丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第32回〜
《2003年 4月号 掲載》


 
              恐怖からの解脱 〈6〉

    
  ☆死の予知

  エマニュエル・スウェーデンボルグ(1688〜1773)は、10余年に及ぶ大著『霊界著述』を著わし、その原稿がロンドンの大英榑物館に大切に保存されている大霊能者だ。

「私は20余年間に、肉体をこの世に置いたまま、霊になって人間死後の世界、霊の世界に出入りしてきた」(叢文社『私は霊界を見て来た』今村光一抄訳・編)という書き出しの、18世紀に書かれたこの書は、今日でも世界の奇書ナンバーワンとされている。ちなみに大科学者でもあった彼の、地獄の見聞報告は、信憑性が高い。

 日本で紹介されたのは、明治の中頃に、禅学者として世界的に名を知られている鈴木大拙(1870〜1966)による『スウエーデンボルグ伝』が最初である。
 彼の場合、死ぬ一年前に「1772年3月29日に私は死ぬ」と知人への手紙に書き、その日にロンドンで死んでいる。

 また『予言集』で知られる占星術師ノストラダムスも、1566年7月1日の朝」という日時ばかりか、自分の死ぬ場所や死因までを詳しく10余年前に予言して、そのとおりに死んでいる。

 日本のエピソードからいえば、私は、映画『大日本帝国』東條英機の役を演じたが、彼らA級戦犯は、コツコツと執行官の靴音が響いてくると、ある一人がサッと立ちあがり、「お世話になりました」と皆に礼をいう。すると、かならずその人が死刑場へと連れていかれたということである。

 京都大学の佐藤幸治教授は、山本玄峰という禅僧を「天寿を完うした死」の例として述べている。玄峰老師(1866〜1961)は90歳の誕生日を過ぎるころから、自分の死を悟るようになった。いよいよそのとき、お酒をうまそうに飲み干し、「族に出る。着物の用意をしなさい」と言って遷化(せんげ)されたそうである。まさに生死一如、人間の死にざまとしては理想的だろう。

 こうした大往生は、誰でもが経験できるものではないが、このように完壁でなくても、人は自己の死を予知、ないし自覚するものである。

 1950年代の初めごろ、東名古屋国立病院の深津要第一医長を中心に、国立療養所などの医師グループが「死の看とり方」の研究斑をつくった。その活動ぶりをまとめたのは、濱田美智子さんという女性評論家で、月刊誌『現代』の1974年1月号に「死ぬ間際に人は何を考えるか」という標題で掲載された。結核の臨床医だった深津医長らがこの研究班を発足させた動機は、つぎのようなものである。

「私は一臨床医として、患者の生命を救う手段が尽きたとき、いったいその患者をどう扱ったらよいのか、患者の心をどうやって明るくしたらよいのか、死におののいている末期患者の気持ちをどうやって静めたらよいのか、など一つずつ煎じつめた結果、死の看護の問題にぶつかったのです」

 こうして地味な調査研究が20年間にわたってつづけられたのだが、実に83パーセントもの人が、自分の死にたいする予感を、はっきりと強くもっていたという。

 人間には、視覚・聴覚・味覚・触覚という五感があり、ここでしキャッチした体外情報は脳に送られる。この五感の上に位するのが、いわゆる第六感というもので、これらか優れている人は、よく「ヒラメキが鋭い」などと言われる。遠方にいる人が、肉親や友人などの死を感じる〃虫の知らせ〃もこの類である。

 しかし、六感の上には、さらに七感がある。七感は、死の直前になると現われてくる。死が真近になると、子供のころから現在までの人生が脳裡に浮かんでくる。それは、ほんの短い時間だから、あたかも走馬灯をみるかのごとくである。よく溺死寸前に助かった人間が息を吹き返すと、「自分の一生をみた」と言ったりするが、それはこの七感が鋭敏になったためである。

 これが働き出すと、人間は天井をとおして星を見たり、壁の向こう側の風景をとらえたり、寝ながら瞬時にして東京から九州へ行って人に会ったりする。だから重病人が、ある日「どこそこへ行ってきた」と言ったら、死が近く、まず一週間以内と思ってよい。「星が見える、星が見えるよ」「天井がない、屋根がない」なども同じであり、いわば、死にいくものの〃死の予告〃の一つなのだ。すなわち第七感である。



