丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第28回〜 
《2002年12月掲載》



              恐怖からの解脱 〈2〉

    
   ☆科学が立証する霊界

 日本人が科学信仰に足元をすくわれ、伝統的な生死観(霊魂や死後の世界)を否定し去ろうとしていたとき、欧米では逆に、科学の限界を意識し、超自然的な現象(霊魂あるいは超能力)についての研究に傾注する人びとが輩出していた。
 こうした心霊の科学的研究の嚆矢(こうし)となったのは1882年、イギリスの心霊研究協会(SPR)の設立である。呼びかけたのは物理学者サー・ウィリアム・バレットで、会長になったのはケンブリッヂ大学の学長であった。
 さらにその2年後には、ポストンにアメリカ心霊協会(ASPR)が設立され、やはり一流の学者たちがメンバーとなっている。そして近似死体験の分析や、死の瞬間の医学的・生理学的・化学的・物理学的な実験を通じて、霊魂の世界の仮説体系づくりが、すすめられているのである。

 では、近代科学の本源とも言えるギリシャでは、どうだったか。古代ギリシャの哲学者プラトンは、この世を本来の世界の影のごときものと考えていた。しかも、この賢人は名著『国家』の中で、火葬寸前に蘇った兵士の、死亡中に体験したこと(現代でいう近似死体験)を語らせ、詳しく記録してもいる。また、肉体は死すべきもの物質的なもの、霊魂は不死なるもの形而上のもので、この二つは個人の生涯にあって、ただ一時のあいだ連合しているにすぎない、すなわち「肉体は霊魂の牢獄である。肉休から魂が解放されることが死である」と述べている。さらに『共和国』の一節には「正しきものに与えたまえる神々の祝福は、現世の富や栄華よりも尊く、また永久的なものである」とあり、このようなプラトンの霊魂観は、初期キリスト教の哲学者に影響を与えることになる。
『純粋理性批判』などで名高いドイツの哲学者イマヌエル・カントも、心霊や超常と呼ばれている現象に対して、柔軟な態度でその研究価値を認めていた。
 古今の著名な哲学者が「霊魂は不滅である」という考えに傾いていたことが、おわかりいただけようか。
 心霊の存在をみとめていた著名人には他に、リンカーン大統領、ピクトリア女王、大文豪であるゲーテやユーゴなどがいる。
 そして、心霊が存在していることを科学的に立証してみせた人に、フランスのノーベル賞生理学者シャルル・R・リシューがいる。彼は超感覚=ESP(超感覚的知覚。テレパシー、透視、予知など)という、人問が通常の第六感をこえる能力をもっていることを催眠実験によって、突き止めたのである。
 1950年代になり、フィンランドの学者ヤール・ファーラーがアメリカのデューク大学超心理学研究所において、この研究が事実であることを検証実験し、超能力さらには霊魂の存在につながる発表をし、大きな反響を呼び起こした。また、デューク大学超心理学研究所長J・B・ライン博士がESPカード(十字や星形、円などの図形を描いたカード)、統計学的手法などを用い、超能力の研究を行ない、科学界に大いなる説得力をもたらしている。
 ここ数年、世界各国の心霊科学の進歩は、めざましいものがある。世界の先進諸国の公的機関が競って超能力の研究開発を推し進めているなかにあって、わが国も数年前あたりから、ようやく重い腰を上げて行動を起こしはじめた。郵政省が発足させた「未来通信メディアに関する研究会」が、超能力を取り上げたのである。テレパシーによる交信は、距離や障害物に邪魔されない。とすれぱ、現在の通信手段など足もとにも及ばない可能性が広がっている──というのが研究の狙いだそうだ。
「霊界が存在する?そんなパカな」という人もいるだろう。「霊界の存在も人間のイメージの所産にすぎない」と考える人も少なくないかもしれない。だが、霊界の存在を証明したのは、ほかならぬ科学、しかも時代の最先端をいく超科学なのだ。
 欧米各国の研究機関では、多数の科学者や哲学者が参加して、詐術ではない霊現象の実存を、科学的方法・客観的方法で確認しているのである。だから、霊現象が実際に存在するということ、そしてそれが疑うことのできない事実であるということ、このことだけぱ忘れないでいただきたい。


