丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

               〜第11回〜 ある講演会から《1》
                   《2001年7月掲載》


      ※今月は、ある講演会の内容をご紹介します。


 ●精神世界の幕開け

生きとし生ける者の中で、いずれ自分は死ぬんだということを知っているのは
人間だけなんですね。
我々だけ、あなた方だけ。 他の動物は知らない。
だから人間だけが死に対する恐怖心を持っているんですね。
怖いんですね。
じゃあ、どうして怖いのか。
知らないから、分からないからなんですね。
じゃ、なぜそんなに怖いのか?
それをこれからお話ししようと思います。

ところで、どうでしょう、この十数年来、世界ではこぞって精神文化が幕をあげはじめていますね。 物資思考というのは、今や影を潜めてしまって、心霊科学が世界の先端を、というよりも、天下の大道を神様のお指し図に従って行進しだしています。
キリストが再生を誓ったのも今世紀ですし、釈迦がそれとはなしに楽しみにしていたのも今世紀ですね。
まあ、楽しみにしていたというよりもお釈迦様が強く心をおひかれになっていたのも今世紀のようです。
だから今こそ我々人類にとっては正念場ということが言えるのではないでしょうか?
そして、今こそ人間界と霊界とが地続きであるということを、一人一人が確信しなければならない重大なる時期がきているだと思いますね。
そして、この世を終えて、あの世に持っていく最大のおみやげというのは、金でもなく、地位でもなく、名誉でもなく、なんと「すなおさ、それに温かい心、明るさだ」ということを明記することが、もう緊急にしてかつ絶対必要事項なんですね。


 ●霊界は自由への旅立ち

さて皆さん、生まれ出た者は必ず死にますね、会った者は必ず分かれますな。
作ったものはかならず壊れますね。
それを、諸行無常と決めつけたものは、よほどこれは慌て者であったに相違ない。
何故か、生まれて死なず、会って分かれず、作って壊れぬところがあるとしたらどうでしょうかね。
それが霊界なんです。
それがあの世だ。
死の向こう側にある霊界と呼ばれているところがまさにそれです。
ですから、死とはなんと、束縛から自由への決定的な瞬間であり、期待に満ち満ちた運命の一瞬なんです。
この世からあの世へ一歩踏み出そうとしている死者は、むしろ喜びに身をふるわせて苦痛も恐怖心も完全に超越してしまっています。
大いなる希望が、大いなる喜びが、死んでいくためのなにか知らん、分からぬ喜びが雲のようにわき広がる反面、意識は次第に薄れて、あらゆる生の名残が急速に後退し、やがて消え失せます。
そこまでは皆さんが想像していらっしゃるとおりです。 そして、完全なる無の状態が静かに続きます。
皆さんの想像しているとおり、ここまではあってる。
それからがどうもまるっきり違うようですね。 その時に、流れ行く静寂の遙かな遙かなそれはもうとてつもない彼方から、どこからとも分からぬ永遠の彼方から、今までとは全く違う新しい感覚が目覚めてくるのを、闇の底で感じ初めているのです。
しかし、それがどのような目的意識を持っているのかさっぱりわからん。


 ●死直後の様子

そして、更にその直後、死者は死んだ人は、静かに実に静かに、やさしく小さな声で自分を呼ぶ者の気配を感じはじめています。
それが誰でなぜ呼んでいるのかハッキリしない。
しかし、依然として死者を呼ぶ気配は続いているばかりか、しだいにその気配が強くなってくる。 それは、なんと死者の心の一番深いところが、ある方向から引っ張られている。無数の物音と同時になにかひっぱられているような感じになってくる。
同時に色々な雑音が、身の回りに沸き立ち始めます。
リズムのない勝手気ままな騒音が高まってきます。
死んだ者は、まるでエレベーターに乗せられたように狭い空間の中を身をもむようにして上昇していきます。
この騒音は、絶えがたい不快音の嵐となって、狂喜の滝のようになって、めちゃくちゃに死者を包み込んでいきます。
これはみなさんね、必ず出会う、必ず死ぬんだから……。
必ずこういうめに遭います。めにあうという言い方はおかしい。
アメリカ人たちはこれをハリケーンの音と言っているようですけど、我が国では、わたしたちはハリケーン知りませんから、工事現場の不快音とか非常に耳障りな音と……。
これはもう誰でもが経験しなければならない決定的事実ですね。
自殺他殺病死、ありとあらゆる死に方はこれです。間違えない。
なぜこんな事をはっきり言うかというと、あまりにもこういう経験をしてから人間界に生き返ってきた、近似死体験というのが、今や統計立てた学問化されていますから……。
はっきりと言えるんですね。 この実体を今度は客観的にみてみます。
まず、自分の肉体の中の幽体が指の先の方から徐々に頭部、頭の方に向かって、ゴム製品のように縮み上がっていきます。
その際に肉体とそっくりさんの同じ形をした、人間の目には見えない幽体が、肉体の内部ですだれ上に巻き上がっていくため、それが情け容赦もない音となって死者に襲いかかって来るんですね。


