丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第14回〜 ある講演会から《 4 最終回》
《2001年10月掲載》


         ※今月で丹波哲郎講演会のご紹介の最終回となります。
               


 ●人間界と根本的違い

 霊界が人間界と根本的に違うところは「衣食住」の心配が全く無いと言う事ですね。
 じゃあ、何にもする事が無くて、退屈かと言うととんでもないんだ。
 どういう風に退屈じゃないか、どういう風に忙しいか…もう大忙し。
 今、ここは天国ではない。極平均的な人達の行く所。地獄でも無い、天国でも無い。善半分、悪半分の人達が行く所なんだ。
 とにかくね、例えば一人がね、何か提案するとしますか。そうすると一人残らず一斉に喜々としてそれに従う。
 「チョッと50階建ての建物を造ろうよ」「イヤーそんなの無駄だよ」
そういう人は一人もいない。
 「オーライ」全員が一斉に造る(創る)。誰一人反対する者がいない。
 天を突くばかりの高層ビルを造ろうとすると、村人全員から湧き出る想像力の集結が、彼等の念力と共に働いて立派な高層ビルが出来上がる。
 不思議なことにそれが何十年・何百年後に人間界に出現するんですよ。
 ニューヨークの摩天楼でも、新宿の超高層ビル街でもおそらく霊界で造ったものの影でしょう。それが、人間界にその創造物が現実のものとなって姿を見せてきますね。
 実はね、人間界の有りとあらゆるものは霊界からの影、即ち投射であると言われているんですね。


 ●想念で創り上げる世界

 さて、霊界のいかなるものも、全て霊人達の思念によって、たちどころに出来上がるという、このとてつもない便利さというものには、我々はもう逆立ちしても考えられない。
 思えば出て来ちゃうんだから。
 「グランドピアノが欲しいナー」と思えばフワァとグランドピアノが出て来ちゃうんだから。しかしね、念を凝らせば、瞬間的に常時完全なものが出現するとは限りません。大いに失敗もあり得る。それを善人の念が再び修正し合って次第に芸術的なものに纏め上げていくんですね。
 例えば僕が今ここでもって「薔薇園が欲しいな」と思う。するとバラ、バラ、バラ、と薔薇ばっかり思うんだ。そうすると薔薇畑が出来上がるんだ。
 すると隣にいるものが「チューリップが良いな」或いは「菊の花が良いな」
それで菊の花、或いはチューリップに念を凝らすと、薔薇の畑の中にチューリップや菊の花が出て来ちゃう。
 何とも言えない変なものが出来上がる。
 それで僕なら僕が「ちょっと待ってくれよ」と言う。「とにかく薔薇園を造ろうじゃないか。あんた菊が欲しいかチューリップが欲しいか知らないけれど、それはちょっと後にして、念をチューリップに持っていかないで薔薇にして、薔薇にして」「ヨシきた」それで二人でもってバラ、バラ、バラ、バラと薔薇の念を…。
 見事な薔薇の園が出来上がった。そう言う事を言っているんです。


 ●霊界の学校で学ぶ「信仰」

 皆さんがこの世を去って霊界の自分の村に帰り着くと先ず真っ先に入れられるのは学校なんです。その学校で皆さんは何を学習させられるかというと、先ず「信仰」について学習させられる。
 「信仰」とは、神様に対する各自の態度、自覚、尊敬なんです。人間界で信じていた宗教の如何を問わず。改めて神の存在、尊厳が浮彫にされます。

 即ち「神」とは何か?
 「神」とは宇宙の法則、宇宙の大秩序だと言う事がハッキリと認識される。
 宇宙飛行士がね、船外作業をしていて上を見ても星、下を見ても星、右も左も星だらけ。そして地球が青く輝いている。何とこの素晴らしい景観。どうして我々科学者だけを乗せたんだろうか? どうしてもっと芸術家を乗せて来ないんだろうか?
 彼等の眼から見たらこの素晴らしさはどの様に映って、どの様に人々にこれを発表出来ただろうか? 我々だったら只美しいと感じてそれを何遍言ったって他の人に伝えられないけれども、そう言う芸術家を乗せてきたら伝えられるじゃないかと悔しがるね。

