【第56回】 《2005年10月〜》

   平成8年、テレビ東京で『丹波哲郎の不思議世界』が放送されました。
   この番組は、ゲストの不思議な体験を聞き、丹波哲郎が解説していく内容でした。
   番組の内容を日本文芸社から出版しました。(絶版)
  『本当にあった霊体験・臨死体験17人の証言』というタイトルです。
   その17人の体験談を、抜粋し御紹介していきます。

   以前も一部御紹介した内容もありますが、再度詳細に掲載していきます。
   対談形式ではありませんが、お許し下さい。


  
       霊界から送られてくる強烈な通信

             〜つまみ枝豆さんの体験〜


      
 夢で現実で何度も黒縁メガネの男の霊が……

枝豆 「僕の最初の霊体験は、小学校の四年か五年のときでした。最初は、アッ、これはオバケだなと思いましたね」

丹波 「こう語るのは、たけし軍団のつまみ枝豆さんである。
 枝豆さんはその霊について、臨場感溢れる語り口で話してくれた。彼の仕事はコメディアン。だから、怖くもありそれ以上に面白くもありということで、大いに楽しませてもらった」


枝豆
 「変な夢を見たときに、必ず出てくる人がいました。僕はまったく知らない人で、黒縁のメガネをかけて、髪を七三に分けている。ごくごくフツーの人で、昔のサラリーマンみたいな感じの人でしたね。
 一番最初に出てきたのは、崖から落ちる夢の中。崖の中腹に段があって、そこに仲間がいて僕に指を差していたんですけど、その中に一人だけ知らない顔が混じってました。それがその人だったんです。
 次に見たのが、自分が死んで火葬場で焼かれる夢のときです。
 僕は、死体を焼く箱の中に入れられて、仰向けに寝ていました。部屋の四隅に人の顔がズラーッと並んでいたんですよ。全部全く知らない顔。今までそこで焼かれた人なのかも知れません。並んだ顔の中で、僕の真正面にいたのが、その男。子供ですから、
とにかく怖かった。
 今の二つは夢の中ですが、今度はそうじゃありません。小学校の5年か6年の体験です。実家は伊豆なんですけど、よく白浜に泳ぎに行ってしまいました。そのときも、10才上の兄貴と兄貴の友達と僕と三人で行ったわけです。
僕は泳ぎが達者だったんで、遊泳禁止のブイを目指して泳ぎました。ある程度まで近づいたところで顔を上げると、海面に太陽の光がさしてたんです。ちょうど、四畳半くらいの広さに。なんだか気味が悪いなと思いつつその近くまで泳いで行きました。で、見ると、水はあるんだけれど、ストンと光が抜けて、海底が見えるんです。深さはせいぜい10メートルくらい。下が全部見えて気持ちが悪かった。
 その海底に、黒ぶちのメガネをかけた夢の男が仰向けなって僕を見上げていたんです。怖かった。僕はあせって戻りはじめました。その途中で横を見たら、水面から30センチくらい下のところで、その人がまた僕をジーッと見ていた。そこで僕は溺れてしまいました。幸いすぐに助けられたのですが、僕は、『出た出たオバケが』と言いながらワァーワァー泣きました。
 ここで終われぱまだしも、続きがあるんです。
 泣きながら、『帰りたい、帰りたい』と僕が言うので、兄貴もとりあえず帰ろうと。着替える前に、海の家のシャワー室に入りました。シャワー室の中に鏡がありまして、鏡といってもペラペラの、なんかでコーティングがしてあるような安っぼいやつです。シャワーを浴びながら何気なく鏡を見た。すると、鏡のハジッコにあの男の顔が映ってたんですよ。ワァーッという感じで、すぐに飛び出しました。あとは家に着くまで泣きっぱなしだったと兄貴は言っていました」

丹波 「最初は夢の中で繰り返し現れ、ついにはうつつでも現れはじめた黒めがねの霊。それも、枝豆さんの身に何かしらの"危険"を予感させるような状況のときに出てくるようである。これだけ頻繁に、そしてはっきりと姿を見せるのだから、よほど枝豆さんと因縁の深い霊にちがいない。
「自分に因縁が深い」ということについては枝豆さんも気になったらしく、霊媒師にそのあたりのことを尋ねてみたという」