 ●私達は3層構造

幽体。 幽霊の幽に体って書きます。 われわれは三層になっています。
まず肉体、その中に幽体、さらにその中に霊体と、三層になっている。
やがてこの頭部に達した幽体は、頭の先、頂点、頭の脳天から螺旋状を描いて、霧のように、まるで忍者のように出て行くんですね。
死の世界に一歩足を踏み入れたときに、死者が一番最初に気付くものは、必ず自分の死骸を見つめているという事実です。


 ●何よりも大切な「死の自覚」

この時点で自分の死に気付いた者はおそらく一人もいないと思いますね。
死んだことが分からない。 己が既に魂とだけになっていることに納得がいくまでには大変な時間が掛かかります。
第一ね、あたりがみえる訳がないと思っている、死んだならば……。
ところが自分の死骸を取り囲んでいる親兄弟、親戚一同をはじめ、友人知人のあわただしい動き、お互いの耳元でささやいている小さな声まで、感知できるどころか、その人々の心の中まで手に取るように分かるこの不思議な予期もしなかった驚くべき、この事実に最早もう呆然としてしまって、自分が死んだたことなどトンと気が付く余裕がない。 やがて浮かんでいる自分の体を無重力状態の中で、なんとかコントロール出来る頃には、死者は完全に自分が死んだことを忘れてしまっている。
というよりも依然として生きていると思い込んでいるんですね。
従って、終いには何かやりきれなくなってしまうらしい。
壁やふすまなんて、スイスイスイスイ通りぬけて、自由自在に振る舞える自分自身の不思議さに気がついてはいるんだけれど、なんとも自分が死んだなんていうことは思えない。 それほど気が動転してます。
だから死後の世界について、少しでも知識のあった者は別なんですが、死んだら全てがそれで終わりだと信じ込んでいだ人、そういう方々はついには自分は、今は夢の中にいるんだと錯覚してしまう。
そして、死者は己を見つめたときに自分の体が幽体であると気付かずに……。
まあ、体がありますから、肉体と同じ体をしている。
手をみれば5本の指があるんです。指紋まであるんです。 でもこれは幽体なんです。肉体じゃないんです。
だからひとまず安心はするものの、この体は先に抜け出した物理的肉体とは本質的に違うもので、かつ特異な能力を持っているということに、少しずつ気が付きはじめてはいる。

 ●白光体との出会い

で、その時死んだ者は、かつて一度も経験したことがない、問答無用の目の眩むような白光体に出会います。
この白光体に出会う前に、いろんなエピソードは山のようにある。 上から見てますから……。
で、無重力の状態で自分がコントロールできないの、はじめは……。 やっとのことでもって床の上に降りてきても、フワッカンフワッカンして、どうも調子を取れない。肉体を持っていたときのようにスタコラサ歩けないの、最初……。
まるで長い間ベットに寝たものが、トイレに行こう思った時にヨロヨロするように、幽体は床の上に降りては来るんだけど歩こうと思ってもヨロヨロするの。
なかなかうまくいかないの。 ことに空中でフワッカンフワッカン浮いて、自分の死骸をみつめている時には、自分がこうしようと思わなくたって、体がグルグル回りますから、天上と直面しちゃう場合がある。
そういう場合に、30僂らいの距離で天井を見ますから、天上の節穴とか染みとか、われめとかというのを見ているわけだ、グルグル。
それで、人間界に生き返ってきて、健康を取り戻したときに脚立を持ってそれを見に行ったやつがいるんですね。
自分が幽体になってみたときとそっくりだったんです。
さて、この白光体。 この光にトロけるように抱き込まれる。
最初がだいたいこのくらいの大きさのものが、遙か向こうにポっと出る。
遙か向こうっていってもそんなに遠いところじゃない。ボコッと出る。 段々大きくなってすっぽりと身体を包み込まれる。
その時の無情の安心感。 言葉で無情の安心感といったらどの程度の安心感か見当が付かないでしょう。
無情の安心感、文字通りこれ以上の安心感はないという安心感。 今まで皆さんが人間界で感じたことが全くないような、もうとてつもない安心感。それと天に昇るような幸福感。 もはや一歩もここから離れまいと決意してしまうほどものらしいですね。
この白光体は明らかに個性を持っているようです。 人によっては神様だと思う人もたくさんいるらしいですね。 でも、これは神様ではないでしょう。
白光体に出会った人達が異口同音に興奮して言うのは、白光体とは計り知れぬ寛容心を持ち、何でも許してくれそうな……。
その上人智の及ばぬ英知。人の知恵をもう遙かに越えた宇宙的な英知。 それを供えていると申していますね。
アメリカ人だけじゃなくて、全世界の人類で白光体を経験した人々はその後の彼らの人生、即ち生き返ってきて再び人間界で生活している彼らの人生に、もはや物欲は影も形もない。 白光体に出会ってからガラっと変わってしまった。
今までは、金を儲けたい、自分さえよければ人はどうでもよい、というようなものが、全くなくなって、文字通り影も形もなくなってしまう。


