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【第8回】 2001年4月掲載用 ●運命は決まっているのか? 《先月の続きからです》 岡安 一度霊能者に見ていただいて、「あなた、早死にするわよ」て、言われたんですよ。先ほど言われた宿命が判る方がいるのでしょうか。それは当たるものなのでしょうか。 小池 占いは、取るに足らないことですので、関心を持つようなことではないですね。それから、前世や運命、背後の霊や先祖の苦しみ、そう言うことを口にする霊能者の方というのは、信用してはならないと言うことです。 丹波 それはね、ラビッシュ(rubbish・屑、がらくた)捨てて良いよ。 岡安 良かった。でも気になっちゃうと、信じないと思っても頭の隅に残りますよね。 丹波 それからね、お札なんて貰わない。一切合切有って邪魔。 岡安 でも、お正月に神社に行ったら……。 丹波 神社に行ったら、素晴らしい建物だな、素晴らしい門だな、素晴らしい庭だなと感心して下さい。大概はそう言う見方の方が良いと思いますね。そこでお札を貰うと言うことになると、それはそれで自分の決心、弾みをつけることとして役に立つかもしれない。 自分の心の拠り所となりますが、それが決定的な力を持つとは考えられない。正月の年中行事でお札を貰って正月が来ると言う人は、それで良いんじゃないか。交通安全のお札があっても、やはりぶつかるものはぶつかっているね。(笑い) 小池 一人の人間が誕生する時に、自分を守り向上へと導いてくれる背後の霊というものが、守護霊を中心にして有りますので、苦しいときに占いに頼るとか、お札に縋るとか、御祓いに頼るのではなく、苦しいときは「正しい道を苦しい中でも歩めますように、道を間違えないように導いてください」と、背後の霊の方にお祈りするのが一番だと思いますけれど。 丹波 そうですね。向こうの仲間、我々は類魂と言う言葉を使いますけれども、他に何か(もっと判りやすい)言葉はないのかな。元々のグループソウルの訳し方なんだが……。動物は集魂と言います。類魂と集魂で分けているんだけれども、我々のように長い間研究していると、名称に疑問がないんだ。しかし、一般の人には聞き慣れない言葉だから……類魂は似たもの同士と言ったらいいのかな。 岡安 類は友を呼ぶ。 小池 はい、それこそ魂の成長レベルがぴったり同じで、霊的ファミリーと言っても良いですね。 丹波 でも個性がある。個性だけは永遠に有るんだ。類魂は皆同じ趣味嗜好考えなんだ。例えば誰かが「今日はピクニックに行こう」と言えば、全員参加。私はイヤだなんて言うのはいないんだ。花を植えようとすると皆で植える。しかも一人がチューリップを植えたらまわりも皆チューリップなんだ。そう言うところに帰るんだから、暮らし良いんだ。徹底的なケア(世話・保護)がある。でも、類魂の中でも優れた者は中心に居るんだ。比較的霊力の弱い者はチョッと離れて円形に住んでいるようだな。だから全て同じ様なんだけれども個性がある。 ●神隠しとは? 丹波 これは、一般の方からの質問なんですが。先ず、神隠しというものが本当に有るのかと言われれば、これは本当に有ると言えます。神隠しという言葉は非常に面白い言葉だね。マンガチックともとれるし、含蓄(深い意味)のある言葉ともとれます。 岡安 昔は、よくあったんですよね。 丹波 そうだが、今でも有るんだ。神隠しと言うことは極簡単なことで、言葉に誤魔化されては駄目だ。例えば岡安さんの体の中に、他の者(霊)が入り込んじゃうんだ。それが岡安さんに返らない場合(他の者が抜け出ない)は、岡安さんは岡安という名前まで忘れてしまうんだ。家も忘れてしまいます。 アメリカで話題になった事件で、或る女性がある期間をおいて入れ代わっちゃうんだ。それも何人も(人格が)入れ代わるんだ。本来の岡安さんが追い出されてしまえば、帰るところも判らない状態になります。たまたまどこかで、「あっ岡安さんだ」と判る人がいて声をかけても、「いいえ、違います」と、なってしまうんだ。だから、そのままどこかで野垂れ死にしてしまえば、神隠しと言うことになってしまうんだ。死なないまでも、有名人でもない場合は判らないんだ。 岡安 二重人格。 丹波 二重人格のもっと深刻なヤツだ。二重人格は元の人格が現れるが、これは完全に追い出しちゃうんだ。記憶喪失にも(見た目は)似ています。 小池 憑依と言うことに関連してのお話ですが、神隠しの特殊の例としましては、或る人間が、一瞬にして長距離移動すると言うことがあります。心霊的な言葉で言えば、テレポーテーションです。外国の心霊現象としてわずかに報告されていますが、日本では無いようです。 丹波 日本では、実は有るんです、仙台で。明治の末か大正の話で、炭焼き人が習いもしない梵字(サンスクリット語)や文字を書くんです。それで有名になって或る新聞社が東京に呼んで取材をしたんですが、おもしろおかしく見せ物のように扱ったんです。そしたら或る時に仙台の山奥にそれこそテレポーションですね、送り返されているんです。それ以来不思議な能力は無くなりました。 