   ☆フォックス家の幽霊事件

 アメリカでの話である。1848年、ニューヨーク州ハイズピルという小さな村でのこと。
 フォックスさん一家が引越してきた家で、玄関のドアをコツコツとノックする音か聞こえる。ドアを開けてみるが、いつも誰もいない。逃げる足音も聞こえない。このラップ現象が毎晩のように続いたので、フォックス一家は、すっかり睡眠不足になってしまった。そのうち娘たちは、遊びを考えついた。「お化けさん、私のするようにしてごらん」と指を鳴らす。すると、同じだけの数を叩いて返すではないか。そこで、
「幽霊さん、私たちに言いたいことがあるのなら教えてほしい。私か質問をします。もしイエスなら、トンとノックを一回、ノーの場合は、トントンと二回、こういうサインで答えてもらいたい。わかりましたか?」
「トン」
 幽霊が返事をした。フォックス一家は、ゾクゾクしながら、この対話を続けた。そして、次のようなことがわかった。
 この幽霊はチャールス・ロスナという名前の行商人で、撲殺され、自分の死骸が地下に埋められたままなので、死んでも死にきれない。
 というのが、幽霊の訴えだった。フォックス氏は驚き、すぐに警察に連絡し、心霊科学者や宗教家たちにも来てもらった。半信半疑の警察官が地下室を調べてみると、壁のなかに何かが塗りこめられた跡がある。掘り出すと、白骨化した屍体が出てきたのである。
 その後の調査で、フォックス家の姉妹(マーガレットとケート)が霊媒体質であることがわかった。要するに、浮かぱれない死に方をした地縛霊か供養してほしくて、この姉妹に通信を送っていたのである。
 ちなみに、こういった地縛霊や憑依霊を供養するには、まず憑依した霊が何を求めているかを知って、霊が納得するような処理をしてやることである。墓をつくったり、法要を営んだりしなくても、その方法はいくらでもある。それは、フォックス家の例のように、屍体を発見してやろことかもしれない。とにかく、形よりも心なのであり、誠意をもって霊を説得することだ。そして「あなたは、すでに死んだのです、早くそれに気がつくように」と毅然として申し渡すことも必要だ。それでも霊障がある場合、信頼できる(法外な要求をしない)霊能者に相談することになる。

 このフォックス一家のことは、アメリカのみならずヨーロッバでも評判となり、それを切掛けに心霊についての研究が始まり、さまざまな死者との交信が、秀れた学者や霊媒たちによって行なわれた。それが、近代スピリチュアリズムヘと発展するのである。この幽霊事件が起こった1848年3月31日は「心霊研究発足の日」とされている。
 この事件は、霊魂が死後も生存し、「あの世」と「この世」との通信が可能であることが発見されたという、とても意義のある事であった。そして、世界的に有名な霊界通信『霊の書』(アラン・カーデック著)の通信が始まったのは、この2年後のことである(出版は1856年)。
 だが、このフォックス家事件でもまた、心霊を否定するのに躍起となっている学者やジャーナリストの思惑によって、「詐術」と言いふらされたり、悪意の報道がなされたことを記しておきたい。


   ☆霊界からの通信

 しかしながら、やはり「霊界からの通信など、とても信じられない」という方がおられるだろう。
 現代科学を盲信する人びとに霊界の存在を知っていただくには、科学の枠を集めた最新のマシーンを使った研究成果がよいだろう。
 ラトビア生まれの心理学者コンスタンチン・ローディブ博士が『死者との電気的交信についての瞠目すべき実験』という本を発表し、大きな話題を呼んだことがある。同じ実験は、メイヤー卿をプロモーターに、イギリスでも行なわれた。大新聞社や、エレクトロニクスのパイ社の技術陣も協力した。
 その基本的な方法は、まったく音の入らない密室で、新しいテープをテープレコーダーに入れ録音するというもので、そうした実験で、超常現象ではないかと思われる音声が記録されることがあるのだ。これは1959年に、スウェーデンのテレビ・プロデューサーによって偶然に発見された現象である。
 サンプルになった音は200。なかでも実験出席者を驚かせたのは、スクナーベルという故人からメイヤー卿にあてたと思われる通信か混じっていたことだ。
 この霊界通信を否定するか肯定するか、その論争は今も続いているのだが、否定派の論点になっているのは、次の二点である。出席者の潜在意識がエネルギーとして作用しているのではないか。宇宙人など異星人からの送信という可能性があるのではないか。だが、やはり死者からの音声と理解するほうが自然といえそうだ。
 磁気テープ録音の発達によって発見された、これらの新しい霊声現象は、霊界の存在を無視しては解釈の不可能なことであり、それが現代科学によって提示されたのである。
 発明王トーマス・エジソンは1831年に没したが、心霊現象の研究に関心を示し、霊魂の存在を実証するために、そのメッセージを受ける受信器の作成を考えていたという。もちろん、その時代には不可能なことだったが、エジソンは、次のように表現している。
「この世の墓所のほかに霊界というものがあって、死者の霊魂かそこに往み、そして生きている人問との交信を望んでいるとすれぱ、とくにその目的のためにつくられた正確な科学的な機械を媒介とすべきである」
 彼は死の直前、妻が「お苦しい?」と問いかけると、「いや、待っているだけだ……。そこはとってもきれいなんだよ」と答えたという。

