139.類魂とは?

分かりやすいように
「蜂の巣」にたとえましょう。
蜂の巣は二十匹・百匹・千匹などいろいろな場合があります。
魂の集まりも同じように大小様々です。
この千匹が一匹、一匹が千匹なんです。
つまり、一匹の蜂が飛んで行き、花がどこにあるか、
ミツがどこにあるかを千匹の蜂に伝えるんです。  
一匹の蜂が経験した知恵は、千匹の一匹一匹が等しく持っているということです。  

私たちは生まれ変わります。
幼稚園から小学校へと進みます。
生まれ変わって来た時、もう一度幼稚園からやり直すと思いますか。
当然、小学校は終えているので、中学校から勉強を始めるはずです。
自分が全て生まれ変わってくるのではなく、
千匹の中の一匹一匹が 出て来て学習していくのです。
これが
『分霊』なのです。  

仏教では全部が生まれ変わるとされていますが、
現在の霊界研究ではそうではないのです。
千匹の蜂は全て自分なんです。  
ここでもう一つ、手の指を例にとって説明しましょう。  
五本の指は全部自分の手です。
そして、全て掌でつながっています。
これがユングの言う「集団無意識」なんです。  
親指・人差し指・その他、それぞれはそれぞれの個性を持っています。
でも血液は一緒です。
小指が痛めば親指も痛みます。
それぞれの
指は別々ですが、掌でつながっているのです。
これが『類魂』です。

『類魂』でなければ、天才は説明できません。  
たとえば、親指が人間界で千年前に出て来てある能力を培ったとします。
その同じ能力を次に生まれ出る人差し指に携えて来ます。
さらにその能力を強力化させる為にです。
それを中指に・薬指に伝え、現在生まれ出てきた小指は、
千年前から今までの全ての能力をすでに持っているというわけです。
生まれながらにして画家、生まれながらに音楽家なんです。
だから、二、三才で突然誰も教えたことのないピアノを弾いたりすることがあるわけです。  
これは、魂が積み重ねてきた成 果が、今ここで現れているのです。
霊界は、類魂を勉強しなければ全く理解できないというわけです。  
皆さん『類魂』についてお分かり頂けましたか? 

これが分かると先祖供養なんて何とバカバカしいことかと実感します。  
何故かというと、先祖とは自分自身のことなのです。
お坊さんを呼んできてお経をあげても、それは本当の供養にはならないのです。
本当の供養とは、我が身が人のために生きている姿を、霊界に見てもらうことです。
範を垂れて生きることです。これが真の供養になるのです。  
つまり、「明るく、すなおに、あたたかく」生きることです。

質問一覧に戻る