小池 そうでしたか。特殊な例ですね。一般に神隠しといわれるものは、社会的に問題になったのは江戸時代。当時の天狗思想とか、仙人思想が流行しておりましたので、そういうものにさらわれたとか言われました。実態は行き倒れ、家出、憑依による野垂れ死にとか、人身売買目的の誘拐、事故死、それから赤子の口減らしと言いますか、間引きと言いますか、貧しさ故の事ですけれども表向きの口実に、神隠しという言葉が使われたことも明らかにされております。その他、江戸時代の国学者平田篤胤は心霊研究で有名な方ですが、この方の著作の中で幽体離脱の記載があり、天狗によってあの世に連れて行かれたと、つまり幽体離脱を神隠しというふうにして居るんです。そう言うことも一種の神隠しと言えるでしょう。 丹波 平田篤胤などの話を、小泉八雲(イギリス人)がまとめて物語にしていますね。その一つに「勝五郎の再生」が有り、私がビデオ映画にしました。子供が死んで、仙人に連れられて霊界を巡り隣村で生まれ変わるのですが、その子が過去の記憶を喋るんですね。 しかし、憑依によって入れ代わった場合、最近でもありますが犯罪が行われても罪にならないという、一番始末が悪い状態です。 小池 精神病として扱われます。 ●心霊治療とは? 小池 一般には、いろんなものを心霊治療とひとまとめに呼んでいるようです。 大きくは二種類に分けられます。一つは、治療家自身のエネルギーを使うもの。もう一つは、霊界のお医者様である霊医が、霊的なエネルギー、治療光線を流すと言うこと。 丹波 それが大事だ。 小池 そうです。これが本物の心霊治療、本物のスピリチュアルヒーリングと言うことなんです。霊医がエネルギーを送って、地上のヒーラー(治療家・医師)と言いますか、治療家は道具に過ぎません。道具と言いますと丹波先生から堅いイメージと言われるかもしれませんが……。(笑い)その道具を使って、波動を下げて治癒エネルギーを(患者の)霊に送り込むと霊が癒され、精神が安定して、肉体の不調も治り病気が治ると言う、まあ大雑把な説明です。 ヒーラー自身のパワーを使うというものは、これも二つに分けられて、単純に肉体レベルだけに働きかけるもの、これはヒーラーの生体磁気を使うものです。中国医学で言う「気」と言うような、言葉で言われるものだと思われたらよろしいと思います。これは肉体にしか働きかけることは出来ません。本当の意味で病気を治すという事では、人間の存在というのは霊と、精神と非常に関連していますので、(肉体だけでは)根本的治療にはなりません。一時的なものであって病気のぶり返しが伴います。 同じヒーラーのパワーを使うサイキックヒーラー(精神治療家・心霊治療家。この場合精神を指す)は、患者の精神レベルに働きかけて、患者の精神を活性化して刺激を与えて、治癒力を促すことによって治すというものです。本物のスピリチュアルヒーリングから見ますと、これも対処療法と言いますか、一番本体である霊にまで働きかけるものではありません。あくまで精神レベルです。 ですから霊界の霊が関与する、霊がエネルギーを送る、これが本物の心霊治療です。 岡安 末期の方で、絶対に駄目だと思われた方でも治ったりしますよね。 小池 奇跡的治癒力ですね。治るべき時が来ていないと治りません。カルマが関係していますので、どんな有名なヒーラーの所を何軒廻ろうとも、その方がエネルギーを受けるだけの霊的進歩を遂げていて、カルマが消滅する時を迎えていないと、治りません。ですからヒーラーが治したのではなく、本当にヒーラーというのは道具なんです。患者の時期が来ていて、治るべくして治ったと言えます。スピリチュアヒーリングで治る人、治らない人は患者の時期で決まります。 本当の真理の判っているヒーラーでしたら、最初に「治るか治らないか、判りません」と言うべきなんです。やってみなければ判りませんが、相手(患者)と心の準備をして、霊の光が自分(ヒーラー)を通過体として相手に流れ込み、相手は光を受けるイメージを、受容的な気持ちでリラックスして受けていただきます。 丹波 現代医学より、はるかに進歩した医者が霊界に居ると言うことなんだ。 霊界の医者と人間界の医者ではケタ違いなんだ。霊界の時間とこちらでは進歩の度合いが違うから、人間界で未来の事でも霊界では未来じゃないんだ。 岡安 経験はないんですが、奇跡みたいなことは有るんだろうナーとは思います…。 丹波 私は動かなくなった女房の両足を、どうしても治してもらいたいと思っていたんですが、或るところに診てもらうのに半年待ちなんて言う、繁昌している治療家がいたんだ。たまたまその方のことを僕が本に書いたことがあるもので「明日でも良いです」ということになって女房を連れて行ったんですが、結局治らなかったんです。私に対しては、「あー、まぶしい、まぶしい」等と言って「あなたはチョッと修行すれば、私と同じ様なことが出来るようになります」なんて言うんです。 岡安 フィリピンの心霊治療などは、血が出たりして生々しいんですけれど。インチキなんですか? 小池 そんな事はありませんよ。