丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

                  〜第5回〜 運命と宿命
                   《2001年1 月掲載》


 ●宿命とは

 俳優を例にとって説明します。
 我々の人生コースというのは、神様(神様の定義は別とします。ここでは説明しやすいので神様と表現します)が、シナリオライターとして書いた台本の通りに進行しているわけです。個人個人、一人一人がです。
 しかし、そのシナリオは、神様だけが最後まで知っているのです。それを演じている俳優も、見物しているお客も知らない。一般の芝居だと俳優は台本の初めから最後までを知っています。ところが、人生劇場という舞台の上では、一人一人の俳優、すなわち我々一人一人は、自分に書かれている台本を知らないのです。
 ただ、やってきたコースだけを知っているんであって、我々は自分に与えられた役目というものを一生懸命に演じます。俳優が、自分で工夫をして演ずる所作・セリフ・その他自分の情熱を込めて、感情を込めて演じたのがお客に伝わって、お客が感動します。でも、結末は知らないのです。
 だから、皆さんの周りにおきている様々な事故・事件も、既にシナリオに書かれていたわけだ。
 でも、いきなり起こるので、俳優もお客さんも知らないから、そこでもっていろんなドラマ、いろんな悲劇が起きてしまう。(ドラマという表現はあまりに酷かも知れないね)これが、「宿命」なんだ。


 ●運命とは

 次は「運命」だ。みなさんの周りで突然の悲劇が起こった場合、そこに置かれた時の自分の行動、自分の気持ち、自分の役割、そういうようなものをきっちり自分で善処する。そういうようなものが「運命」なんだ。

 たとえば、阪神大震災がありました。宿命としてその大災害の中に身を置くことになるが、その時、瓦礫の下から何人も何人も助ける為には、それこそ、爪がはがれてでもやろうとするに相違ない。そういった行動は、決められてはいるけれども、その方法は、一人一人違うと思うんだな。んー、これは……。
 例えそういうような中で、あなた方の対処の仕方がどうのこうので、たとえ死んでいかれる方々については、心悩ます必要はごうもない。
 あなたはあなたで最善を尽くしたんだからそれでいいんです。人の命も一秒のくるいもなくきっちり決まっているのですから……。
 これが「宿命」と「運命」の違いである。


 ●すべては修業

 みなさんはこう考えませんか? 運命から逃げようとしても、運命は追いかけて来る。必死で逃げても逃げられないと……。あまりに辛いのでこの最悪の運命を断ち切ろうとしていませんか? それでも、運命から逃げられないとお考えじゃないですか?
 今、あなたが感じている最悪の状態、どうしようもない状態……、それこそ大声を上げて「何で私が……」といって、大空に向かって怒鳴りたいような……、地に対してツバしたいような……。こういう状態こそあなたに与えられたチャンスなんです。
 ヘレンケラーは、目も見えないし、耳も聞こえない、全くの地獄の状態です。でも、ついにはあのようなやすらかな顔になります。
 ヘレンケラーの霊界での位置づけは(私は、ただ聞くだけで、自分では検証のしようがないけれども)ありとあらゆる研究の結果、最高峰のところにいらっしゃるようです。
 ヘレンケラー事態を客観的に見た場合には、こんな悲惨なことはないじゃないですか。
 ところが、それを克服したのです。その艱難辛苦というものは、どのようにして目覚めたか、ヘレンケラーの映画の中にも、描かれてはいないと思いますね。(霊的意味では)上っ面だけの映画だと思いますよ。
 彼女を助けるサリバン女史は、それこそ悪戦苦闘でした。体中傷だらけになるほど、ヘレンケラーにひっかかれ、噛みつかれていますね。それでも、彼女は目が見えない、耳が聞こえないというコールタールの海の中に突っ込まれたようなヘレンケラーを、そこから引っぱり出すことに成功した。
 自分のおかれた「宿命」、そして、自分のやろうとするこれからの「運命」……。
 なんでこの子の為にこんなことをしなくちゃならないのよ。なんで、私がこんなひっかかれたり、食いつかれなくちゃいけないのよ。給料がいったいそれに見合うのかなどと、悪戦苦闘の結果、ヘレンケラーはあのような落ち着きを取り戻した。彼女は、まるで光明の世界へ入った考えられないほど偉大な存在ですね。
 私の知人に、いきなり余命半年と告知された者がいた。普段夫婦仲が悪かったが、今やおしどり夫婦になってしまった。あと半年で死んでいく亭主と妻は、抱き合って一晩中泣いたそうだ。そういう「宿命」とそれに対する対処の仕方、これらを切り開くのが「運命」といえる。
 この男はしっかりと「宿命」に立ち向かい、奇跡的に快復にむかったが、残念ながらこの間、天界へ渡ってしまった。彼は、病院では明るいガン患者といわれ、同じ境遇の方々の光の存在となっていた。
 彼は、みごとに「運命」を切り開き、この世の修業をしっかりとおえ、笑って向こうに渡っていったと確信しています。