丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第26回〜 丹波哲郎が日本の将来を憂う
《2002年10月掲載》



   今回は、心霊関係から少し外れてしまいますが、
   現代社会における若者について語っていただきました。


    
  ――人の迷惑を気にしない脳みそ何グラムの茶髪の若者


丹波  日本の将来を考えながら現在の若者たちを観察すると、ただ目にするのは、物まね的な若者が圧倒的に多いということだね。個性のない若者たち、いちばん言語道断なのは、茶髪の若者なんだ。

 茶系統の顔に茶系統のヘア、その似合わなさといったら、目がいきなりそういうふうなものにぶつかるというと、あっけにとられるんだよね。美的感覚というものは全くどこかに喪失しているんじゃないかなと思うほど、物まねでやっている。ただ、流行を追っているということだね。

 私は1週間や10日間とかじゃなしに、長期問海外に滞在して帰ってくると、日本人の顔は種々雑多。ただそこで統一されているのは、ブラックヘアなんだ。髪だけが全員真っ黒。この見事さには、それまで全然気がつかない。外国から帰ってきて初めて庄倒感をもって目にとび込んでくるんだ。ところが今の若者はというと、見てくれの悪いのほど茶色に染めている。黒髪のすばらしさが分からない。不思議な現象だな。茶髪といったら、回って顔を見なくたって、あれはブスだなって分かるんだもの。ブスだから「菌」みたいな感じになるんだ。いや、汚い、汚い。こちらには不潔感だけが残る。

 芸能界のバカが、アイドルみたいなのがまねたのを、またそれを見てまねているんだよね、だから、その元凶は芸能界にあるんじゃないかな。脳みそ何グラムの者が怒濤のごとく染め出しているわけだよね。

 そういう子に限って、電車の中で物を食べたり、携帯電話をかけたり、化粧をしているんだね。恥ずかしげもなく鏡を見ながらずっと化粧をし続けている。こういうのは人の迷惑、人の視線なんていうのは全く気にしていないんだ。前頭葉がおかしくなっているんだろうね。


  ――道路まできれいにする掃除は玄関を引き立たせる

  だから、茶髪の若者に対しては薄みっともなさだけを感じる。このような者に、我々が何かを残してやるなんて、ばかばかしいや、というぐあいに考える。

 日本ということを大事にしている若者だったら、積極的にこっちも、どうしてもお願いしても協力させてもらいたいという気持ちになるけれども、こんなバカ者たちのために何かをしてやるという張り合いも、理由も、希望も、喜びも、何もない。力が抜けるね。

 同じ日本人だということだけで、そういう狭い考えだけで人に親切にするとかしないとかいうじゃないんだ。外国人だって同じ。私も外国人として向こうへ行って、いろんな親切をしてもらったことがあるから。

 例えば、門の前を掃除するにしても、道路が汚れていては、いかに玄関を磨いてもだめなんだよね。道路がきれいであって玄関もきれいでなければ、玄関、要するに門は引き立たない。ところが、ここからが家だからといって、門の内側だけをきれいにしたってだめなんだ。やはり手の届く限りの道路は、隣の家の前にも行くだろうけれども、相当広範囲にきれいにして初めて全体がきれいになる。それと同じなんだな。

 だから、自分だけというんではなく、そういう自分とは縁もゆかりもない名前も知らない者だけれども、なるべくだったらば、やはりこっちから見ていて見てくれのいいような姿にしてもらいたいと思うのは、これは人情だね。茶髪は不潔そのもの、白分本位だということ。世の中、お互いに相手のことも考えて気配りをする余裕を持ちたいものだね。