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『週刊大衆』連載中 平成16年11月8日から40回の連載記事から 宇宙に訊け(そらにきけ) 其の二
★ 来世の宣伝マンが薔薇色の「死後」を説く 丹波哲郎は、態度がデカい。 こんなことをいうヤツが多いから困るよ。 これは大いなる誤解。自分では、むしろ人より愛嬌のあるほうだと思っている。 ただ、不思議なことに映画やテレビドラマで人の手下を演じたことは一度もない。 何しろデビュー作の『殺人容疑者』で、自分より年かさの者を子分にしていたくらいだ。 やくざ映画にもずいぶん出たが、子分というものをやったことがない。 それどころか、内閣総理大臣に始まり、軍隊では東条英機、山本五十六、はては天皇まで演じてきた。 自分では普通にしているつもりでも、どうも人が私を見る目は違うようなんだな。 「態度がデカい」「ふてぶてしい」「傲慢そうだ」というのが私に対する印象らしい。 おかげで新東宝に入ったときも、最初はなかなか監督に使ってもらえなかったよ。 確かに入社早々、中古のルノーを乗り回していたがね。 まだ、ほとんどの先輩が車を持っていない頃だ。 加えて、私は知らない人間には挨拶というものをしない。 それは私が、単純に知らない人間に対して無関心なだけで、悪気はさらさらない。 当時は、こうした評判に尾ひれがついて「丹波哲郎は使うな」という申し合わせが監督連中の間でできてしまった。 半年間は、声もかからない。だから、私もな〜んもしない。 会社からも来年は契約しないよといわれたが、屈とも思わなかった。 「何も来たくて、ここに来たわけじゃない。私は、あなたたちが来てほしいというから来ただけですよ」 これはウソ偽りのないホンネ。 幸か不幸か、まもなく仕事はちゃ〜んとやってきた。こうした態度の大きさが生きるというのも、役者という 仕事の面白さだな。特に、外国映画に出たときは、「堂々としている」「日本人らしくない」という評価ををたくさんの人がしてくれた。 いまも、ショーン・コネリーと共演した『007は二度死ぬ』を見た人から、ファンレターをもらう。 それも外国人からだ。手紙を読むと、私の印象は彼らの日本人のイメージとは大きく異なるらしい。 『007は二度死ぬ』のときは撮影のために、ほぼ1年間拘束された。 火口湖の下に敵方の秘密基地があるという設定だから、巨大なセットが作られた。 セットの中に入るのに遊園地の汽車のような乗り物に乗らなければならなかったんだから、そりゃあ、スケールはデカい。 とにかく湯水のようにカネを使った映画だった。 そんなことより大事なのは、私が『O07』に出演してショーン・コネリーと共演するのは、 私が生まれる以前から、とっくに決まっていたということなんだ。 実は『007』の出演が決まる前に、こんなことがあった。 私は、自分で監督した『コレラの城』という時代劇を海外でも配給したいと考え、ちょうどロサンゼルスを訪れていたんだ。 宿泊したのがアンバーサダ・ホテル。 時刻は午前零時をまわっていたかな。コンコンとドアをノックする音が聞こえてくる。 普通、外国ではそんな時間にノックされても、危険なので相手にしないものだし、 しかも私は風呂に入っていた。 ところが私は何の疑問も感じずに、バスタオルを巻いたまま、ドアを開いて応対したんだ。 目の前の大男が語すのは、だいたい、こんな内容だった。 「この部屋の前の部屋に自分の友達がいるんだけど、いくらドアを叩いても起きない。 だから、ちょっと電話を貸してくれないか」 私は「いいよ」と、男を部屋に入れて電話をさせたよ。 私もこの頃はある程度英語が出来たんだが、彼が話すのはアメリカ語ではなく英国語。 これは私にも少々難しい。 彼が話す中で、一番はっきり聞き取れたのが「ショーン・コネリー」という名前だった。 さすがに私も、その名前は知っている。だが、顔は知らない。 というのも、当時のショーン・コネリーは私が尊敬するほどの俳優ではなかった。 『007』シリーズの大ヒットは知ってはいても、作品を見たことはなかったんだ。 まもなく電話は終わり、「サンキュー」といって彼は出て行ったよ。 それから9ヵ月後のことだ。ロンドンの映画会社のオフィスで彼に再び会った。 向こうから近づいてきて握手されたよ。ホテルでの出会いを彼も覚えていたんだな。 私はウィリアム・ホールデン主演の『第七の暁』という映画に出たのが縁で、 監督のルイス・ギルバートに推薦され、日本が舞台の『007は二度死ぬ」への出演がオーディションなしに決まったところだった。 それにしても、だ。世界に名だたる大都市ロサンゼルスで彼と出会った不思議。 市内には数百のホテルがあるだろうし、部屋数たるや数万に及ぶに違いない。 しかも真夜中、私は入浴中だよ。ノックされても出ないのが普通じゃ、ないか。 ところが、なぜか出てしまったんだな。そして9ヵ月後に再会したというわけだ。 これは偶然というより、彼と共演することが霊界で決められていたと考えるほうが自然だよ。 じゃあ、霊界はなぜ、そんなことを決めたのか。 それは、私が俳優としてもっと名前が広く知られることを考えてのことなんだ。 有名になり、注目度が高まれば、後の〃霊界の宣伝マン〃としての活動も、人々の耳目を集めることになるというわけだ。 つまり、ショーン・コネリーと出会ったことは偶然じゃないんだ。 そもそも、人生に偶然はない。すべては必然の産物なんだよ。 共演したショーン・コネリーは、まさに好人物。 いまだからいえる話だが、当時、すでに彼はカツラだったよ。 そんな彼も年輸を重ね、最近はすっかり名優としての風格が出てきたな。 いまでは、会えば、どちらかが「一杯お茶でも飲もうか」と声をかける、そんな間柄だよ。 《次回につづく》 |
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