  ☆死ぬ瞬間の様子

 人間が認識している「死」とは何かを、さぐってみよう。医学的な意味でいえば、心臓および呼吸の不可逆的停止と、瞳孔(どうこう)の収縮反応停止をもって「死」と定義している。不可逆的停止とは、あらゆる蘇生術を施しても、心臓あるいは肺が自律的に運動を再開しない状態である。

 心臓が停止し、呼吸がとまり、同時に脳波も停止したとする。つまり、死である。脳波が停止することによって体中のすべての感覚は消減し、一個の「物」となると考えるのが普通である(事実はまったく逆だが)。

 1966年、ドイツの7人の科学者グループが霊魂測量装置を開発している。彼らは、人間が死んだ時、その肉体から脱けだしていく水分やガスなどすべての物質の発生量を測定し、その結果「霊魂の重さ」を発表し、世界にセンセーションを起こした。その重量変化は、約35グラムから約60グラムといわれている。これが幽体の重さに相当すると考えてよい。

 彼らの説に「私の計測では69・5グラムである」と主張したのは、オランダのザールベルグ・ファン・ゼルスト博士である。そしてイギリスのダンカン・マクドウーガル博士の測量結果では、その重さは正確に英国法定の2.4オンス=約68・85グラムであったという。

 死の瞬間、幽体が肉体から分離していく様子を、克明に記録した人たちは過去に何人もいるが、先のゼルスト博土ダンカン教授たちは高周波を利用した撮影装置を発明し、霊魂そのものの撮影に成功した。人類はついに人間の死を、物量的かつ視覚的に確認することができたのである。

 旧ソ連アカデミー生理学研究所でも、特殊な装置によって幽体離脱の過程撮影に成功している。そのファイルには次のようなシーンが収められている。

 ベッドの上に横たわる患者の心電図も脳波測定器も停止した瞬間から、患者の体に奇妙な現象が起きる。体の輸郭と同じ形をした影が、足もとから頭の方向に向けて縮んでいくのだ。その影は最終的に頭部に集まってくる。

 しばらくたった後、直径30センチ程度の球形となって、頭部から外界にユラユラと出ていく、この球形の物体が幽体、いわゆる人間の霊魂と考えられている。この糸状の物質は、普通肉眼では確認できないが、特殊装置で撮影すると、銀色で強い放射光を放っていることが分かる。体外に出た霊体は、本人の上空にしばらくとどまり、自分自身の死体を見おろした後、急速に上昇し、宙天の一角を目ざして飛び去っていく。



  ☆近似死体験について

 私は方々から講演を頼まれるが、そのたびに手をあげてもらうと、「死んだら、それまでだ」と考えている人が非常に多い(それでも最近は半分以下になってきたが)。

 「死んだら、それまで」と思っていると、どうしても、自分さえよければ他人はどうでもいい、という生き方になりがちだ。そういう生き方をして、死んで万が一、あの世があったときに「しまった!」と悔んでみても遅い。「こんなことなら……」と千万億悔ゆるとも、開けて悔しき玉手箱、葬式すませて医者話し、火事場の後の火の用心なのだ。用心に越したことはない。それよりは「生命は永遠だ」という前提のもとに、愛を心のなかに育てあげながら暮らすほうが、はるかにいいし、死ぬときも楽なのである。

 日本の歴史上には、さまざまな辞世の歌が残されているが、そのなかでも安らぎが強く現わされているのは、死後を信じている人びとの歌である。


     天地の清き中より生まれてきて   もとの住家へかえるべきなり
                                       (北条氏康)

     このほどは浮世の旅に迷いきて  今こそかえれ安楽の空
                                       (黒田長政)

     借りおきし五つのものを四つ返し  本来空にいまぞもとづく
                                       (一休)


