稲川淳二さん
(タレント)
小池里予さん
(スピリチュアル研究家)
   
 
 【第5回】 2001年1月掲載用

 ● 永遠の生命について
 

丹波 淳ちゃん、こちらの小池さんは、私が出会った霊の世界、生命の永遠という世界の研究者としては、一流中の一流。これは敢えて言わせて頂いております。即ち宗教とは全く関係ない。私利私欲とは、全く関係ない。金銭と、このトークは全く無縁だと言うことに賛同されて、出席して下さったんです。でも、お車代(交通費)位は受け取っていただかないと。    

小池 そんな大したことでは御座いません。

稲川 何う言う訳で、お知り合いになったんです?

丹波 これはやはりご縁で、巡り会うようになっているんです。私が来世研究会を主宰すること自体考えられなかったよ。でも霊界研究は宿命、大事な使命なんだ。その中で出会うと言うことは、淳ちゃんと同じで向こう様の方で決まっているんだ。そういう時期が来たんでお会いできたのです。
 さて、まずは「永遠の生命」。
 これは今や当たり前なんだ。ところが「永遠の生命」と言うと漠然としているんだ。それをしっかりと捕まえるのが我々の霊界研究なんだ。
 我々の肉体、肉体の中に幽体。中と言うよりダブっているんだ。幽体の中にダブって本体(霊体 ※霊体を第2エーテル体、本体を第3エーテル体と分ける場合もある)これらがダブって永遠の生命を形成している訳なんだ。肉体が亡くなる(無くなる)幽体が出てくる。これは肉体のそっくりさん。この幽体は肉体の中に入っているときは烟のような、つまり(幽体の状態が)オーラとなって出ている。

稲川 それは判ります。

丹波 このオーラが問題だ。オーラの光の在り方によって、その人物(人格)が決まる。(幽体の状態によってオーラが変化する為)この肉体の操縦士が幽体。これを車に例えると幽体は車(肉体)の運転手。車が壊れたら運転手は出れば良いんだ。こんどは、霊体が幽体という車に乗っているようなもので、肉体の中に幽体、幽体の運転手が霊体、人の形から魂へ……形としては球のようと言うか、光、エネルギー、まあどのように解釈されても良いが、そう言う過程に於いては永遠なんだ。そしてそのエネルギーには個性があり、淳ちゃんはその個性を持って永遠にいるわけなんだ。

稲川 なるほど。しかし、字で現すと面白いですね。肉体を失って、幽体と霊体というのがあるわけですよね?。肉体の無い意識というのは、幽と霊、幽霊ですよね。魂というのは……。

丹波 霊魂と言うけれども、霊と魂は同じ様なものなんだ。敢えて説明すると、魂というのは家有子。霊というのは家無子。悪い言い方をすると、これは怒る人がいるかもしれないが、魂と言うのは飼い犬。霊というのは野良犬。同じもので、(肉体と)繋がれているかいないかの違いです。
 肉体というのは皮、着物、外套、(死んでしまえば)スクラップと言っちゃ悪いね。でも、人間界で生きるには人間界での肉体が、潜水夫は潜水具(肉体)が必要じゃないか、海から上陸(霊界入り)したらそれは要らないわけだ。そして、幽体も脱ぎ捨てる時期が来るわけだ。その選択の時にまた肉体が欲しいと思う場合、自分の選択と、類魂、類魂なんて言ったんじゃテレビを見てこれから研究をしようとしている人には、解りにくいかもしれないから、仲間のアドバイスに従って決めるのが人間界への誕生です。
 もう一つは、誕生しないで(霊界で)もう一つ上へ行こうとする者もいる。これが永遠と言う事なんです。