  (映画『コンタクト』主演ジョディーフォスターでは、「詩人を連れてくれば……」
   というシーンがありました──編集者注)


 そして彼等は、その時に船外作業をしている時に肩の所に、或いは背中の所に、或いはチョッとした眼前に神様を感じてしまうんだね。それもドッカーンというふうに。
「あっ……秩序だ」と言う事を感じてしまうんだ。宇宙…あっ秩序、感じてしまうんだ。その為に宇宙飛行士達は地球に帰って来て同じ職業を続けている人は何人いる?
 40%もいないやね。あとの60%の人は何をしているか。あまりの感激、あまりの思ってもみない心の衝動で神様に関する仕事に転向してしまっているじゃないの。
 事実だ。それくらい宇宙とは、霊界とは、天国とは秩序なんだ。地獄とは全く秩序の無い所なんだ。


 ●霊界の文字

 次に学習することはね、霊界の「文字」についてなんです。
 この霊界の「文字」というのは、我々人間界では創造も及ばないような読み方をするんだ。
 すなわち一行の文字が一冊の本、二冊分位の量を持っているんだ。だから、暗号文の元祖の如き感がある。例えば4なら4、3なら3、そう言う数字を書いただけで、4なら4を縦に書いたりチョッと斜にしたりチョッと細目に書たり、何かするだけで意味が全然違うんだ。そう言う風に暗号文の元祖のような感がある。
 そしてね、字を書くのは筆で書くんじゃないんだ。紙の上を手でこうやって撫でれば良い。そうすると彼等の心の中にあるものが、その考え方は勿論の事、感情の小さな起伏までも、その字体や曲線の変化の中に現れて来るんですね。
 だから霊界の大特徴としては、霊人達が空間という観念を全く持たない。その為に彼等は何処へでも瞬時にして移動する事が出来ますね。硬い岩山だろうが何だろうがスーと通過してアッと言う間に行ってしまう。無限の距離をアッと言う間に飛び越えてしまうんです。だから霊界には距離というものが無い。
 じゃあどういうふうにして距離を測るかと言うと、その対象「あそこに行きたいナー」と思えば、瞬時に行ってしまうんだけれども、「あそこに行きたいナー」と思う熱意如何によって距離が決まると言う事が言えるでしょうね。
 そのような熱意の使い方を学習する。磨かれるんです。その様な事を学校で磨くんですね。


 ●地獄とは?

 さて、この自由で、楽しくて、光り輝く所ばかりが霊界じゃありませんね。地獄と言うところも残念ながら実存しているんです。
 地獄と言うのはね、上から見ると底なしの黒い沼の様に黒い霧の中にある。下に行けば行くほど凶悪な霊人達のおぞましい世界が展開されています。一口に地獄と言っても、これはもう千差万別で一つとして同じものはない。只、共通しているのはその醜悪さと凶暴さ。そして常に憎悪、軽蔑、妬み等の執念と、果てしない争いに満ち満ちて秩序の欠片もない。
 じゃあ、どんな者が地獄に行くかと言うと、人間界にいたときに「自分さえよけりゃあ他人は何うでもよい」と言った思想を持ち続け且つ又その様な行為をしてきた人達、したがって、彼等の心がそのまんま出て来てしまっている。
 それぞれ醜い怪物じみた様相を呈していますよ。更に彼等の身体から発する悪臭というものは、もう正に地獄の大特徴。素晴らしい良い香りというのは天国の大特徴だけれども、鼻持ちもならない悪臭というのは地獄の大特徴。
 しかしこの地獄への招待というのは最初は極めて友好的に行われるんですね。
 だから、閻魔さんみたいなのがいて、あんた地獄だ、ハイあんた天国だと言っているんじゃないんだ。自分で行く……。
 如何なる地獄向きの者でもこれは強制的にいかされるのじゃなくって、各自が各自の自由意志で目的地を選びます。 モグラが地面の下が良いようにね、ぼうふらはドブの中が良いじゃないですか、ゴキブリって言うのは湿った冷蔵庫の下なんかが居心地が良いんでしょう……。
 そういう様に、愛の欠片も持っていない者は光の当たらないところが良いんだ。天国というのは目も眩む程の光りの洪水だけれども、地獄と言うのは真っ暗。少なくとも薄ボンヤリとしている。全ては、即ち地獄行き達の自由であり選択なんだ。彼等の選択なんだ。自分達で行くんだ。だから彼等は最初は友だちの所へ来た様な気分でいるんですよ。  しかし、これは一時的な事で、その後彼等は仲間の地獄霊達に徹底的にいじめ抜かれる。徹底的に扱かれる。その為に日を追って種々の策略を身に付け、極悪さや凶暴さを加えていきます。
 この様な闘争や拷問が地獄の姿。それが地獄の実質なんです。地獄等は絶対に行ってはならない。