 いかがであろうか。死は人生の出来事の一つ、一段落という感じが印象深く出ているのではないだろうか。とすれぱ、死を怖がったり、忌み嫌ったりする必要はなくなるのだ。

 ところが現代人は、自分の目で見なくては信じないという傾向が強く、これが死後の世界の存在を信じる大きな妨げとなっている。

 とは言っても、いきなり「死後の世界」と言うと、なにやら非科学的な話、抹香臭い話、うさん臭い話、突拍子もない話、らちもない話と思われる方も大勢いるに違いない。

 だが、人間が死ぬとどうなるかということ、これは克明にデータが出ているのである。

 現代の人は科学的データに基づく証左さえあれば、納得してくれる。ありがたいことに、霊界についてのデータは山ほどある。おびただしい数の近似死体験レポートである。1982年、ギャラップの世論調査によると、アメリカだけでも800万人もの臨死体験者がいるのだ。そして全世界のいろいろなところで、毎年200万人くらいの人びとが近似死(ニア・デス)から再び蘇生しており、体験の様々を報告している。しかも、それは驚くぺきことに、場所や人種を問わず、ほとんど同一の事実ともいえるほど酷似しているのだ。私自身、同様の体験をした日本人のデータを集めているのだが、やはり結果は同じであった。

 平成6年9月29日の東京新聞によると、杏林大学医学部のグループが、生死の境をさまよって蘇生した患者の三人に一人が「臨死体験」を経験していると報告している。
「川を歩いて渡る」とか、自分の人生を振り返る「パノラマ的回想」や、暗い道を抜けて明るい場所に出る「トンネル現象」などを、それも夢とは異なって、体験者の全員が鮮明に記憶していたのである。

 秦葭哉(はたよしや)教授は「意識不明の人が、客観的に自分の姿を見ているとすれば、意識がない患者に対する、医師の治療態度にも影響するのではないか」と話している。

 医学の進歩、とくに蘇生術が急速に進歩している現代では、死にそうになって蘇生する体験者は、これからも増えつづけ、同時にその体験報告が記録される機会もますます多くなるだろう。

 平成3年、NHKスぺシャル「立花隆レポート、臨死体験」の放送は、大反響を呼んだ。他にも「衝撃の臨死体験! 私は三途の川を見た!!」という番組があったり、「死後の世界」を扱った本の売行きも好調とかで、一種の「死後の世界」ブームになっている。

 この〃幽体離脱〃体験に対しては、心理学・生理学・神経学・精神医学・薬学などの分野から検討が加えられている。

 たとえば心理学的には、近似死体験とは「死に瀕した状態で現れる心理の反映ではないか」という観点から、「死後も生きたいという願望の反映だ」という説や、「他人の話や、本で知っていた、あの世を見たいという期待感の反映だ」など、何種類かの説があるが、実際の近似死体験は、どの説にも合致しない。

 同じように、生理学的あるいは神経学的には、「大脳が酸欠状態に陥ったために生じる現象ではないか」という観点から検討されたか、酸欠になっていない近似死者や、逆に脳損傷による近似死者の場合、その近似死体験は説明がつかないのである。

 さらに薬学的には、「死の前まで使用されていた治療薬の併用で、幻覚症状を起こしたのではないか」という観点で検討しうるが、幻覚誘発性のある薬剤や鎮痛剤を投与された人はほとんど近似死体験をしていない。また一般に、麻薬による幻覚は個人差がはなはだしく、近似死体験のように共通したパターンで幻覚を見ることはありえない。

 人間が死ぬとどうなるかについては、『死ぬ瞬間』(読売新聞社)の著で有名な医学者E・キューブラー・ロス博士『かいまみた死後の世界』(評論社)レイモンド・R・ムーディJr.博士『死の扉の彼方』(第三文明社)モーリス・ローリングズ博士らが、それぞれ独自に収集した近似死体験者の事例をもとに、科学的アプローチのもとで研究を続け、詳細な報告を行なっている。

 そこでわかったことは、世界中で独立して研究が行なわれたにもかかわらず、死んでゆく過程は共通する点が多く、古今東西のどの研究者も〃死後の世界〃の存在を確信する結果をえたのである。現代医学の先端に立つこれらの人たちによって、科学的に調査・分析された近似死体験者の体験の収集から、じつは人間が死んだとき、ほとんどの人がたどる経過のモデルもすでにできているのである。

 では、その共通する体験とはなんなのか。
                                          (つづく)