丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

            〜第9回〜 死後の世界の様子 車と運転手
                   《2001年5月掲載》


 ●人生街道から 霊界街道への通過方法<1>



  さて、人生街道から霊界街道へ移行する時、運転手(魂)にどのようなことが起こるのか、まず大きく分けて三通りあります。
 第一の通過方法は「睡眠」です。正確には「睡眠」によく似た状態といった方がいいかも知れません。運転手(魂)は、自分の車(肉体)の中で、いつの間にやら眠ってしまいます。それもまことに心地よい眠りなんです。なぜか大安堵感に浸りながら、無意識の底に落ちて行きます。一切は大自然のまにまに溶け込んで行きます。ここで断言できることは、「死」とは運転手(魂)の一時的気絶状態だったんです。そして、運転手(魂)が霊界街道で目を覚ました時の状況は、千差万別です。全ては、人生街道での運転態度、すなわちマナーにかかわっています。


 ●人生街道から 霊界街道への通過方法<2>

 第二の通過方法は、人生街道の終点で車(肉体)が動かなくなったとき、運転手(魂)が自分で車(肉体)から降りて行くことです。この際、自分で降りるというより、むしろ降ろされる。もっとはっきり実況通りに言うなら、運転手(魂)にも解らぬある力が動いて、押し出されると言った方が状況があっています。その前に運転手(魂)は、動かぬ車の中で、しばし考え込むのが一般のようです。身の処し方を決める時間です。動かぬ車(肉体)の中にいつまでいても仕方がない。といって、どこへ行ったらいいのかさっぱりわからん。
 結局、彼は車(肉体)から出ます。まさに運転手(魂)にとっては、大冒険なんです。ところが、彼が命懸けの大冒険と思った車(肉体)からの脱出は、丁度「トンネルを出たら雪だった」と同じでした。思わず歓声が上がる程の展開だったんです。花、花、花、野も丘も山も花。そして、光、光、光。運転手(魂)は呆然としてただ立ちつくすのみ。そこが霊界街道だとは思いもよりません。


 ●人生街道から 霊界街道への通過方法<3>

 第三の通過行路も運転手(魂)によって、それぞれ違いはありますが、動かぬ車(肉体)の中でしばし考え込んでいるのは同じです。
 そして、また一大決心して車(肉体)のドアを開けるのも同じです。彼(魂)は降りてみました。動かぬ車(死体)を振り返り、振り返り、恐る恐る車(肉体)から離れて行きます。すなわち霊界街道を一歩一歩前進して行きました。


 ●霊界街道にいる自覚がない

 ところが、何にも変わったことは無いんです。人生街道と霊界街道と、どこがどう変わっているのか見当もつきません。ただ、運転手(魂)は、妙に体が軽いんです。その上、目がとてつもなく良く見えるんです。見え過ぎるほど、何でも見えてしまうんです。それだけだと思ったらとんでもない。人生街道を走っていた時は、前だけしか見えませんでしたが、今この霊界街道に立っていると、前ばかりか後ろもはっきり見えるんです。それどころか、上下・左右全部同時に見えるんです。運転手(魂)は呆然となってしまいました。すなわち、死の自覚は全くありません。
 この様に、運転手(魂)たちの殆どは、自分が霊界街道に立っている事実がまったくわかりません。
 さて、今、何よりも何よりも大切なことを申し上げます。  それは死の自覚なんです。運転手(魂)は現在すでに人生街道上ではなく、霊界街道を走っているという自覚なんです。この自覚は人生街道に居る時しっかり学習しておかねば駄目です。犬や猫はかまいませんが、人間だけは駄目です。
 人間だけは特別のお役目があります。すべての中のすべて、即ち、天地創造の中心に向かって神に化身しようとする努力、希望が義務づけられているんです。
 それは親和と調和の天国なんです。地球のみならず宇宙全体を天国化せんとする大野心なんです。
 そのために、大宇宙から選ばれて地球の人生街道に現われ勉強し修業してきました。そして、今、大宇宙の出発点、霊界街道へもどってきたんです。


 ●霊界街道に入ると新品になった車(幽体)

 ところが運転手(魂)の車は人生街道を走っていた時と同種の車ですが、よく見ると違っています。とにかく、新しいんです。新品に近いんです。タイヤも新しければ、シートも窓ワクも何から何まで新品なんです。
 運転手(魂)は、はじめ自分では気がつきません。言われてみて初めてふと気がつきました。成程、新しいんです。故障して修理したキズあともありません。塗装もぴかぴか、乗り心地にいたっては、不思議な程、新車そのもの、ハンドルの切り具合など、いとも軽いんです。運転手(魂)にとってこんな気持の良いドライブは正にはじめてなんです。
 彼は驚きます。喜びます。
 そして有頂天になってしまいました。そのあとです。彼は小首をかしげました。何んでこんなに乗り心地がいいのか、それがわかりません。  合点がいきました。人生街道を走った車(肉体)と、今、霊界街道で運転している車(幽体)と形は全く同じでも性能がまるで違うんです。そのうち、段々運転手(魂)はわかってきました。今の自分の車(幽体)はガソリンの必要が無いんです。更に、へんなことにはタイヤもいらないみたいな気もします。というのは橋がなくとも水の上を走るんです。
 これには運転手(魂)は、たまげました。然し、時がたつにつれ運転手(魂)は、なれてはきます。便利この上もない今の車(幽体)に感謝しだしています。この車(幽体)から、古い車(肉体)へ又もどれと言われたら 断固としてことわるでしょう。


 ●霊界街道の景色の素晴らしさ

 第一、この車(幽体)から見ると窓の外は大変きれいにみえます。遥かの森も林も岡も小川も霊界街道にそって咲いている花々も人生街道とは全く比較のしようもありません。その美しさは問題になりません。霊界街道は大自然そのものなんです。電信柱もなければ、当然、電線もなく、壁もなければ、塀もありません。
 自己と他の敢えてへだてるものは何もありません。運転手(魂)そのものが大自然の中に、溶け込んでゆくんです。
                                          <つづく>

                                        丹波哲郎

※車と運転手を例にとって、死後の世界を分かりやすく説明しております。来月も続きますよ。