枝豆 「霊媒師の方は、僕が前世でよほどお世話になった人か、深い関わりのあった人ではないか、と言っていました。溺れかかったということはあるにしても、僕に対して具体的な危害を加えることがなかったですから」

丹波 「つまみ枝豆さんの話を聞いているうちに、この霊について私は「おそらくこうではないか」という一つの解釈を得た。しかし、その解釈を披露する前に、もう少し枝豆さんの話に耳を傾けることにしたのである」

枝豆 「それからしばらく、その人に会うことはありませんでした。海での事件があって何年もたったころのことです。
 実家が田舎なものですから、どこへ行くにも自転車を使うわけです。その日の夜も、何かの用事があって自転車で出かけました。実家から大通りに出る道が少し下り坂になってまして、途中に墓地があります。墓地といっても、お墓が五、六基という小さなものです。
 ちょうどそこを通りすぎようとしたとき、自転車の前を白いものがスーツと横切った。それにぶつかってしまって、ガシャン! と音がしたんです。自転車も止まりました。僕は猫か何かを引っ掛けたんだと思って周りを見たのですが、何もない。ふとお墓のほうを見ると、石塔と石塔の間にいたんです、あの男が。男はじっと僕の顔を見ていました。
 男は、もう一度現れました。この業界に入って、たけしさんの運転手をしているころ、夜中に帰宅して風呂に入ろうと風呂場に行きました。沸かし直しですから、水の量が足りているかどうか確かめるため、風呂のフタを開け湯船をのぞき込んだ。すると、水に自分の顔は映らなくて、あの人の顔があったんです。
 もう、パニクリましたね。今までなら、ワーッと逃げるんですが、どうしたわけかそのときは逃げなかったんです。じっとその人の顔を見て、湯船をかきまわしちゃったんです。かきまわしたあと、こんなことをして、バチが当たったらどうしようと心配になったんですが、でも、それからはまったく出なくなりました。かきまわしたおかげで、どっかに散っちゃったんですかね」


         「もう一人の自分」が信号を送ってくる

丹波 「さて、私の解釈である。
 黒めがねの霊は、もう一人のつまみ枝豆さん、という可能性がある。
 人間は生まれ変わる。この「生まれ変わり」について、かなりの人が『そっくりそのまま生まれ変わる』と考えているようだが、それは違う。
 前世の人間の全体がそっくりそのまま生まれ変わるということは絶対にない。では、どんな生まれ変わり方をするのか。『部分的に生まれ変わってくる』というのが答えである。それも、ごく一部分であるのがほとんどなのだ。部分を人間界に送り出し、枝豆さんの本体は霊界に残っているのである。つまり、本店は霊界にあって、支店がこの世に生まれ変わっているわけだ。
 そう考えると、枝豆さんのケースも解釈がしやすい。
 黒めがねの霊は、枝豆さんに危害を加えていない。であれば、素直に彼を本店だと考えてみてはどうか。
 ではなぜ、本店が支店にしばしば現れるのか。そして、なぜ唐突に現れなくなったのであろう。
 おそらく本店は、支店に対して何か不安があったのだと思う。それが心配で、枝豆さんをガードするために、ある時期まで現れ続けたのである。唐突に消えたのは、不安が解消したからにほかならない。「もう、独り立ちをしても大丈夫だよ」ということなのである。
 もし、枝豆さんが霊媒体質でなければ、こうした本店のガード、言葉を換えれば霊界からの通信に気がつかないまま生活をしていたであろう。だが、枝豆さんは強い霊媒体質を持っていたのである。おかげで、霊界研究にとって貴重な材料を提供してくれることになったというわけである。
 もちろん、私の解釈が100%正しいというわけではない。ただ、長年霊界の研究をしてきた私からすれば、「こう考えたほうがよい」というのが、枝豆さんへのアドバイスなのである」
                                           (つづく)