丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第31回〜
《2003年 3月号 掲載》


 
              恐怖からの解脱 〈5〉

    
  ☆仏教と「死後の世界」

  『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)全講』(岸澤惟安[きしざわいあん]著、大法輸)の第十巻「大悟」に、永平寺の道元禅師の前世が、中国唐代の禅僧(大梅[だいばい]の法常禅師)であったという記述がある。
 また、「昭和の白隠」とまで呼ぱれた山本玄峰老師の師匠の、そのまた師匠である伽山(がさん)和尚は、14歳のときに自分の前生がわかったので、その墓詣りに行き、育った家の跡や、葬式のことまで感得したと伝えている(大法輪閣『無門関提唱』より)。
 このように霊魂を認め、輪廻転生の事実を認めている禅僧が多いのは、おそらく、頭で考えるのではなく、腹で感じる修行(坐禅)をしているからではないだろうか。
 だが、もともとお釈迦さまは「死後の世界があるかないか?」といった質問には「ノーコメント」という立場であった。こう言うと奇異な印象を受ける人が多いだろう。仏教の経典には、それこそ地獄や極楽のことが多種多様に描かれていて、仏教こそ「肉体と霊魂」「死後の世界」の教えを説いた宗教ではないか、と思われても仕方がないからだ。
 しかし、仏陀の関心は、生・老・病・死という苦しみの元になる煩悩(ぼんのう)を滅却すること、そして輪廻転生の世界から解説して涅槃(ねはん)の境地に入ることにこそ、あったのである。
 にもかかわらず、仏陀の滅後、仏教が普及していくにつれ、仏教は「あの世」の問題に答えざる得なくなってきた。それは、そのような体験や霊感もつ人びとが多く存在したからだと思われる。
 大乗仏教を指導した高僧や優れた霊能者たちは、霊感を働かせ、その霊能力によって「あの世」の姿をキャッチし、教団に新しい息吹きをもたらし躍動したからではないかと思われるのだ。もちろん、このことは私なりの推測あるいは解釈なのだが、このように考えてはじめて、いささか原始仏教とは異なる大乗の教義が、同じ「仏教」として継続された真の理由が理解できるのである。

 今でも、同じ仏教徒のなかにも「現世の延長としての輪廻を認めない」「霊魂を認めない」と主張する人びとがいるかと思えば、「肉体は亡びても、霊魂は不滅である」と説く人びとがいたりする。
 しかし、頭では否定していても、誰もいない、本堂から話し声がしたり、檀家の亡くなるときに知らせがあったりと、お寺での不思議な現象を眼の当りにして、霊魂という存在を認めざるを得ない僧侶も少なくない。
 釈尊だって、死後の世界を問題にしなかったわけではない。もちろん、今をどのように生きるかが、もっとも大切なことではあるが、一般の信者たちには「善行を積めば、来世で幸福が約束されている」と説いているのだ。
 尚、先の白隠禅師とは、臨済宗の名僧だが、その「施行歌(せぎょうか)」には、

  この世は前世の種次第   未来はこの世の種次第    ……  
  この世はあずかの物なれば   よい種選んで蒔き給え


 という、まさに自業自得の道理を歌った文句がある。困ったことや悲しいこと、病・貧・争といった不幸の原因は、罰でもなければ水子の崇りでもない。自分の蒔いた種が芽を出し、花を咲かせ、実を結んでいるにすぎないのだ。だから人生の悩みには、それは「過去に蒔いた種を刈り取りなさい」ということだと思って、勇気をもって逆境に立ち向かうことが必要なのである。逃げてはいけない。それでこそ人格、魂は向上するのである。
 「生まれ変わり」を示す諸事例は、前にも述ぺたように「霊魂が存在する、幾世代にもわたって存続する」という仮説、前提を立てないことには説明がつかない。そして「生まれ変わり」は、すなわち「死後の生命」と深く関わってくることになる。否、霊界が存在するからこそ、「生まれ変わり」は必然的なものとなってくるのである。