 ●自殺について

 ここで自殺について言ってみましょう。
 あまりにも素晴らしい天国。素晴らしいんだから早く行けばいいと思うだろうが、そうはいかない。
 自殺の実相をありのまま説明しましょう、ありのまま。自殺と言うのは、比較的人間界で同情の目を持って見られている。ところが自殺して、あの世へ行って、全然違うんだ。同情の「ど」の字も無い。
 「しまったー」と思うんだ。これ以上悔やむものは無いね。彼等が霊界へ渡ってくると、人間界の同情等何処吹く風か。まかり間違えれば、千年、万年と身動きもならぬ状態で閉じ込められる為に、西洋では自殺者の森に例えている。
 自殺をした者は、森の木立になったように、身動き出来ない。一歩も自分の体を動かすことが出来ない状態に例える。東洋では洞窟の中の更に壷に半身入れられた様な……、大体西洋の森と同じだ。
 何故そうなるかと言うと、何故貴方は自殺したんだ、何故、何で、と生きている人間の念に絡まれてガンジガラメなんだ。
 おまけに、その上、人間界と言うのは修行場だから、ハイあんたは50年、あんたは60年、あんたは70年人間界でこういうふうに修行して来い。そうしたら霊界でもっと上へ行けるんだからと言う……。
 即ち人間界とはデッチ奉公。即ち修行場なんだ。神様が「お前さんは何年じゃなきゃダメだよ」と決められたのを勝手に短縮して、悲しいから、辛いからと言って短縮して逃げ出したらどんな事になりますか?
 褒められる訳がない。徹底的にやられる。だから、どんな事情が有ろうと自殺だけは損なんだ。


 ●地獄界へも愛の手が……

 さて、誤って地獄入りした霊人達。己の非に気付いて、自分の置かれている環境に疑問を感じ始めてくると、抑えていた脱出しようと言う願望と言うのが、次第に強くなって来ます。神様はそう言う人達を決して見捨ててはいない。
 光明の世界の一郭から、なんと七色、八色、十色に輝く巨大な光りの橋が、地獄の暗黒の縁まで、まるで巨大な虹のように架かっているんです。幅の広さから言ったら、橋と言うより地域と言った方が、当たっているかも知れません。途中に幾つかの休息所さえあるんです。
 だから、暗黒の世界から這い上がってきた地獄の住人達に天使達は愛の手を差し出します。天使達が虹の橋のたもとから、やっとやっと辿り着いた地獄の霊人達に手を差し伸べるんだ。
 せっかく手を差し伸べている天使を敵と見るか味方と考えるか……。それによって彼等の運命というのは決まってきます。大体地獄の住人と言うのは総じて疑い深いんだ。嫉み、憎しみ、嫉妬そう言う者のかたまり。そう言う念を持ちすぎている者が地獄へ行くから、どうして疑いっぽいんだ。
 だから彼等は、よほど「光明の世界」に近付かないと。「光明の存在」に気が付かないんだ。彼等には自分の魂の内部に灯された霊的な光りと同程度のものしか見えないんだ。だから天国は見えないんだ。
 即ち5ワットの光りしか自分の魂に輝いていなければ、5ワットの光が輝く状況しか見えないんだ。100ワットの光りが有れば100ワットの状況が見えるけれど、元来地獄の住人の魂の中にある光りと言うのは、そのように5ワットくらいの光りしか無いから、その程度のものしか見えないんだ。
 だから、彼等同士で顔を見ると普通の顔に見えるらしいですよ。醜悪な顔に見えず、極普通の顔に見えるんだ、彼等同士では。
 ところが我々は……僕は絶対に地獄へ行くなんて思っていないから……普通の者が見ると、全くどうにも成らない醜悪な顔に見える。こっちは100ワット、200ワットで見るから…。


