色は入れない。絶対に入れない。
 霊界と人間界と違ういちばん根底になっているのは、僕が今あなたをだまそうとして近寄る。
 僕が立った時点から、あなたは僕が何をしようとしているのかをキャッチする。
 僕がいかに上手にだまそうと思っても、だまそうという魂胆が顔に出ちゃっているから、駄目なんだ。
 僕はあなたには、そういう無駄な労力はかけない。さっさとこれは違うというんで、他へ行くわけだ。
 つまり霊界では、同じ種類のものしか集まれない。これを「類魂」という。魂の似た集まり。皆さんは類魂と考えればいちばん説明しやすい。とにかく類魂の集まりくらい楽しいものはない。

 ここへ来た時、皆さんは一人残らず拍手して僕を迎えてくれた。
 一人として駄目だ、いやだという人はいない。これを類魂といいます。
 全部僕なんだ、全員僕だけれども、違うところがある、僕には僕の個性がある。
 あなたにはあなたの個性がある。
 類魂が何百、何千、何万といようとも、全部、「僕なんだ」、「あなたなんだ」。
 これを指で説明しようか。全部血液は一緒なんだ。全部僕の指なんだ。ところが親指、人差し指、これ全部役目が違う。これは全部僕。ところが個性が違う。小指は小指の個性がある。
 例えば音楽の勉強をするか、絵の勉強をするか。
 まず親指が人間界へ出て行って、そういう勉強の機会をとらえて勉強をして、類魂の仲聞に帰る。
 次に人差し指が出発する。200年後300年後に出発したとする。そうすると第一関節くらいのところまでは、絵や彫刻の才能が詰まっている。
 順繰りにいって、最後に小指が出てきた時にほ、爪の根っこのところまで才能が詰まっている。これが天才だ。
 だからゴッホにせよ、べートーベンにせよ、誰にせよ、生まれながらにしてそういう才能をもって人間界に出てきている。これで説明が成り立つでしよう。

                                       《次回につづく》