  ☆死んでゆくとき

 私が、あの世について研究を始めたのは、そもそもが「死ぬ聞際も堂々としていたい」ということだった。
 そうした意味からも、死に際(死んでゆくとき)の実精は、私自身にも明確にされているぺきだという考えもあるし、霊界研究の基本だという思いもある。
 シカゴ大学の精神医学部教授だったE・キューブラー・ロス女史が、300人以上の臨死患者などとのインタビューをとおして研究したものがある。この『死ぬ瞬間』、『続・死ぬ瞬間』(川口正吉訳、読売新聞社刊)は、医師や看護婦の必読書とされているが、それによると人間は、自分が死に直面していることがわかると、5つの段階に分けられる、さまざまな反応をする。

○第1段階「否認と隔離」
    自分の病気が末期疾患であると打ち明けられたとき、それを否定することに
    よって、生きる望みをえようとする。

○第2段階「怒り」
    否認という第1段階がもはや維持できなくなると、怒り、羨望、恨みなどの
    諸感情が、これにとって代わる。周囲の者が元気で暮らしているのに、何故
    よりによって自分だけが死のクジを引いてしまったのか、という気持からくる
    慣りがこみあげ、看護婦や医師、家族の者に当り散らす。

○第3段階「取り引き」
    延命の願望である。痛みと肉体的不快のない日が、あと幾日か欲しいという
    願望である。

○第4段階「抑鬱−よくうつ」(嘆きと悲しみ)
    二度三度の手術や、入院加療を受けつづけ衰弱が加わってくると、大きな
    ものをなくしたという喪失感(反応抑鬱)にとらわれる。
    次に患者を襲ってくるものは、この世との訣別を覚悟するために経験しなけ
    ればならない準備的悲嘆である。

○第5段階「受容」
     いくつかの段階を経ると、自分の運命について抑鬱もなく怒りも覚えない、
    ある段階に達する。静かな期待をもって、近づく自分の終焉を見つめること
    ができるようになる。

 このように人間は死を悟ると、否認、怒り、嘆き、絶望から受容まで、さまざまな「死に際」を示すことが医学的に研究されているのである。

 以前、病院で2人の患者にインタピューしたテレビの画面が、私には印象深い。
 1人は女性で50歳の小学校の先生、1人は同年輩の男性で工学技師だったが、インタビューで「3ヵ月の命だそうですが」と聞かれた女性が、さわやかな笑いでそれに答えていた。
 私は俳優だから、つくった笑いか、ほんとうの笑いかを適確に判断できる。彼女の笑顔は、偽りの一点もないものだった。
 女性のほうは、死んだ母や、大好きな兄に会えることが最大の楽しみであり、男性のほうは、自分は愛を貫いて生きてきたのだという自信があり、それはまもなく花を開き、天界層へ行けるのを楽しみにしていた。
「肉体的苦痛は、薬品の力を借りて、ことごとく消えるから何の不安もない」と、二人とも完全に落ち着きはらい、大安心の心境だったのが、今でも目に焼きついている。
 このように、たとえぱ余命3ヵ月のときに、その3ヵ月で間に合うように、あの世に関する知識を与え、「生命が永遠である」ことを納碍できるように、やさしく話を進め、恐怖の黒幕を取りのぞいて、大なる希望をもたせ、そして少しでも肉体的苦痛を感じさせずにこの世を去らせることが、いかに大切なことか、いくら繰り返しても繰り返し足らない。
 より人間らしい死を迎えるためには、よりよく生き、かつ「死後の世界の存在」を確信することがどのように大きな意味をもつか、よくおわかりいただけたと思う。