 ●天国へ昇っていく

 さて、いよいよこの光りの橋が、天高く吸い込まれていく先と言うのは、言うまでもない天国。その光りの橋、虹の橋を渡って途中で色々道が分かれていますから、地獄霊がいきなり天国へ入るなんて言う事はありません。そんな事は無い。有り得ない。普通の霊界へ先ず行くんですね。そこから修行をして段々上へ昇って来るのですが、この光り、虹の光り、光りの橋の先と言うのが天国だと言っているんです。
 そこに展開されている生活模様の素晴らしさ、精妙さというものは、先ず我々人間に絶対に理解できるものじゃあないんだ。
 例えば、無数の色と、無数の音が理想的に融合し合った世界といったら、一体どんな世界なのか?
 見当もつかない。想像も及びませんね。この様な天国では、何の争いも、一点の違和感も無い。一人の念い(思い)は万人の考えであり喜びなんですね。だからこの様な調和と秩序の生活の中から、当然輝き渡るその英知が泉の如く湧き出てお互いが、お互いに尽くし合い喜び合っているんだ。
 とにかく自分自身の欲望なんかは全く影を潜めてしまって、人に対する愛と思いやりだけが生活の全てなんです。これが「天国」なんです。したがって、それを象徴するかのように、辺り一面咲き乱れている色とりどりの花々さえも無限の愛を歌っているかの如くであり、その香りは身も心も洗い立てて、生き生きとした活力をまき散らしていることでしょう。
 更に天国の上層部と言うのは、文字通り光りの洪水ですから、我々人間の目にはとても耐えられない。
 そこにある壮大な御殿等と言うのは、各天使達の住居でしょうけれども、まるで純金で吹き上げられた様な屋根。そういうようなのが万里四方に、まばゆく光り輝いているのです。光り、輝きを惜しげもなくまき散らしているのです。壁も床も一面宝石類が煌めいている。その色と光りを競い合っています。
 又、何処もかしこも花々で埋め尽くされているので、どう歩いたら花を踏まないで行けるかと考え込んじゃうでしょうね。そういう花々の間に噴水が有ります。そう言う聖水を吹き上げている噴水が花々のところに落ちて来る時には、もう既に宝石と化しているんですね。色とりどりの宝石と化して妙なるメロディーと共に散っている。
 ですから天国と言うのは、「芸術の都」と言った方が当を得ているようですね。全体と一種の荘厳なる静けさに満ち満ちているんですけれども、その荘厳な静けさの中に素晴らしいハーモニーが感受されるんです。言うに言われぬ幸福感が漲っています。
 ちょうど花々の香りがその色合いの中から感ぜられるように、天国の全ての花、全ての森、全ての小川、丘……そう言うところに歓喜と賛美の荘厳なるメロディーが漂っているのです。
 大海原の波の様に展開されているお花畑の起伏と言うのは、天にも溶け込む彼方まで続いているのです。その何百何千何万と言う花々から立ち昇るそれぞれの見事な香りというのは、恰もあらゆる生の躍動、絡み合い、正に天国的性状さで噎せ返っている。  地獄とあまりにも違います。その生き生きとした美しさと言うのは、我々人間ではもう想像出来る域を完全に越えてしまっている。ここまで昇ってきた霊人達は、最早人間界に再び出て来ることは金輪際無い。天国へ永住する為には、今迄人間界に何度も何度も出て来て修行してきたのだから、もう良いでしょう。 


