丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第42回〜
《2004年3月号》




          あの世で幸せになる話〈1〉

                平成15年4月25日 『はかた南無の会』 講演会より


 
  ★ 霊界研究で45年


 僕は、明けてもくれても霊界研究で、45年やって来ました。

 僕の女房殿はスポーツ選手だったんですが、ある日突然立てなくなりました。七回忌が終ったばかりですが、いまだに原因不明です。

 東京にいる場合には、月に一ぺんくらい外出する機会がある。足が悪いですから、僕は誰が見ていようと、車椅子を押すのは平気なんです。ところが女房殿は嫌がって、そんな余計なことはしないでくれという。女房は女房の子分がおりますから、それが引いたり背負ったりする。

 いちばん多く行ったのはハワイです。連続して17回行っています。ところが僕は何べんかは海岸にサンダルを引っ掛けて行った記憶がありますが、ほとんど海岸にも行かない。興味がないんです。興味がないと、ただでも行かない。例えば道楽でも、夜の銀座では、僕を連れてきたら、一年間ただで飲ませるというクラブもあったくらい行かないんです。興味は霊界ばっかりです。

 何世帯か仲間をハワイに連れて行きましたが、真夜中にいつ起きても、私は中央のリビングルームにひっくり返って本を読んでいる。

 ニューカレドニアというのは天国に一番近い島といわれているが、その島でホテルの部屋から出て行くのは、食事をするときと仕事(ロケーション)だけです。

 それくらい、明けても暮れても霊界の本を読みました。読んで読んで読み抜いた。

 その頃の霊界資料は、日本人が書いたものは少ない。僕は多少は外国語もやったけれども、原語で書かれていみものを読むほどの力は、部分的にしかない。字引を使わなければ駄目だ。英語くらいだと少しはいいけれども、他のものはまるでお経と同じで、分からない。

 僕の長い間の経験で、夜中の2時から明け方の4時まで2時間は、頭に脳にハートに染み入るほど入ってくるアワーです。これを45年間続けてきた。だから僕がこういうところに来ておしゃべりをするのは、霊界の話以外には本当に何もない。

 だから今日は、「俳優丹波哲郎」では話にならない。皆さんはがっかりするだけだ。霊界研究者としての僕だったらば、何かお役に立つところがあるのではないかと自負しております。

 これから僕がお話するのは、全部「受け売り」です、よろしいですか。僕が考えて霊界事情を話せるわけじゃない。要するに僕が感じ、私が見て、それでお話するのはごくわずか。そのわずかな体験談からお話ししましょう。

 まず、ロンドンのドーチェスター・ホテルの中で、僕が経験した話からやります。



   ★007との最初の縁

 『007』のショーン・コネリーとは、その約1年前にロサンジェルスで出会いました。ここから話さないと、話が面白くない。

 僕が松竹と一緒に作った時代劇があります、僕がプロデューサーですから、宣伝も私が引き受けます。まずハワイ、それからロサンジェルスサンフランシスコなど、日本人がたくさんいるところが僕の受け持ちということで、松竹のルートで取ったホテル、確かアンバサダーホテルだったと思います。その当時の都市でいちばん大きいのがロス、ホテルの数から何からいっても抜群に多い。その中の一軒、だから、例えばこの広い会場でパチンコの玉を一つどこかへ落としたとしますか。それを捜すほど、同じ部屋で出会うという確率は少ない。

 ここで僕の、あまり自慢にならないことを、あえてお話をするのは、真実性を持ってもらうためです。

 アンバサダーホテルには、彼女を連れていった。今もう女房殿もいないから公然といいますが、ホテルで、夜12時過ぎに、ドアをノックする馬鹿がいる。

 今だったら出ませんよ。ところは日本じゃありませんから、夜中の12時頃にドアをノックする者に対して、「ハイ」とか「オオ」とか「エエ」とか言いませんよ。

 僕がアメリカ本土に行ったのは、そのときが初めてです。それまではハワイ止まりです。アメリカ本土が、どのくらい危険か知らない。

 先に彼女が、シャワーを浴びていたのでタオルを巻いて裸で出ちゃった。さすがにドアは開けませんよ。どんな馬鹿でも。あれは英語の工の字もしゃべれないのに何かやっている。おかしいな、何かもめているのかなと思いながら、あるいは日本人が誰か面会に来ているのかなと、善意で出て行った。

 そうしたら、チェーンを掛けてドアを、ちょっと開いている。言っている相手は、何か困っているようで、僕が「何か用?」と聞いた。そうしたら「あなたの前の部屋に友達がいるのだが、いくらノックしても出ない。だからあなたの部屋の電話を貸してくれ」という。大きな男でした。「ああ、いいよ」と言って、すぐに電話器を取ってのぞいて部屋の番号を確かめて回して、やっとこさっとこ出たから、「出たぜ、ハイ」と渡した。

 何か聞き取れないことを言っているその男に、僕が聞いた。あんた名前は何というんだ。すると「ショーン・コネリー」と言う。ははあ、この野郎がショーン・コネリーか。

 それまでショーン・コネリーの映画は見たことがない。『007』はタイトルは知っているけれども、中身は見たことがない。我々が最初に見たショーン・コネリーの『007』は、たいしたものじゃないんだ。

 アメリカの数あるホテルの、数あるルームの中で、入口で応対しているのがショーン・コネリー。まずこれを考えてみてください。

 9ヶ月後にロンドンでショーンに会いました。「覚えているか」と言ったら、もう逐一覚えている。僕だけだったら人違いということだってあるかもしれない。そのときはとっくりのセーターを着て、髪を長くしていた。これは〃かつら〃だね。ショーン・コネリーは、僕が出たときからもう髪の毛がない。毛がなくてよくやれるもんだと思うね。「怪我がない」というんで起用されたのかな。(笑)

 そういう縁で、僕は『007』をやり終えて、「またどこかで会おうぜ」と言ったきりで、再び会ったことはありませんが。

 何を言いたいかというと、《人間の縁》なんです。今日、僕が皆さんにお会いできるのは「縁」だと思うんです。「縁」というのはものすごい力を持っている。決定的なものが「縁」だと思う。

 皆さんが結婚していらっしゃる。配偶者に恵まれているということも「縁」ですね。仲が悪くなって離婚する、これも「縁」の破局でしょう。「縁」というのがものをいいますよ。

 今日は、皆さんのお顔は引き締まっているし、素晴らしい「縁」を僕はいただいていると思います。

                                       《次回につづく》