安藤和津さん
( 女優 )
毛利高明さん
( 霊能者 )
   
 
 【第16回】 2001年12月掲載用

  《今月は、テレビ・映画・バラエティー番組で活躍の女優「安藤和津さん」と、
   超能力ブームの火付け役だった、「毛利高明さん」をお客さんにお迎えします。
   物理的な心霊現象について語っていただきました》


 ●物理的心霊現象

丹波 物理的心霊現象とは、目に見えると言うことがあげられます。

安藤 例えば幽霊を見たとか、心霊写真なども物理的心霊現象と言うんですね。

毛利 そうですね、勿論写真等で、いろんなものが現れたと言うのも一つでしょうし、それ以外ではやはりその…音がしたとか、例えば階段を上る音がした、しかし階段を見ても誰もいない等とか、よく話に聞くのが、ホテルに泊まっていたときトントントンと、ドアをノックするんです。誰かなこんな時間にとドアを開けても誰もいないだとか、そう言う耳で聞こえたり、目で見えるものを通じて私達に訴えかけてくるもの、そう言う五感で感じるものではないかと思います。

安藤 私も心霊現象の体験があるんですよ。
 音で今思い出したんですけれども、叔母が亡くなった日に、夜中中偲ぶじゃないですか、それでさすがに3時半、4時になって「じゃあそろそろ解散しましょうか」と誰かが言うと、台所の方から缶詰がぶつかるような、ガチャンガチャンガチャンというすごい音がするんですよ。何かしらと思って見に行っても何も無いんですよね、それが4回か5回続いたら「これは、もう帰っちゃイヤだと言っているんだから、皆で朝まで居てあげよう」と言ったら、全然音がしなくなったと言うことも、音という事ではそう言うことがありました。

丹波 ラップ音というヤツだね、色々有るんだ。文字通りラップ、叩く音と言うことだ。

安藤 音の種類は様々なんですか?

丹波 大体似ているね…木が割れるような音。何で音がするかという原因になると、音として聞こえるんだから、或る物が或る物に当たる音です。
 例えば椅子なら椅子に何かがぶつかる、その何かが判らないんだ。

安藤 或る番組で、水晶玉をヘアーメークの先生が「これを買ってからすごく変なことが起きる」と言って持っていらしたんです。皆でどれどれと触っていて、私が触った瞬間バチンと、何か本当に弾けたような音が私には聞こえて、火傷のように指の触った部分が青くなったんです。
 その時は御祓いをして…その時そう言う超能力の有る方がいらしていたんですが、ところが夕方になって首が右にも左にも何にも動かなくなったんです。

 これは多分番組中のことが原因ではないかと思って、先ほどの超能力の方に連絡したところ「御祓いしておきます」と仰ったんですけれども、全然良くならないんですよ。首が熱を持っちゃって、(別番組を)撮影したら肩の片方が下がったまんまで、意識して上げても肩が下がったまんまなんですね、これは絶対変だと言うことで、他の方にお願いしたら「これはホテルの一室を取ってやらなきゃいけないくらい大変だから、水晶を持って来ていただいて下さい」と言うことになって、集まって御祓いすることになったんです。

 桐の箱に入っているのに熱いんです。フタも熱いんです。中の水晶玉も飴みたいにねっとりとして、熱いんです。それでその方がハハーッとか言って、背中にやったら水晶玉が元の冷たい、水色っぽい水晶玉に戻っていて、その方が仰るには多分私が(何等かの)封印を開けてしまって入れ代わっちゃって、私が水晶玉の中に入ったのと同じ状況になってしまったので、首が曲がって熱を持ったんじゃないかと仰っていたんですが……。

 それから2日目くらいで首の痛みは取れたんですけれども……。追跡調査で、水晶玉の元の持ち主が中国人だと判って居るんですが。


丹波 水晶玉の不思議と言うことは判らないけれど、判らないから不思議なんだろうけれども、何か力があるようだね。

毛利 そうですね、その水晶を見ればよく判ると思うんですが、例えば水晶だからそうなったのか、コップだったらそうはならなかったのか、私はそうじゃないと思うんです。
 水晶でもなるし、コップでもなるし、私達は水晶を見ることで霊的なものや不思議さを感じると言うことで、例えば水晶の玉の中に、自分の存在を訴えたいと言う霊がその中に入り、たまたまそこで開けられて、一番憑きやすかった方がたまたまバチッとやったと、そこで中に入っていた霊が、私はこの中に入っていますよと言う訴えで、貴方に憑いたという事で、色々な症状が出たと云うのではないかと思います。