小池 少し丹波先生の見解と違うかも判りませんが、高級霊が明かしている人間の構造と言いますか、霊が一番の本体で、魂と言っても良いと思います。
 それから霊の身体(幽体)それから肉体ですね。この三つが影響を及ぼし合って、人間というのは三位一体的な存在として造られております。
 死と共に肉体は無くなりますけれども、霊の身体である霊体と霊そのものは霊界で生きることになります。 長い進化の道を辿った暁には霊の身体そのものも形態は無くなりまして、霊そのものが光源、光と言うような形で永遠に進化の道を辿るということになります。
 名称の問題ですが、地上の用語の問題にあまりこだわるというのは、見誤ってしまいます。
 高級霊というのはスピリチュアリズムで通信を送って下さいます霊格の高い高級霊(シルバーバーチ等)なんですけれども、先ほど丹波先生が幽体、霊体と仰られましたが、用語は何であれ、霊の身体が霊格の向上と共により精妙化していって、状態が変化するということなんです。
 判りやすく昆虫の脱皮に準えて幽体を脱ぐとか、英語ではアストラル体ですとか、メンタル体、エスリック体(エーテル体)いろんな呼び方をしますけど、実は一つの霊の身体なんです。
 それは、状態が変化して行くということなんです。非常に粗雑な状態から、より精妙な状態へと霊性が向上するにしたがって、霊の身体が状態を変化させていくということなんです。
 地上に居りますときは、どんなに霊性の高い方でもやはり肉体の影響を受けますので、まさに幽体と呼ぶのに相応しいような素の状態と言いますか、荒い状態に有るわけですね。ですから一つの体に対する状態のシリーズ(連続もの)であると言うことなんです。


 ● 稲川淳二さんの体験

稲川 私……(霊の)見える範囲でもいろいろ違うんですよ。一般の方は幽霊というと皆同じだと思っているけれども、そこに存在して見えている者も有れば、私の頭の中にイメージが浮かんでいる者も有れば、形が無くて存在があるものも居るんです。
 今、永遠の命を丹波先生がお話になられましたが、まさに全くそれと同じ事を、初めて海外に行ったときエジプトのカイロで聞かされたんですよ。
 私、前からお墓が好きだったんですよ、親父の代から。(一同笑い) お墓の王様のようなもんじゃないですか、ピラミッドなんていうのはね。その時に申し訳ないけど、カイロの人達に会ったときに「こんなピラミッドを造るほどの能力は、こいつらには無いだろう。これを造った連中は絶対にこの連中じゃない」と思ったんです。どこかでバカにしているんです、申し訳ないけど。
 その時夕日が沈み始めたんです。ピラミッドが三つあって黙って見ていたんですよ。私と、通訳の人と、ラクダ使いのボスが残ったんです。そのラクダ使いのボスが一生懸命に何か言うんですよ。言葉は解んないですから、何ていっているのか(通訳に)聞いたんですよ。そしたら、「向こうを、ラクダをひいて歩いている少年がいるが、彼奴は何のために生きているか解るか?」て、言ったんですよ。あー、何か難しいこと言うなと思って、面白いから聞いた訳なんですよ。何う言うことなんだ、チョッと教えてくれと言ったんですよ。そしたら、「あの少年は、死ぬために生きている」と言ったんですよ。

丹波 死ぬために生きている!

稲川 ええ、珍しいことを言うなと思って、「何う言う意味なんだ」と聞いたんですよ。そしたら、夢中に彼が言うには、「あの少年の親父も親父も、その又親父も又親父も、彼奴と同じようにラクダをひいてここを歩いた」と言うんですよ。
 見たらね、ピラミッドというのは大きな岩盤、岩の上にあるんですよね。それ(道)が少し凹んでいるんですよ。何千年とラクダをひくから。そして彼奴のせがれも、そのせがれも、又せがれも、多分彼奴と同じようにラクダをひいてここを歩いたとすると、是まさに永遠なんですよ。今、丹波先生が仰った「肉体が変わっても、魂は一つ」と言うことでしょ、私それを聞いて「ああ、可けない。学校に行ってチョッと勉強をして、この連中より頭良いと思ってバカにしていたけれども、彼らは私が考えてもいないような永遠の命を持っているんだなア」と私驚きましたよね。時間の捉え方が違うんですね。彼らは、魂なんですよね。親父もその又親父も、息子もその又息子もと言うことは、肉体は変わっていっても魂は永遠だと言っているわけなんですよね。

丹波 質問!   

