【第57回】 《2005年11月〜12月》

   平成8年、テレビ東京で『丹波哲郎の不思議世界』が放送されました。
   この番組は、ゲストの不思議な体験を聞き、丹波哲郎が解説していく内容でした。
   番組の内容を日本文芸社から出版しました。(絶版)
  『本当にあった霊体験・臨死体験17人の証言』というタイトルです。
   その17人の体験談を、抜粋し御紹介していきます。

   以前も一部御紹介した内容もありますが、再度詳細に掲載していきます。
   対談形式ではありませんが、お許し下さい。


  
       霊界から送られてくる強烈な通信

            〜つのだじろうさんの体験〜


      
 ダーンという音、納戸から火が吹き出してきた

つのだ 「私の祖霊は、秦の始皇帝」


丹波 堂々とこう宣言している人がいる。
 その人とは『うしろの百太郎」のヒットで〃心霊漫画家〃という肩書きまで付けられている、つのだじろうさんである。
 さて、つのださんが自分の祖霊を始皇帝だと信じるきっかけを作ったのは、彼の自宅の火事なのだ。


つのだ「これが、霊的な火事だったということです」


丹波 つのださんは、この言葉から話を始めた。


つのだ「火事になったのは、私がシンノ企画という会杜を設立したその日の夜です。時間は午前O時。まだ一階の仕事場で仕事をしていたのですが、電気がポンと消えてしまった。

 停電だと思って近所を見ると、どこも灯りが点いているんですよ。私の家も、仕事場だけが消えていて、隣の部屋に行ってスイッチを入れてみたらちゃんとつく。隣の部屋も電気の回路は同じなわけで、変だな、と思った。ブレーカーは二階にあるので上がって行きました。

 その途中、電気のスイッチを入れていったのですが、全部つく。そして、ブレーカーの近くまで着いたとき、玄関先でいきなり〃ダーン!〃という大きな音がした。そんな音をこれまで聞いたことがないので、何だかわかりません。

 人間は、自分が聞いた経験のある音、たとえば、人間のぶつかった音、自動車が衝突
した音、ガラスが割れた音なんかは〃あれかな?〃というので、だいたい理解できるものです。

 しかし、私の聞いた音は、そういうものではなかった。まったく理解できない、何とも言いようのない音だったんです。それも、非常に大きな音だった。

 エーッというわけで、急いで玄関に回ってみたけど、何もない。そこで、もう一度ブレーカーのところへ戻ろうとしたわけです。

 玄関を上がった脇に、納戸がある。トイレットペーパーのスペアとか傘なんかが入っていて、私は普段開けることなどほとんどない。その納戸の中で、ここだ、ここだというように〃ダーン!〃と、さっきと同じ音がした。私は納戸の戸を開けたのですが、途端に床の隅から火が吹き出してきたのです。一瞬〃エッ、何だこれは!〃という感じです。とにかく火事だ、と。どうして火の気のない納戸から火が出たのかなんて、そんなことはみんなふっ飛んでしまった。

 夜中の0時を回っているから、子供もみんな二階で寝ている。それを叩き起こして、急いで避難をした。火のまわりが早くて、外に出るのが精いっぱい。なにしろ、玄関を出るときには、もう火が天井をなめてましたからね。

 結局、何も持ち出せなかった。近所に消防署があるので、五分で消防車がやってきたけど、それでも二階は全焼です。一階の仕事場も消火のためにかけた水がたまって、床
上浸水。すっかり水浸しになってしまいました。

 一階には、昔の原稿や辻村ジュサブローさんの人形など、二度と手に入らない貴重品がたくさんあったんです。これで、全部ダメにしちゃった、と思っていたところ、翌日現場検証が終わってから調べてみると、一つ残らず無傷で助かっていたのです。火も水も煙も全部よけている。ほかは全部やられているのにね」



丹波 つのだじろうさんは大変な目にあったわけだが、話はここからが本番である。彼は、この火事をどう解釈したのか。


つのだ「ちょうどそのとき、母親が草津に湯治に行ってました。その母親の枕元に、温泉の湯気のようなものがワーッと立ち上がってきた。母親は、いったい何なのだと…。現れたのは、豪華な中国の服を着た偉い人で、その人はこう言ったのだそうです。