 ●人間界へ誕生

 霊界から人間界に誕生して来るときは、各人のその守護霊様に見守られながら、皆さん自身が地球上の両親を選んで、母親が妊娠した瞬間に飛び込んで来るのです。
 だから皆さん、もし不心得な娘や息子がこんなことを言ったら、
「何だい、勝手に産みやがって」なんて言ったら言ってやって下さいよ。
「何で、勝手に出て来て」
 これが正しいんだ。
 まあ、こんなこと言い合ったんじゃいけないけれどね。とにかく、その際皆さんの魂は激しい波動でこの様になっています。
(身振りで現している)向こうから人間界へ妊娠した瞬間に飛び込んで来ますから、その時の我々の魂は、人間界に飛び込んで来た最初の振動というのはこんなんなんだ。
(身振り)こんなのが物質界のこんな振動の中に飛び込んで来るんだ。
(比較)即ち赤ん坊の肉体の核なんて言うのはこんななんだ。
(身振り)母親のお腹の中ではこんななんだ。こんな中にこんなのが飛び込んで来るから、母親は顔つきまでも好みまでも変わってしまうんだ。
 これにコントロールされちゃうんだ。
 ところがこんな波動で生まれてきたんじゃあ物も掴めない。掴もうと思ったって通り抜けちゃう。そんなもんだから十月十日掛かって、こんな波動を物質界の波動に調子を合わせてオギャーと生まれたときにはこの波動で(比較)出て来るんだ。
 だから、生まれたばかりの赤ん坊というのは大変な霊能者だと思って良いんですよ。只、口が利けないだけなんだ。口が利けるようになった1年数ヶ月の 間に、全ての霊界の記憶、霊能力と言うのは消滅しまうのが当たり前なんだけれども、中にはそうでないのは幾らでも居ますね。例外は幾らでもいます。


 ●子供の霊能力

 この間と言っても何年くらい前になるでしょうか、4歳の坊やが、お兄さんとお父さんと海水浴へ行って、5・6歳の坊やが溺れ死んじゃうじゃないですか。ところが溺れ死んだ後で、坊やが描いた絵が出て来る。それをテレビでは順繰りに並べていたじゃないですか、一番最初の絵は何うかと言うと、坊やが浮き袋を抱えて、兄さんと手を繋いで海に歩いて行く後ろからの絵。
 その次は画用紙に線が引いてある。これは水面だね。その中に手が2本出ている。自分の手だ。それに対して浮き袋が空中に放り投げられてて、お兄さんが手を差し伸べている絵。
 その次には海岸でもって人工呼吸されている絵。その次には海の方から見て松並木の間を救急車が通って行く絵。最後に病院に横付けされている救急車。こっちの玄関にはこういう植木。こっちにはこういう植木と、克明に書いてある。そう言う絵が坊やが死んだ後出て来ている。
 坊やは1月前に書いたらしい。一月前に自分は何う言う経路を通って何う言うふうに死ぬか、死に方はこういう経路、死んだ後こうなるとまで知ったんだ坊やは…。
 5・6歳の坊や…。子供とは凄いんだ。子供とはあの世から来て間が無い為に、そう言う様に霊能力を多分に身に付けている場合が有るんだ。
 もし幼稚園の先生が居るんだったらば、園児の描いている絵というのは注意深くチェックしないと、何を予告しているか判らないと言い合っているらしいじゃないですか。  子供はとにかくとして、大人になって迄そう言う力の取れない者…それが霊能力者だ。変わり種だ。早く言えば。別に本人が偉い訳でも何でもないんだ。
 とにかく、我々だけが永遠に個性を失わないんだ。ペット達は違う。ペットは一緒に死んだ場合でも、我々の愛情が無くなった場合にはペットは、集魂の中に一緒に入って個性を失っちゃう。
 人間だけが個性を失わないんだから、我々は飽くまでも生きて…この人間界は修行場なんだから修行せねば。永遠に個性を失わないんだから。これが又修行場なんだから、修行せねば損でしょうが!。
 どう言うふうに修行したら良いか? 金を貯めたって、地位を高めたってそんな者はあの世へ逝ったら邪魔なばっかり。あの世へ逝く最高のお土産は何だ。素直さなんだ。その上にあたたかく、明るくあれば尚良いね。鬼に金棒だね。
                                            
                                        丹波哲郎

     ※丹波先生の雰囲気が良く伝わった内容だったのではないでしょうか?