丹波 それは何の、どういう意義があるのだろうか、水晶玉の中に入っていることを主張しようとする霊は、何が目的なのだろうか?。 それは悪霊に近いんじゃないだろうか。

毛利 悪霊と呼ぶかどうかは様々でして、ただ、やっぱりこの世の人たちに伝えたいのと、霊というのは成仏をしたいという訴えではなかろうか、と思いますけれども。
 私の所に御相談においでになる方は、そう言う災いによって来られる方の(問題の)霊は、やはりそう言う霊が一番多いですね。

丹波 でしょうね。

安藤
 それは憑きやすい人と、憑きにくい人が居るわけですね。

毛利 やはりおられますね。

丹波 私はね、絶対来ないね。来ようとするらしいんですけれどね、来にくいんじゃないかナー。 (一同笑い)



 ●心霊写真について

丹波 これは物理的心霊現象の一部、たわいもないんだな、まあ、たいして価値がないね。深く重要に思う必要は毫もない。ああそうかい、この程度。例えば僕があの世に逝って、その後に皆様の写真に写っていたらそれなりに価値はあるだろう。僕を呼ぶ思いが、現れると言うことになるが、でも、現れるにあたっては色々な人(現世、来世全てを含む)の力が必要なんだ。
 第一次世界大戦で旦那や息子が戦死して、思いあまって写真に写らないかなと思って撮ったところが、写っていたと言うことがキッカケかな。それが撮れない場合が有るんだ。そうすると無理矢理にインチキして現そうとするんだ、だから千枚撮って999枚本物であっても、一枚作為的にやった場合は全部が偽物という風にとられるんだ。
 物理的心霊現象と言うのはそう言う意味では、(質・量は)とてつもなくすごいんだ。ただ写真を見て騒いでいるだけではダメなんだ。

毛利 そうですね、写真で何処が無い、肩に写るはずのない手が写っていたとか、それがあっても根本的意味はそんなに無いわけですから、ちょっと普通ではない写真だというだけだと思いますが…。

安藤 写真を見ても、恐いから信じたくないと言う事もありますよね。

丹波 うーん、判らないからね、なんで腰から下が消えていたりするのか…。あと、光か靄かよく判らないものの場合、あくまでもアクシデント(撮影事故、故障など物理的原因)  そう言うようなもの(心霊的現象)は、向こうの現象だとすれば、向こうの現象をこの世から見た場合にそのような存在、魂というのは目に見えるものじゃなくエネルギーだから、エネルギーがそう言うような状態で写るという事の証明にはなるよね。
 しかし一般の人が見ても、ただのミステークだとしかとれないだろう。

安藤 昔はもっと、信じている人が多かったように思うんですけれど…。お爺ちゃんお婆ちゃんと一緒に暮らさなくなって、家から仏壇が無くなってから、信じない若い人が増えたような気がするんです。

丹波 向こうの方から見た場合、貴方を見たら透けて見えるというのが普通ですからね。視点を変えれば、心霊写真は極当たり前にできると言うことだ。

安藤 私は有るべきものが消えたという経験はないんですが、夫がアウシュビッツ(ポーランドの旧ドイツ第三帝国強制絶滅収容所)に撮影に行ったときに、いっぱい写真を撮ったんですが、全部のフィルムにシュー、シューという感じで光の…撮った本人が一番判るんですけれども、そんな光が入るわけがない状況の中で光が写っていました。
 この光が写るというのはどういうふうに捉えたら良いのでしょうか。

毛利 色々と原因があると思うんですね。機械のことはよく判りませんけれども、勿論機械による光が写り込む現象と言う事も有るでしょう。
 ただ、私の目から見て白狐と言って白キツネですね、そういうものが非常に飛び交って居る。その時に私が見えるのが仰ったように、白いものがシュッーと通るように見えるんですね。それが写ると言うことも有り得るし、もしくは、その土地に思いを残して、そう言うことを通じて病気になることもありましょうし、悩み事が出来ることもありましょうし、そう言うことが(霊の訴えの)伝え方の一つだと私は感じる場合も多いですね。

