丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

             〜第2回〜  私はなぜ俳優になったのか

                    《2000年10月掲載》


●人間は誰しも使命を持って生まれてくる

 使命というのは、職業に貴賤の差がないと同じように、使命そのものにどれが重たい、どれが軽い、どれが尊いなどということはありません。ただ使命を感じ取れるかとれないか、また感じ取れる時期が大事であってほとんどの人は子供の頃はわからないと思います。
 平均して使命に気が付くのは、30代入った後先くらいかと思いますね。
 ぼくは確かに霊界について皆さんにこういうところがあるんだと伝えろというのが私の使命なんです。


●霊界の宣伝使としての使命の気付き

    〜何をやっても落第〜

 私が自分の使命に気付いたのが、30才の半ば頃だと思いますね。
 常に落第し続け、生かされてきたぼくは、中央大学の法科を卒業しました。法科は司法がメインですが、私は行政の方でした。すなわち外交官的な者になろうということで努力しました。すなわち高等文官試験の準備を一生懸命やりました。
 ところが入れない。試験という試験はすべて落ちてしまう。そうこうしているうちに、ぼくは学徒兵として連れて行かれてしまう。甲種合格です。50万人の学生兵の中で大学生というのは、わずか5万しかいない。あとは、専門学校・中学生です。中学は5年生まででした。ですから我々は、軍人の中では幹部候補生中の幹部候補生ですよね。
 ところが、その5万人の大学生の中で、これはうちの隊に「いらない」と、たらい回しにされた挙げ句の果て、生き残ったのがこの私です。

 まず、私は東京出身ですから近衛です。軽機関銃です。最も危ないところだね。
 軽機関銃隊が行くところは、前橋の予備士官学校。他には、満州・豊橋とあります。前橋が最も戦死していますよね。私が優秀ならば前橋へ行っていたでしょう。
 私はどこの隊、どこのセクションへ行っても「いらない」と言われ、今の横田基地に配属されてました。受け持ちは、戦闘機に砲を付けること、または機関(エンジン)です。
 私は、エンジンのエの字も知らない。テレビが乱れたらなおすことも知らない。車が止まったらボンネットをあけてもどうしようもない。何の知識もないんだから。
 当然私は、戦闘機に砲をつけるのを選びました。
 何でそっちを選んだかというと、訓練期間がエンジンの方の7ヶ月に対して、3ヶ月だったからです。
 そして、『キの63』というB29を襲撃する砲4門(翼内2門・胴体2門)、おまけにいつ引き金を引いても自分が搭乗している戦闘機の3枚のプロペラを打ち抜かないで300m先の30cmの的に集中させるなんていう芸当は、逆立ちしたってぼくにはできない。当然落第です。
 360人各部隊でうちにはいらないと言われたくずの中でさらに落第。
 自慢げに言っているけどそうじゃない。使命の話をしているんです。


   〜クズの中のクズは、勲章中の勲章だった〜

 だから、合格した場合、ほとんど私の同期の者で正常に作動して、前橋の予備仕官学校から行った者は、軍曹の階級で、フィリピンへ渡って見習士官になって10日から20日の間に手榴弾自殺している者が多い。
 航空隊に行ったクズの中でも、成績のまだ良かった者は、潜水艦でほとんどやられている。私たち36人残ったクズは兵ではない。その時の階級は軍曹、座金の軍曹。いずれ幹部になる階級です。
 使い道がないので、軍隊はじまって以来の命令が出ました。
 「目立たなぬように起居せよ」
 目立たぬように暮らせというのだから、死にようがない。
 すべて霊界の宣伝マンになるようにと方向付けられている。そこでもまだ、使命は気付かない。戦争が終わりました。なんたって立川(東京都立川市)にいたのですから、一週間で帰ってきました。

   〜GHQ通訳で逃げ回る〜

 外務省では、通訳を募集しました。昨日までは鬼畜米兵ですから、通訳のなり手がない。
 だから、外務省では困って大学の英語会話会をピックアップしました。私は中央大学時代、英語会話会に入っていた。英語を習いたいんじゃない。ただロッカーがほしいため。英語会話会と新聞部だけは願書を出せば入れてくれるんです。他の学会は試験がある。試験と言ったら大概ダメなんだ。
  あとは運動部なんだ。だからぼくは半年くらいラクビー部に籍をおいた。今でも寄付をさせられていますよ。
 ラグビーは辛いから辞めて……。英語会話会でノタクラノタクラしているうちに戦争になった。外務省ではそんなことは知らない。肩書きはチェアマン(議長)なんていうのが付いていましたから「来い」の一言で面接。
 で、英語がしゃべれるかと英語で当然相手は聞いてきますよね。それくらいわかりますから……。当然英語で答えなくてはなりませんね。
 なんと答えたかというと「Just a little bit」。
 この発音がみんな出来ないんだ。ところが、私は英語が出来て出来るんじゃない。中学の時カナダから帰って来た2才年上のほとんど日本語を忘れかけたヤツが、隣にすわったばかりに、耳がいいから彼の発音を難なく吸収してしまった。
 それが原因で、マッカーサー司令部の通訳を命じられた。
 2年間は何か聞かれたら地下室へ逃げる、トイレへ閉じこもる。
 こんな生活に飽き飽きして、あんな贅沢ところを辞めしまう。


   〜霊界から俳優にさせられた〜

 それから、兄の経営していた会社に行くがこれも半年で追い出され、次に東海自動車という会社に勤めた。ここでは、社長派と専務派が対立していて、社長派が強かろうと思ってそちらに付いたら、専務派が勝ち3ヶ月で追い出されてしまった。さらに油糧砂糖配給公団というところに勤めるが、2年後にまた追い出されてしまった。
 そこで、朝寝坊できて楽な仕事はないかと考えたら「俳優」があった。
 そこでは、自分の力をフルに発揮した。
 昭和27年に、電通映画制作・新東宝配給の映画「殺人容疑者」で主役デビューした。それからトントン拍子に現在まで至る。自分では努力のドの字もしていないのに、今日あるということは、実に不思議でしょうがない。
 しかし、俳優になったからこそ、宣伝マンとしてのお役目をスムーズに達成できる。
 そうするとこれは、不思議でも何でもなく、全て決まっていたことなのだ。全部この霊界の宣伝マンとしての方向へ方向へと行っているんじゃないですか。

 私のように、使命をお感じになっている皆さんは幸いです。是非、それに向かってどうぞ邁進して下さい。これぞ生きるための一番大切なこと、使命に貴賤はありません。職業に貴賤がないのと同じです。