錆びたナイフや素手で患部(臓器など)を取りだして、手でスッと撫でるだけで傷口が塞がると言うのは心霊治療なんです。 ただ、それはその土地の民族の霊的内容に見合ったところで、霊界があることを知るために行われている派手な心霊治療ですから、日本はそう言う所ではありません。霊的真理を受け入れて、一人一人が真理を拠り所に霊的人生を生きることが出来る、そう言う時期に来ております。勿論一人一人の違いはありますが、派手な心霊現象で人目を引く事は、日本に於いては必要無いことです。欧米のヒーリングに比べて派手なだけに、奇跡的治療が頻繁にあるとか、大変な効果が上がっていると思われるかもしれませんが、その様なことはありません。 ヒーリングの方法としましては、難しいことはありません。軽く、自分が霊界の霊に使っていただく、霊的治癒エネルギーの通過体になるということをイメージして「どうぞ自分を使って下さい」と言う心境を出来るだけ高めて、無心の心になって「もし時が来ていてこの方が治る時期が来ていたら癒して下さい」と言うことをお祈りされて、軽く額に触れるか、身体(患部)に触れたり、触らなくても勿論よろしいのですが、チョッと触って差し上げると安心される方もありますから、どちらでも良いんです。原則的には何一つ難しいことなんてありません。自分が気負って「念を込めてー」とか、ポーズをかっこよく決めてとか、そういうことは必要有りません。 丹波 お祈りと、よく似ています。お祈りというのは自分のために祈ったら絶対に良く効かない。何の代償も無しに、本当に治したいと言う方が向こうに通じる場合が多いんだ。これは遠隔治療でも、目の前にいる方がもっと良いんだろうが、同じだね。僕もお祈りしたことがあったんだが、何件か効果があったようなんだ。まあ4人だね。でも、僕にその様な力があるなんてとても思われない。祈りは、純粋に人のためという場合だけ効いてきます。 岡安 遠隔治療を一度受けたことが有るんですけれど、効きましたね。 丹波 だから自分とは無関係に、その人の為だけにお祈りする場合は聞いて(効いて)くれるんだ。心霊治療は、霊界のお医者さん達が研究している事を人間を通じて行うんだから、それを奇蹟としか言い表せないくらいに、現代医学より進んでいるのは、当たり前なんです。 岡安 先ほど、治る時期が来たら治ると仰いましたが、その時期が来れば現代医学でも治るのでしょうか。 丹波 そこのところが難しいね。治る時期というのは治って初めてそういう時期だと言えるのであって……。 小池 やってみなければ判りませんね。 丹波 「時期が来ていれば心霊治療も現代医学も同じかい?」と言うのは、良い質問だ。例えば神様について説明するのに、出口王仁三郎さん(大本教聖師)の僕が気に入った言い方は、「耳で見て、目で聞き、鼻でものを食べ、口で嗅がねば神は判らぬ」と、これはユニークな言い方だね、ざっと考えれば判らんと言うことだよ。(一同笑い) でもね、言い方が素晴らしいんだ。 神様はいらっしゃるのに相違無いが、神様について説明する場合、コーラン(イスラム教聖典)では「七つの海を全てインクにして、世界中の森の枝を筆にして、神について書いても書ききれぬ」とされている。心霊治療とは何か?。説明するに当たっては、霊界の医者達が人間界の医者のレベルを超えて研究したものを人間界に伝えて治すんだとするならば、時期が来ないと治らない。チョッとずれて来るんだ。 小池 そうですね、カルマと心霊治療の時期というものが関係してきます。カルマを断ち切る時期に来ていれば心霊治療で治ります。病気の原因というのはいろいろあります。例えば、悪い食べ物を沢山食べ、ストレスをためこんだり、勿論肝心なのは霊なんですけれども、霊が歪んでいて不安定になったりとか、いろいろあります。物質的要因が強ければ、食生活を変えて栄養療法と言うようなことで成功する場合もあります。 ですけど肝心なことは霊ですので、現在身心相関医学と言うことでストレスが身体に大きな影響を及ぼすと言うことが、(現世の)最先端の医学の分野で研究されていますが、物質的な要因でなく霊が治癒力を掘り起こせるような良い状態になければ、結局ぶり返すことになってきます。心の持ち方が悪く、ストレスをため込んでいるとなれば、本当の治癒には難しいのではないのでしょうか。根本的治療が心霊治療です。 地上の医学レベルではホリスティック医学と言うように、精神的レベルまで意識が来ています。(場合によっては)精神が肉体にダメージを与えると言うことは、非常に言われていることなのです。ですが霊的なものが一番の本体で、そこを一番正していかないと、人間としての全体を調和させるところまでは、医学は進歩していません。 丹波 私としては、このようなお話が出来て大変心強いです。今日はいかがでしたか。 岡安 大変興味があることで、まだまだお聞きしたいですね。 小池 楽しく、良い時間を過ごさせていただきました。 丹波 それではどうもありがとうございました。 《来月のお客さんは、岩崎ひろみさん・江原啓之さんです》 |
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