稲川 何でしょう。

丹波 そのラクダ使い。永遠にラクダをひいているんだったら、形の上では継続は有ってもあまり進歩は無いな。

稲川 ああ……、そうでしょうね―。

丹波 ラクダが例えば1頭だったら、次の子供の時に2頭になり、3頭になり4頭になり100頭になってひいて行くんなら進歩もあるが、それは足踏みしているんじゃないのかなあ。(一同笑い)

稲川 あっ、それはいけないですね。それは考えつかなかった。(笑い)

丹波 継続というのも大切なことだが、足踏みじゃ駄目だね。

稲川 しかし、普通我々は例えば病院にお見舞いに行ったりしたときに、死というものを意識したりしますが、エジプトの人達は普段からそんなこと(死と永遠の生命)を考えているのかなと思うとビックリしましたよ。

丹波 自分には永遠に(現世での)死は来ないと錯覚している者がいるんだな。淳ちゃん、俺の人生計画は一年なんだよ。

稲川 何ですかその一年というのは?

丹波 一年しか生きていないというふうに計画するんだよ。周りの者は「また、一年?」なんて聞き飽きたふうに言うけれど、しかしそこに俺の生き様が有るんだ。淳ちゃんが二十年先に今のように売れているとは限らないんだ。そうすると二十年先の自分の人生を心配して、余計なサイドワーク(副業)を行ろうとして失敗するんだよ。芸能人には保証も何もないから。 稲川 (既に)余計なサイドワークをやった。あっ、マズイ。(一同笑い)
 思い当たるふしが有るんですよ。一年を目処にすりゃ良いものをね。絶対何れは儲かるだろうと、ずーと儲からないまま七年過ごしましたよ、事業を!
 でも、一年というのは短いですよね。でも、春にはこれをやって、夏には……と言うふうに考えるんですか? 丹波 いやいや、そんな事考えないよ。俺は俳優だけれども俳優だという意識がないんだ。俺は霊界の研究者なんだよ。霊界の宣伝マンと言っていたが、これからはメッセンジャーで行こうと思うんだ。宣伝マンと言うと安っぽいという意見があるが、でも宣伝マンというのは親しみはあるよね。そういう意味に於いては俺は宣伝マン。
 だから講演の時には「俺がこれからお話しすることは全部受け売りだ」まず冒頭に言うわけだ。そうするとマネージャーなんかは、そんなこと言わないでくれと言うんだ。でも「私の考えなんかじゃありませんよ。全部受け売りだよ」と言うと皆ワーと笑うんだ。和むんだ。即ち仲間になるんだ。そこから話を始めるんだ。
 俺は伝えるのが仕事なんだから、小池さん達とは(役目が)違うんだ。各々霊界の研究者の中でも分担が有るんだよ。同じ霊という知識を皆さんに運ぶに当たっては、分業が有るんだよ。それで、俺は一年しか生きていないんだったら、「メッセンジャーボーイ」と言うふうに変えたんだ。
 そこで、進言が有るんだ。心の道場の「霊界の道具」と言う表現はもう変えたらどうなんでしょう。印象が堅いと思います。