  ☆ホスピスの登場

 1983年秋に、大阪で第10回世界精神学会が開催され、その分科会「現代社会と死」は、今というこの時代に、死をどう扱うべきかを主題にして、大きな話題を呼んだ。
 多くの民族は、その「死者の書」を持つ。中世ヨーロッパの教会には「死の芸術」(アルス・モリエンディ、ラテン語)という言葉があった。すなわち、過去の罪を懺悔し、神への祈りのうち死を迎えることであり、かっては「いかに死ぬべきか」について、豊富な知識を持っていたのだ。しかし現代医学の進歩とともに、そうした「死ぬ技術」は忘れ去られてしまった。先ほどの世界精神学会の分科会は、そうした風潮への反省もこめて注目されたのである。
 現代医学は、その進歩の度合いに比例して、人間の生命を一寸刻みに引き延ばすことに成功しているが、それはまた、人間から一歩一歩「死」を遠ざけていることにもなる、つまり、医学にとって「死」はタブーになってしまったのだ。
 私たちが「人間なぜ死ぬのか」「死んだあとはどうなるのか」と問うても、現代の医学は黙して語ろうとはしないだろう。「いかに楽に死ぬか」というような、死のハウツーの視点はあっても、それは「人間の死」そのものの解明ではない。
 だいたい病院というところは、病気を治すのが商売であり、少しでも長生きさせるためには全力をつくすが、今まさに死んでゆきつつある患者の心に平安をもたらすことには不向きな側面がある。したがって「病院での死」が往々にして、人間らしく死ぬことの妨げになるという指摘もあり、そうした反省から登場するのがホスピスである。
 そもそもは、19世紀の半ばにアイルランドのメリー・エイケンヘッドが、奉仕活動をしていた養老院をホスピスと名づげ、病気のために死にゆく人びとを集川めたホームやハウスをつくったことに始まるのだが、ホスピスとは、ラテン語(HOSPITUM)から出た言葉で、親切に客をもてなす意味から「人が死ぬまえにやってきて休息する所」として使われるようになっている。
 欧米のホスピスでは、死ぬとわかった末期患者には、その死を告知し、病気の苦痛をやわらげ、その人が、その人らしい生を完うして、安らかな死を迎えるための援助が、医療に優先して行われている。また患者の家族のためのプログラムも含まれている。
 イギリスでは第二次世界大戦のころ、ケースワー力ーだったシシリー・ソンダースが、セント・ジョセフ・ホスピタルでの経験から、死にゆく人びとが何を求めているかを知り、1967年にロンドン郊外に、セント・クリストファー・ホスピスを設立し、その運動を広めている。しかし、この運動は多くのボランティア、それも充分に訓練を受けた人びとの手を必要とするので、まだまだ多くの障壁を乗り超えていかねばならないだろう。
 日本にも昔、仏教ホスピスがあった。『往生要集』の薯者・源信は無常院を創設しているし、他にも浄土系の僧たちによる往生院とか、涅槃堂という末期ケア施設かあり、病気の治療だけでなく、念仏を唱えたり、心を安らげる、死を看とる看護が行なわれていたのである。
 最近では浜松市に三方原聖隷(せいれい)病院、松山市に「聖愛会」(松山聖ベテル病院)、大阪市には淀川キリスト教病院、福岡県には福岡亀山栄光病院などがある。
 基本的な患者との応対例を一つあげると、〃あなた死ぬ人、私もやがて死ぬ人〃という、現代では少なくなった観点からの会話、例えば「先生もうすぐ(あの世へ)行けそうです。わたし先に行ってますから、先生もきてくださいね」「ええ、いつ行けるかわかりませんけども、待っていてくださいね」というような会話が、そこでなされているのだ。もし、来世を信じているならば「私たちも後から行きますから」「また会いましょう」という言葉に、素直に頷くことができるし、平然と死を迎えることができるであろう。

 私は、ホスピスによってどれほど手が差しのべられても、死後の世界の存在を確信している人びとと、そうでない人のあいだには、やはり大きな差があるのを、強く感じている。「死後の世界」を信じている患者の顔は明るく、そして実に柔和な表情をしているのだ。 「死を恐れる」ことを克服するには、やはり「生と死」を、常に目をそらさず、じっくりと見つめることだと思う。そして、生命の永遠、つまり「あの世」や「霊界」の存在を確信することが貴重な第一歩だと信じている。
 「死んだらどこへ行くのか」と問われたとき、どう返事をしたらよいのか。どうすれば死を肯定できるのか、おびえずに死を迎えられるのか。死を直前にした人びとの悩みを解決すること、それこそ宗教家の役割にほかならない。
 浄土真宗本願寺派でも昭和62年にビハーラ(サンスクリット語で、休息の場所、僧院という意味)実践活動研究会を発足させている。
 「人間は、いつか死ぬ」。これは平成6年の春、京都の仏教大学が制作した宣伝用ポスターの言葉である。同大学では仏教看護コースを設け、終末期看護(ターミナル・ケア)に従事する人を養成している。
                                          (つづく)