 『朕は秦の始皇帝である。汝の息子のジロウに告げよ』と。

 私の家系は、秦と書いてシンノと読む。大変に珍しい名字なんですが、私は火事の半年ぐらい前までそれを知らなかった。会杜を設立する半年ほど前に、父からそれを初めて聞きました。老齢になった父親が、突然『うちはシンノだシンノだ』としつこく言いはじめたのです。

 ちょうど会杜を興そうとしていましたので、それでは親孝行をしようというので、社名をシンノ企画にしたのです。父を代表取締役にして会杜を設立した途端、火事が起きた。そして、始皇帝が出てきてしまった。

 彼、つまり始皇帝が言うには、『自分はジロウの祖霊である。シンノという名号を戴いて仕事をしようというのは大変によいことだ。しかし、おまえは先祖を大事にしていないのではないか。シンノという名前には数千年の礎がある。それを使うのであれば、まず先祖の墓にお参りをし、さらに中国に渡って朕の墓に参れ。そして、墓の前で朕の肖像画を描け。それを寺に持って行き、入魂の経をあげてもらえ。その後、絵を日本に持ち帰り、自分の画室に架け、日中友好のために仕事をすることを誓え。そうすれば、ジロウの仕事は生涯守ってやる。それは、果てしなく盛んになるであろう』こう告げたわけです。そして、火事は、私に警鐘を鳴らすために始皇帝が雷と化して起こしたものだと一言うのです。

 たしかに、火の気のない納戸から火が出たり、水浸しになった一階の中で、貴重な品物だけが、被害を受けなかった。それも一カ所に集めてしまっておいたのではなく、あちこちに点在していたものなんです。不思議な火事なんですよ」




       
霊界の研究をせよ、との強い指令である

丹波 シンノ氏の本家は福島の田舎にあるのだそうだ。つのだじろうさんは、これまで一度も行ったことがなかった。この〃事件〃をきっかけに、つのださんは福島にある先祖の墓に参った。さらにお告げで指示されたとおり、中国へも出かけで始皇帝の陵に詣で、その前で肖像画を描いたのである。


つのだ 「絵を描いたときも凄かったですよ。いわゆる自動書記みたいなもので、色紙と筆を持ったら手が勝手に動き出した。私は絵を描いて生活をしてきたわけだから、自分の絵とか手とか、描くスピードなどは全部はっきりとわかっています。ところがですね、そんなことははるかに超えてしまっているのです。とにかく、シュシュ、シュシュと、もの凄いスピードで描けちやう。

 このことがあって以降、テレビを何となくつけると始皇帝の番組をやっていたり、本屋へ行くと目の前に始皇帝の文献があったり……。要するに、もっと調べろ、もっと勉強しろと急ぎ立てられているわけです。ここ15年ばかり、ずい分と調べました。結局、始皇帝は、私のライフワークになりましたね。

 始皇帝というと、万里の長城と焚書抗儒(フンショコウジュ)だけが取り上げられがちです。何か、悪いイメージだけが喧伝されています。しかし、貨幣価値を決め、度量衡、つまり、長さの単位、面積や重さの単位を決めた人です。それが正しいものだから、現在でも彼の作った単位が使われている。そうした面がずい分と軽視されていますね。

 で、始皇帝は私の何であるのか。始皇帝は、私の「祖霊」。祖霊とは、先祖の中心人物。大本ということです」



丹波 もともとつのださんは、霊界研究のオーソリティーである。それをより深めたのが、火事、つまり〃始皇帝体験〃なのである。火事は、霊界からの強い指令。私はそう解釈する。「もっと、霊界の研究に励め」というわけである。そうでもなければ、つのださんを見舞ったような現象は起こるはずがないのである。

 私とつのださんとでは、霊界に対するアプローチの仕方は違っている。だが、そんなことはさしたる問題ではない。つのださんが霊界研究に励まれるということは、霊界の広報マンをもって任じている私にとっても慶賀すべきことである。

                                             (つづく)