稲川 でも、謙虚ですよ―とても。

丹波 でもね、小池さん達のやっている仕事、態度その他を客観的に見てみると、道具という表現では勿体ない。道具と言う表現の時期は過ぎた。


稲川
 道具と心の話なんですけれども、今は物から心へ移行しているなー、と言うのが有るんですね。
 私工業デザインのデザイナーなんですよ。設計が商売なんですよ本当は。或る時、身体がご不自由な方だとか、年輩の方達のすごしやすい快適なベンチはないかと、依頼があったんですよ。デザインしたんですがどーも納得できないんですよ。
 ところがね、同じようにスペインで賞を取ったベンチがあるんですよ。普通のベンチですよ。何故だろうと思って調べてみたら、お年寄りだとか体の不自由な人というのは健常者と同じ生活をしたいと言うんです。外へ出て、公園に行ったり野球とか見るときに「貴方は体が不自由なんですよ、貴方は年寄りなんですよ、と言う所に誰が座るもんか」と言うことなんですよね。自分で苦労してでもその椅子に座るために頑張る。それが生きがいになる。だからデザインというのは形じゃなくて、心が入らなくては駄目だと解説しているんですよ。
 日本では形から入りなさいと教えられたんですが、ヨーロッパではそうじゃなく、同じように座れる状況(環境)を造りなさいと言うんです。そうですよね、貴方は病人だから、病人だからと言われたら、病人になってしまいますよ。貴方がんばんなさいよ、座れたら楽しいですよと言われたら、座る気になりますよね。 それを分かんないようにうまく造らなくちゃならないんですよね。でも、ショックでデザインが出来なくなっちゃった。(苦笑い)  
 丹波先生の場合もそうじゃないですか、これはお世辞じゃないんですけれども、先生はコマ(新宿コマ劇場・客席二千三百)などの大きな劇場で公演されるんだけど、ご年輩の方が沢山いらっしゃるんですよ。夢中で聞くんです。嬉しくて。
 ハッキリ言って先生非常に話がうまい!。人を騙すぐらいにうまい。 (一同大笑い) うまいんでつい聞いちゃうんだけれども、その時に涙こぼすくらいに笑っちゃうんですよ。でも、最初の頃に聞いたお年寄り達の何割かは、既にこの世にはいないでしょう。と言うことは、先生のお話を聞いて安心して逝っていると思うんですよ。
 人世厳しい時を生きてきて最後に心地良く、「死というのは恐怖でなく喜びなんだ」と思えるようになった先生の講演は、死の捉え方が変わりましたよ。

丹波 コマに人が入り切らなくて開演が遅れたんだ。それほど霊界の話が珍しかったんだ。今は行き渡っていると言うことですよ。いつの間にやら(霊界研究者・理解者など)増えたと言うことでは、私はお役目を或る程度果たしたと言える。

稲川 いえいえ、もう少し頑張っていただかないと。


 ● 水子、幼児は死後どこへ逝くのか?

丹波 死産児も含めて、水子、幼児は死んだらどこへ行くのか?。今、全世界的に生後二〜三ヶ月で死んでいく赤ん坊が非常に多いんだ。これに対して医者はネーミング(名称付け)が出来ないんだ。原因が解らないんで、自然死と言っている。これは霊界から見ると簡単なんだ。私の意見は小池さんの方で直したり、もしくは全く否定、これは自由自在です。私の言うことを「そうだ、そうだ」じゃ討論会にならないから、ドンドン違った意見が出て欲しいんだ。淳ちゃんも言ってくれよ。 先ず、子供というのは自分の方から出て来るんだ。  

稲川 そうなんですか!


丹波 親が呼んだのではない。淳ちゃんが淳ちゃんの母親を選んで出てきたんだ。その母親のお腹の中に入って、父親と母親のDNA (生物の遺伝子を構成する高分子化合物・二重らせん構造を形成) をもらって、そこで自分の(魂が)歪になったところを矯正する母親を選んで出てくる。
 選び方だが、私の新知識なんだが、例えばの話バスタブ(湯船)みたいなのが霊界にあって、その中に入っていると思って下さい。淳ちゃんそのものが今の形から段々小さくなって行くんだ。そして本当に小さな核みたいになるんだ。その小さな存在が母親の子宮の中へ、妊娠した瞬間に入ってくる。そして、お腹の中に入つた状態を別の角度から言うと、ホテルにチェックインすると言うわけだ。だから、サインしたんだ。そして部屋に荷物を置いたんだけれども部屋にいないんだ淳ちゃんは。外出しちゃうんだけれどもその部屋(母親のお腹の中)は淳ちゃんの部屋なんだ。犬に例えると鎖に繋がれて飼い犬になったんだ。でもその鎖は自由自在に伸びて、淳ちゃんはそのまま仲間の居る霊界に帰っちゃう。でも繋がっているんだ。
 そこで人間界の状況を仲間(類魂)に伝えるんだ。暫く話をして、また人間界に帰って来るんだ。そのうち段々お腹が大きくなってくると、お腹の中にいる時間の方が長くなってくるんだ。そのうちに淳ちゃんは「このお腹の中にいて子供として生まれても、自分の目的を達成するにはチョッと違うな」と気がつき始めるんだ。うかつだったんだ淳ちゃんの方が。そうすると淳ちゃんは盛んに母親をノックするんだ。でも母親が気が付かない場合、これ以上駄目だなという時には死産。自分で切っちゃうんだ。母親が気が付いてくれると、色々な状態で母親はまだ子供を産むのは早い、経済的、時期的などいろいろなものをノックして母親に与えると、母親は堕ろしちゃうんだ。しかし、出てから違うと気が付くヤツがいるんだ。かわいい盛りに逝かれたら親は堪ったもんじゃないんだ。しかしこのままでは魂の歪さが直らないと、自分で判断したヤツが勝手に逝っちゃったんだ。死んだらどこへ行くのかといったら、霊界へ帰るのさ。そして又出発点に戻るんだ。