 次の例は、著名な魔術師であったハリー・フーディニからの通信である。
 彼の独得な秘術には、たとえば、家具のない部屋に真裸で閉じこめられ、外から二重に鍵をかけられても、16分後には鍵をかけた相手に昼食を共にしようと連絡し、30分後にほ正装姿で現われたというものがあった。その脱出魔術は、現在でも謎に包まれたままである。彼は、そのトリックについて「精神を集中して、心や神経を落ち着けるだけのことだ」と語っている。尚、彼の魔術や奇術に関する本のコレクションは、遺言によって、ワシントンの議会図書館に寄贈されている。
 彼の死後、ポール・クレスウル教授により、アイスランド大学で降霊の会が行なわれた。その会に参加した霊媒、アーサー・フォードの降霊術に、フーディニの霊が降りたのである。そして、彼の妻であるウィルヘルミナ未亡人のみか知っている秘密の暗号を伝えたのだ。驚いて気絶したのは、当の未亡人であった。フーディニは先に死んだ場合、別の世界からこの暗号を彼女に伝えると言っていたのだ。「ローザベル、答、つげる、つげる、答、まなぶ、まなぶ-…」という、この暗号は「愛しのローザベル」という歌の一節らしいのだが、霊媒が思いつきで言えるようなものではない。
 このように際立った例でなくても、霊界からの通信は、私たちの身近に多く見られる。「死者が夢枕にたった」とか、俗に言う「虫の知らせ」も同じような現象であり、一種のテレバシーによるものと考えられる。  
 『トム・ソーヤの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』などで知られる、アメリカの作家マーク・トウェーンが後年、死や心霊現象について研究したことは有名である。トウェーンが心霊科学に打ちこむようになったのは、あるショッキングな体験からきている。
 彼はミズーリ州のフロリダで貧しい法律家の家に生まれ、1857年、少年時代からの夢であったミシシッピー川の水先案内になり、水上生活を送った。そうした生活のなかで、彼がセントルイスにある妹の家に泊まった日の夜、あまりにも生々しい異常な夢にびっくりして目を覚ました。夢のなかで弟のヘンリーの遺体が二つの椅子で支えられ、その真ん中に一本だけ真紅の花がまざっていたのである。
 夢は正夢だった。その日、弟ヘンリーの乗りこんだペンシルバニア号は火災事故を起こし、ヘンリは船にとどまって乗客の救出を手伝ううちに蒸気をかぶり、それがもとで数日後に死亡した。遺体の安置されたメンフィスの町におもむき、彼は遺体と対面するのだが、棺は夢に出てきたとおり金属製のものだった。遺体の上には自い花束が置かれていたが、その白い花束のなかに、真紅の花がまぎっていないことか違っていただけだった。しかし、トウェーンが遺体の前に立っていると、一人の年老いた婦人が花束をかかえて近寄り、白い花束の真ん中に、真紅の花を差しこんだのである──。

 これは昭和54年3月、私の母が他界したときの話だが、お通夜に、私は母の顔にかけてあった布をとり、母親の顔を見ながら一晩を過ごした。ふと気がつくと、どこからともなく、リンリンという音が聞こえる。じつに、美しい音であった。ああ、お袋は満足して死んだのだ──そのとき私は、そう思ったのである。というのは、人間は満足して死んだときには、鈴のような言い知れない良い音を鳴らしたい心境になると聞いていたからである。逆に、満足せずに死んだ人は「物をこわしたい」という感情にかられる。これらは近似死体験者も語るところである。アメリカの神経科医で哲学者でもあるレイモンド・A・ムーディ博士の死に関する研究いも、似たような鈴の音が出てきたので、その共通性に驚いたことがある。
 このような現象は「遠感」あるいは「ESP」と呼ぱれ、かなりの段階まで究明されている。有名なものに、英国リバプール大学の世界的物理掌者であるオリパー・ロッジや、デューク大学のJ・B・ライン教授などの実験があり、ご存知の方も多いだろう。
 ライン博士も、霊媒の実験では暗いことが条件になることが多いので、詐術と疑われるし、その霊媒の調子によっては、いつも同じ結果が得られるとは限らないということから、カードやサイコロを使っての、いわゆる「超心理学」の分野に方向を変え、延ぺ9万回にも及ぶ実験で、人問にテレパシーという能カがあるという事実を確認したのである。
                                           (つづく)