 ●22才の女性の臨死体験(死産について)

22才の若いお母さん、若いたって初めて子供を産んだんだ。
出血多量で死んじゃった。
わたしがもし医者で22才の女性の家族の人に 「はい、この若いお母さん死にました、何時何分」 こういってからそのお母さんが生き返ってきたら、あたしは医者としても面目を失ってしまいますね。 それっくらい、医者としていろんなデータからいって完全に死んだから死んだといったんです。
ところが、この22才の母親。人間界から見れば5・6分後、息を引き取ってから5・6分後、白光体にであっている。 で、白光体に包まれながら、白光体に囁かれている。
どういうふうに、 「アンタの産んだ子供は4日間だけ生きている。 4日目には死ぬ。心配入らないよ。こっちの方で丁寧に育てるから、あんた心配入らないよ」囁かれてから生き返って来ちゃったんだ。
病院ではこまっちゃったね。 なんとなれば赤ん坊、4日目に死んでいる。
お母さんの顔を見たら、今でも赤ん坊を抱いて帰りたいような顔をしている。
運の悪い看護婦がいうことになった。
「実はあなたのお子さん4日目に死んじゃってる」 と言って恐る恐る顔を上げたら、その22才の若いお母さんニコニコしているんだ。
看護婦「キャー」と悲鳴を上げて飛び出していった。
「気が狂った」というように。 ところが、その22才の若いお母さん白光体にきちっと囁かれている。 「アンタの子供はもう4日目に死ぬ。
しかし心配は入らないよ。こっちでもって本当に丁寧に育てるからね」 と言われて生き返っているからへーっちゃらなんだ。
こういう事件がありました。


 ●先に逝った縁者達との再会

さて、この時点で人間界に生き返った少数の人々を除いて、大多数の死んだ者、死者は何者かあの世から舞い降りてきたお迎えの使者と対面することになるんですね。
この場合にね、お迎えの霊人達は、以前にこの世を去った縁者、すなわち、お祖父ちゃん・お祖母ちゃん・お父さん・おかあさんのこともありますよ。
しかし、多くの場合は、大多数の場合は、死んだ者とは初対面の霊人のようですね。
それも一人じゃないんです。二人以上で来るのがどうも普通のようですね。
で、彼らはお互いに顔を見つめ合っていればそれで充分。了解する。 言葉いらない。
だから死んだ者同志の会話っていうのはない。英語もフランス語もドイツ語もない。
顔を見つめ合っていれば分かる。 どうして分かるかって言うと、我々現在生きている者は、10%の表面意識が、90%の潜在意識の上にきれいにのっているんです。
ところが死にますと、この90%の潜在意識が全部アップして表面意識になってしまう。
このためになんにも言葉を言う必要がない。
顔を見ただけでもって相手の心が分かってしまう。 お迎えの霊人たちは、死者がいつ死ぬかと言うことを的確に知っている。
誰それがいつ死ぬなんていうことは、もう本当に正確に、ほとんど一秒の間違いもなしに知っている。 そして、お迎えに来ています。
既に霊界では歓迎の準備が出来ているということを死者に知らせるべく、明るくすなおにあたたかい手を差し伸べようとしているんだ。
ところが、死者にとっては、もう思ってもみない出会い。 この瞬間こそ、死者の進路を決めるもう決定的な大事な瞬間なんですね。
なんとなれば、この世における自分の死を自覚できる者と、まだまだ生きていると頑固に信じ込んでいる者に分かれていくんです。

                                       つづく

                                        丹波哲郎

    ※今月は、ある講演会の内容をご紹介しました。来月はこの続きからです。