稲川 メーテルリンク (1862〜1949・ベルギーのノーベル賞受賞作家)の「青い鳥」幸せを探しに行くという子供文学の中に、その様なシーンがありますよね。死後の世界や、自分の知らない兄弟に会ったりするし、これから生まれようとする子供は「現世に行って、君と会えるかな」と言う話が有るじゃないですか。
 まさに先生の仰るように普通の子供でいるんですけれども、小さくなって船に乗って(現世)行っちゃうんですよね。メーテルリンクは子供への話の中で言っているんですよ。

丹波 ほー、そうなんだ。とにかくそのように、子供が親を選ぶというのは霊界研究者の常識。では、小池さんの反論を聞いてみましょう。

小池 反論ではありませんが、仰ったように勿論霊界側から親を選んで再生してくるというのは、明らかな事実です。私の方(心の道場)も水子と言われるものと、幼くして死ぬ幼児の死というものは、チョッと分けて考えたいと思います。
 水子というものを一般では祟りがあるとか、霊障が有るとか水子供養をしなければ可けない。御祓いをすると……、そう言うようなことで霊能者ですとか、お寺さんですとか、そう言うようなことを仰る方が多いわけですけれど、ここで知っておいて頂きたいのは、水子供養の対象となるような霊の存在は無いということです。祟りをするとか、障るとか、何かを引き起こす問題は無いと言うことです。ですから、霊能者の方が「水子供養が必要ですよ。御祓いをしなければ病気は治りません」そう言うようなことを言われるとしたなら、率直に申し上げて本物では無いと……、ハッキリ言ってお金儲けであると言うふうに捉えた方がよろしいと思います。これはとても大切なことです。

丹波 まったくその通り。

稲川 多いですよね。その様に言われる霊能…と言う方は。

丹波 歩いていると「貴方、水子の霊が憑いています」なんて言うんだって。「私まだ子供生んでいません」と言うとね、「あっ、貴方のお母さんに……」なんて言ってね。(笑い)

小池 話がすり替わって行くわけですね。
 勿論胎児にも霊はあるわけです。これを霊界通信では、胎児的スピリットと呼んでおります。又は霊的胎児とも呼んでおりますが。

丹波 スピリット(魂・精神・気性)については胎児も大人も無いはずだけれども……。世間体的に言っているのですか。

小池 いえ、先ほど再生と言うことを仰いましたけれども、自然な霊のプロセス(過程)というのは、十月十日お母さんのお腹にあって地上に生まれて、地上体験を積んで、寿命が尽き幽界を経て本来の霊界へ戻るというのが、ごく自然なプロセスなんですけれど、そういうプロセスを踏まずにやむなく中絶などによって戻ることになった胎児的なスピリットは未熟な霊なんです。状態が違うんですね。
                                       《来月へ続く》


                  《来月のお客さんも、稲川淳二さん・小池里予さん》