丹波 向こうの世界と我々の住んでいるこの世界は、同じ場所に有るんで、(霊的な現象を)恐いものと言う風に解釈するとおかしいんだ。我々自身が元々幽霊なんだ。幽霊が肉を着ているだけだから…幽霊さんという特別な者が居る訳じゃないんだ。
 幽霊さんは幽霊さん同士で暮らせば良いんだけれど、幽霊さんの中には自分が幽霊だと判ってない者が居るから、我々と一緒につき合おうとしているわけだ。ところが我々の方は幽霊さんが見えないわけで、物理的心霊現象や、たまたま波長が合った場合に幽霊さんが見えたり写ってしまうんだ。その時に恐いと言うことになってしまうんだ。
 向こうから見れば我々は仲間、ところが我々から見れば仲間じゃないと言うことになってしまうんだ。まあ、見えてしまった時や写真は、ほっときゃいいんだ。
(一同笑い)

毛利 心霊写真はこれを持っていたから悪くなるということは無い…、記念写真で現象があった場合、珍しい写真が撮れたナーと、それこそ記念写真で良いと思うんです。ただ、霊を見てしまったそう言う場合に関しては、御相談いただくことも大事だと思いますし、御自分で経を唱えたり、私はそんなものに絶対取り憑かれ無いと言う様な、気持ちでお過ごしいただきたいと、御自身がやることはそう言うことになりますよね。
 自分で取り除くと言うことは難しいかも知れませんが、あまり気にしない方が、よろしいかも知れませんね。

丹波 一般に生きている我々は、そう言うことを気にしながら生きている必要は無い。  






 つづいて、毛利さんによる美顔祈祷が安藤和津さんをモデルに行われました。


毛利 目で見える肉体と霊(毛利さんは生命体と表現しています)が有り、身体は単なる器です。体を動かす根本は生命体です。その生命体にも臓器があり、その生命体を改善し、若返らすことにより肉体にも影響が現れ、それにより心も明るくなっていただければ…という理論による祈祷です。

丹波 手術で痛かったり、後にかえって悪くなる場合があるが、毛利さんのようなパワーは宇宙エネルギーだね、霊界パワーだ。こういうものには手術のような後戻りはないんだ。

安藤 熱とか感じないんですが、何かみがいていただいているという感じと、魂まで綺麗にしていただいたような気がしました。



 ●まとめ と 安藤さんからの質問

丹波 まあ、まとめと言うより、こういう現象は我々の身近にしばしば起こることで、起こった場合に、慌てず騒がず冷静に受け止めて、これを解明できる例えば毛利さんのような方に、相談なさる。これが一番安全な方法。自分で御祓いしようなどとは思わない方が良いでしょう。逆に深手を負うかも知れない。こういう現象が起こることは当たり前だと、受け止めて我々は何れお仲間になるんだと言うことで、無用な恐れは必要ない。

安藤 ところでひとつお聞きしたいのですが、この世で良いことをすれば、次に生まれてくる時に良い感じで生まれてくるのでしょうか。

丹波 当然です。だから我々の修行、人間界に生まれ出た目的というのは魂の向上。一番近道というのは人のために尽くすと言うことだ。自分の為だけに行動を起こした場合は後戻りもいいところで、この世に出てきた目的からは全然反する。
 肉体を持つと自分に対する欲望を優先しがちだ、それを抑えてむしろ自分が4、人に6。次は3、人は7。と言う風になれれば良いんじゃないですか。

安藤 ペットを飼っている方も多いと思いますが、犬にも守護霊はいるんでしょうか?
もし、いるとすれば何なんでしょうか?

丹波 先ず無いと思って良いね。犬や猫の守護霊と言うのは無い。ただ集魂、我々は類魂。類魂と集魂は大変な違いがある。生き物が長年繰り返す行動、同じ行動を何回も何回も繰り返す動物の本能的な知恵は集魂に拠るものです。

安藤 何故霊が見えるのでしょうか?

丹波 これは毛利さんだね。

毛利 私は、特殊能力でしょうかと聞かれるんですけれども。私は、これは昔の方は皆さんお見えになっていらしたんじゃないかと思うんですよ。例えば仏様の仏像という格好がありますけれど、私達は真似して造ったり描いたり出来ますけれども、最初はあの姿を見なきゃ判らないでしょうし、霊というのもやはり見た人が居て、私達に伝わってきていると…、ですから昔の人は沢山の方々が見ておられたんだと思います。
 ただ時代が変わり、私達の考え方や意識が変わり、段々現実、現実と、私が、我が、自分がと言う我という思いに少しずつそう言うもの(能力)を無くしてきたんじゃないかと言えると思うんです。

安藤 霊界でも職業はあるんでしょうか?

