【第59回】 《2006年5月》

   平成8年、テレビ東京で『丹波哲郎の不思議世界』が放送されました。
   この番組は、ゲストの不思議な体験を聞き、丹波哲郎が解説していく内容でした。
   番組の内容を日本文芸社から出版しました。(絶版)
  
『本当にあった霊体験・臨死体験17人の証言』というタイトルです。
   その17人の体験談を、抜粋し御紹介していきます。

   以前も一部御紹介した内容もありますが、再度詳細に掲載していきます。
   対談形式ではありませんが、お許し下さい。


  
       霊界から送られてくる強烈な通信

            ジョージ川口さんの体験〜


      
 アクロバット飛行中墜落、三途の川を渡りかけた

丹波 「幽体離脱ということでは、『臨死体験』にも触れておかなければならない。
今回御紹介するのは、とりわけ強烈な臨死体験をされた、ジャズ・ドラマーのジョージ川口さんである。

 ジョージさんは、太平洋戦争の末期、飛行機乗りとして満州(現在の中国・東北地方)にいたという。偶然にも私と同じ飛行部隊であったということがわかったのだが、当時は面識がなかった。


川口 
「飛行学校を出たあと、教官をしていました。
 その日、生徒たちが見ている中で模範飛行をやっていたわけです。宙返り、キリモミ、上昇反転など、アクロバット飛行ですね。

 模範飛行がひととおり終わって、急降下をし地上が近づいたところで急上昇するという最後の演技に入った。急降下からエンジン全開で急上昇。400メートルぐらい上がったところで、〃ドカーン〃という音がした。エンジンのシリンダーが壊れちゃったんです。エンジンがストップしたもんですから、反転して裏返しのまま飛行場に不時着しようと思ったのですが、失速してキリモミ状態になっちゃった。高度400メートルあたりから、4回転ぐらいしましたかね。地面がグァーツと上がってきて、瞬間、これは死ぬなと、もうおしまいだと思いました。

 そう思ってから1秒の何分の1か、正確にはわかりませんが、自分の親兄弟や友達、そして人生のいろんなものが走馬燈のごとくに閃いて……:。あとは、バリバリっていう骨の砕ける音が聞こえたんです。

 見ていた人間は、みんな即死だと思った。なにしろ、操縦席は地面から2,3メートルも潜ってたそうですから。そこから引きずり出されてトラックに積み込まれたとき、うめき声を出した。それで〃生きてる!〃というので、病院に運ばれたわけです。

 あごと首の骨が折れて腕と足も折れていた。丸2日間、人事不省。当時、東洋一と言われていた満鉄病院で手術を受けたのですが、意識が戻ったときには40度以上の熱がありまして全身が痛い。

 それは『殺してくれ!』と叫びたくなるほどの痛さでしたね。

 人事不省の状態のときでした。三途の川を渡りかけたんです。きれいなお花畑があって、その向こうのほうからかわいがってくれた祖母が『こっちへおいで』と呼んでいる。

 一生懸命そっちへ行こうとするのだけれど、体が動きませんでした。

 これは回復してからのことですが、医者から『あなたは40歳まで生きられない』と言われました。それから50年以上たちましたが、まだ死にそうにもありませんね」




    三途の川はその人の意識が生みだしたもの

丹波
 
ジョージ川口さんの話を聞いて、私は「地上に激突したとき、痛みは感じなかったでしょう?」と言った。ジョージさんの答えは「その瞬間、痛くも何ともなかったですね」というものであった。

 「痛いというより、むしろ気持ちよいという感じだったでしょう」と私。
 
「激突して、それから気持ちよくなった」とジョージさん。

 ジョージさんが墜落した瞬間、彼の幽体は離脱している。だから、全身の骨が砕けるような大けがであってもまったく痛みを感じないのである。

 ところが、肉体が回復してくると幽体が戻ってくる。こうなると、ジョージさんが言うとおり「殺してくれ!」と叫びたくなるほどの痛みを感じるようになるのである。そしてこれが、臨死状態からこの世に復活した証となるわけだ。

 ジョージさんは、人事不省の状態のとき「三途の川を渡りかけた」とも話してくれた。その情景を鮮明に覚えているのだが、それは三途の川ではない。あくまでも「これが三途の川」というジョージさんの意識が生み出したものである。

 要するに、イメージの世界の産物なのである。臨死体験者の中で、こうしたイメージによって作られた三途の川のシーンを見る人は決して少なくない。

 最後に〃走馬燈〃の話に触れておこう。

 ほとんどの臨死体験者は、ジョージ川口さんと同じように、ごく短時問のうちに自分の人生のさまざまな光景を見る。それが、全人生であることもしばしばなのである。

 たとえば、私の知人の編集者のケース。彼は山登りが好きだったのだが、20歳のとき崖から足を滑らせて70メートルも落下するという事故にあった。落下が終わるまで三度岩角に叩きつけられ、骨が砕ける音を聞いている。落下の時間は、ほんの数秒。そのあいだに彼は、20歳までの人生のすべてを見たのである。

 入院中は、彼の祖母と母親が看病にあたった。その二人に向かって、「僕が生まれて1週間後にこんなことがあっただろう、1ヵ月後にはこんなこともあっただろう」と言ったのだ。

 そう言われた母と祖母は顔を見合わせた。そんなことは、二人ともすでに忘れている。
しかし、記憶をよみがえらせてみると、たしかに彼の言ったとおりのことがあったのである。

 臨死の場合、人間の脳がそれほど研ぎ澄まされた状態になっている。

 さて、ジョージさんも知人の編集者も、一命をとりとめた。一般にこれを〃奇跡〃と呼ぶが、それは正しくない。

 人間がいつ死ぬのかは、この世に生まれたときから決められている。単に「その時」ではなかっただけのことである。「その時」でなければ、どんな危険な目に合っても、決して死ぬことはないのである。たとえ幽体がいったんは離脱したとしても、必ず戻ってくるものなのだ。
                                            (つづく)