丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第47回〜
《2004年9〜10月号》




          あの世で幸せになる話〈6〉

                平成15年4月25日 『はかた南無の会』 講演会より


 
  ★ すべては決まり事


 私のつくった映画『大霊界パート2』で、ある女優が僕の女房役になった。
 年中、僕に息子のことを頼んでいた。娘のほうは、女優として若干売れていたんだが、息子の方はなかなか売れない。「お願いします」というから、こっちは「分かった、機会があったら積極的に……」と言っていた。

 ところがある日、中央高速道路でトラックに追突されて死んじゃったんだ。
 母親はもうどうしようもない。生きている気配もなくなるほど落胆。僕のところに電話がかかってきた。僕は電話をとったんだが、母親は興奮してしまってどうしようもない。これは駄目だと思ったね。
 「明日、電話をするよ。明日、きっちり夜中の12時に電話するから、空けておいて……。ただし、その前に一言だけ言っておくけれど、決まりだぜ。この子は寿命がここまでだ。分かるとか分からないというのじゃなしに、まず間違いないんじゃないかな」と言って別れた。

 それで翌日、電話をした。彼女は全然、声が違う。どこかでふっ切った。でもふっ切れば、それでいいというもんじゃない。

 僕は、犬や猫や馬は知らないよ、人類に限ってあえて言わせてもらえば《すべての出来事は決まりごと》。結婚するのも離婚するのも決まりごと。結婚するということは容易ならざる事件です。

 正確なインスピレーションが二人を結び付けるのは〃瞬間〃なんだ。一年付き合って結婚しました。5年付き合ってから結ばれました。そういうのじゃない。本当に結ばれるのは、あっという瞬間なんだ。出会った瞬間なんだ。
 そう思わない? 出合った瞬間に、「あっ、この人」。すごいほどの瞬間さ。こっちから見ていてひとつも美人でも何でもない。何でこんな人を、と思う。そうじゃない。指差されたものは同時に指差し返す。「あっ、この人!」とこうなる。これはもう取れない。
 向こうへ行った場合でも、結婚というのは非常に少ない。即ち、類魂同士の結婚というのは本当にまれにみるほどまれなんだ。

 結婚なんかしなくたっていいのよ。結婚しなくていいけれど、そういうふうにせざるを得ない何かが指差しあう。美人であるとか何とか関係ないんだ。僕にも君にも持っている魂がボカーンとむき出しになっちゃっている。
 そういうことを知っていて人間界をわたっていくのと、何も知らないで偶然ばったりで行くのでは、まるきり違う。だから、霊界事情というものをどこまで知っていれば安全かという問題じゃなしに、どこまででもいいんだ。小学校程度でもいい、中学校程度でもいい。全然そんなものはありません、死んだらすべて終わりですよ、はこれはもうどうしようもない阿呆!


   ★ 余裕を残しておく

(質問)私たちが生きているこの娑婆(しゃば)世界は、
    霊界から指図されているのですか?


(丹波)それは当然のことでしょう。
    霊界からは、指し示してくれているだろうと思いますよ。

(質問)どういう生き方をしなさいというのですか?

(丹波)
 これは簡単明瞭。そんなに難しいことじゃない。
 要するに己の犠牲になる程度を、常に自分で余裕を残しておきなさい。自分が「犠牲になる」という言い方はオーバーでも、大勢のためにどこまで自分を無にしていいか。これをキャッチできれば、その人はもう人間界に誕生する必要はない。霊界からの指導で十分だと思う。
 だから、人間界に生まれてくることは失敗だな、と思ったほうが良いかもしれない。生まれてこないのが幸福なんだ、本当は。
 霊界にずっと止まっている方がその人にとっては幸せだろうな。
 でも人間界に飛び出していって、何かしら暴走に近い振る舞いをするのは、いても立ってもいられない正義心で、突貫してしまう。自分を犠牲にしてしまう。
 自分が犠牲になるときには、これはうかつなことをすればただの馬鹿。よくよく考え、自分で検討し、かついちばん大事なのは、心の奥の奥の底で感じないといけない。何事かを感じたならば突進していい。向こうに行ったときの歓迎のされ方、また魂の向上のためには大変役に立つのではないかと思う。
 とにかく僕の土台、根底は受け売りで成り立っている。でも受け売りというのは強い。自説というのをまずおいて、何百、何千、何万という人の意見の共通点を取って、これかしらというふうに謙虚に学ぶんだから。受け売りというのは、それらしい威力というのを持っていなきゃならないね。

                                       《次回につづく》