丹波 職業と言うのは無い。衣食住の心配の無い所だから、金を儲ける必要が無いから職業と言うのは無いけれど、自分の趣味を活かすということで、職業化されていると一見誤解されるものが有るな。
 一番多いのは芸術的な仕事。絵描きさん、彫刻家そう言うような趣味。人間界にいるときはデェンティスト(歯科医)だった人が、画家になるとか、ガラッと変わることがある。自分の希望する趣味を一生懸命やっていますね。

安藤 私、趣味はご飯作り(料理)が趣味だから…。

丹波 それは一番希望の薄い職業。五感のうち全く退化してしまうのが味覚。

安藤 あー、そうなんだー。

丹波 味は判らなくなってしまう。初めのうちは食べるようですよ、でも段々段々飲まない食べないになってしまうんですよ。

安藤 では、歌手になりましょう。

丹波 それは良いですねー。

安藤 臨死体験の記憶が人によって異なるのは何故でしょうか?

丹波 それは当然臨死体験と言うのは、いろんな形を持つからです。でも、花というのが大体付いてまわるね。花と言うのは誰が見たって綺麗なんだ。そうすると実際に有ると言うよりも、霊界に迎え入れられる時の演出効果じゃないのかな。
 しかし、霊界通信によれば人間界では存在しないような素晴らしい花も沢山有るみたいだ。メロディーも全体がハーモニーに包まれているようだね。人間界では花は光が当たって綺麗と言うことになっているんだろうけれど、霊界の花は一輪一輪自身が光っている。その綺麗さが違います。森の木一本一本が光って居るんだから、森全体が輝いて居るんです。その森の輝きというものは人間界では想像も及ばない。そう言うところに行ってしまうんだから、もう呆然としているよね。だから臨死体験をした者に限って、死ぬということが今度は楽しみになっちゃうんだ。
 臨死体験のもう一つの特徴は、後ろのものが見えるんだな。360度上下左右一遍に見えるんだ。これが臨死体験の特徴。
 僕は体験しています。小学校1年生の時、腐った田舎まんじゅうを食べて死んだんだ。その時病室のベッドから上に向かって浮き上がったんだ、ところが後頭部で下が見えるんだ。そう言う体験をしたら、現在この世の者ではないと自覚を持った方が良いんだ。

毛利 私なりの言い方によりますと、生命体を自分の身体から抜かして、それこそ霊界、仏様の仏界にも、いろんな所に行って見ることが出来ますが、今のお話を伺って共通点も非常に沢山ございました。やはり人の目で見た感覚じゃないものが沢山ありますね。

安藤 (トンボ「オニヤンマ」を見たのですが)身近で見ない動物に遭うことは何かのメッセージですか。

丹波 子供の頃にオニヤンマを追いかけた経験がない場合などは、前世で追いかけていたのではないだろうか。男の子の最高の楽しみだから前世の記憶ですよ。因縁ではない。自然環境への願望の現れです。
 さて本日はいかがだったでしょうか。

毛利 物理的心霊現象と言うテーマでしたが、心霊現象による病の治療を行う者としては、世の中には病や悩みの原因があります。
 それを見極めてその原因に合った対処法。霊であれば取り除き、体質的なものであれば勿論医学も必要でしょうが、生命体(幽体・霊体)の治療も必要でしょう。いろんな原因に合わせて対処することが必要でしょうね。

丹波 毛利さんは未だ若いですよね。ところが毛利さんを頼ってくる人達が沢山います。その人達が毛利さんに感謝して帰っていく場合に毛利さんは急速に大人になりますよ。いわゆる精神的に。

安藤 今日はいっぱい勉強させていただきました。私はいろんな事をそうじゃないかなと思っていたので、本当に今日は心強かったです。
 普段はなかなか理解してもらえなくて、人とこういう会話は出来ないじゃないですか。変わっていると言われたりしまから、今日は嬉しかったのですが、毛利さんは同じ年頃の青年がするように、遊んだりしないんですか。

毛利 そうですね、興味というか、そういうものはあまり無く、皆さんとお会いしたりいろんな御相談を御受けたりすることが、私が一番楽しくさせていただいております。 丹波 これは使命だ。自分で使命だと感じられる時には、その使命の中に自分がしっかりと胡座をかいているのが一番の天国だ。
 だから、僕が霊界トークをしているときが一番の天国なんです。本日はありがとうございました。

丹波 安藤 毛利 ありがとうございました。

               《来月は、毛利高明さんと神取忍津さんです》