【第49回】 《2004年末・2005年始号》

   平成8年、テレビ東京で『丹波哲郎の不思議世界』が放送されました。
   この番組は、ゲストの不思議な体験を聞き、
   その体験談に丹波哲郎が解説していくというものでした。
   そのゲストの中から17人の体験談を日本文芸社から
  『本当にあった霊体験・臨死体験17人の証言』というタイトルで出版しました。
   今月からは、その17人の体験談を、本書より抜粋し御紹介していきます。

   以前も一部御紹介した内容もありますが、再度詳細に掲載していきます。
   対談形式ではありませんが、お許し下さい。


       生島ヒロシさんの不思議体験

丹波 元TBSの人気アナウンサーで、現在ではフリーで活躍されている生島ヒロシさんをゲストに迎えたときのことだ。冒頭に生島さんは、私にこう言われたのである。

生島 
今日は丹波さんに、これまでの僕の体験を語らせて頂いて、それについて解明のヒントやどう考えたらよいかアドバイスをいただことかなと思います。
 僕は正直に言って、霊界とかは一切信じていなかったんです。

丹波 こういうゲストは大歓迎である。
 霊界の存在を信じていない人でも、不思議な体験をすることは珍しいことではない。
 体験をすれば、それがどうして起こったのか、どんな理由があるのかを知りたくなる。霊界の理解は、こうした素朴な疑問からスタートするのである。
 生島さんが話してくれた素朴な疑問は、彼をかわいがってくれたおばあさんの死にまつわるものであった。


              危篤の祖母が、ここにいる不思議

生島 祖母は明治38年生まれですが、十数年前に転んで寝たきりになってしまいました。それでだんだん弱くなってきたんです。

 丁度その頃、TBSの主催で『生島ヒロシと行くヨーロッパツアー』という企画で、150人ほどのお客さんと一緒にヨーロッパへ行くことになりました。
 出発の一週間ほど前に、田舎から電話があり『おばあちゃんが危ない、ヨーロッパに行っている間に逝くかもしれない』と知らせてきたのです。で、とりあえず田舎に帰りましたが、驚くほどの
驚異的回復力であったので、私は機上の人になりました。

 イギリス、フランス、イタリアというコースだったのですが、ナポリに行った時のことです。150人のツアーですからバスは3台。僕は毎日違うバスに乗り替わりました。僕は運転手さんの隣に座ってガイドみたいな事をするわけです。

 ところが、一週間のツアーの間で、その日だけいつもの席に座れなかった。みたこともないおじいさんが座っていたからです。アレッと思って、そのおじいさんに『ここは僕の席ですから』と、いくら言っても席を動かない。仕方がないので、僕は一番後ろの席に移りました。

 昼になってレストランに入ることになりました。旅行会社の2人が人数の確認をしていました。僕がレストランに入った途端、現地のコーディネーターが小声で『生島さんのおばあさんが亡くなりました』と、僕に告げたのです。驚いた僕は、電話をかけに行ったのですが、かかりが悪くて通じません。

 30分くらいしてから仕方なくレストランに戻ると、旅行会社の2人が怪訝な顔をしています。愛するおばあちゃんが逝ってしまって心の中は複雑でしたが、それは見せずに、僕は『どうしたのですか?』と聞きました。

 すると『人数が一人足りない』という返事です。『誰がいないのですか?』と言うと、『着物を着たおばあさんで、目がくりっとして色が浅黒くて……』とその人の特徴をいろいろと話してくれたのですが、それが祖母によく似ているのです。そこで『もしかして髪型はこんな風で……』と祖母の特徴を伝えたところ、『エッ、どうしてそんなことわかるんですか?』と、旅行会社の人は大変驚いたのです。

 そのあばあさんは、僕が移動して座っていた前の席にいたんだそうです。そして僕がバスを降りた後、僕の席に正座をしておじぎをしていた、と言います。『アッ、すみませんね。いろいろとお世話になりまして』なんて会話をしていたそうです。

 そうした話を聞いてから『そのおばあさんは、今、亡くなったという知らせを聞いた僕の祖母です。間違いありません。』と2人に言いました。
 すると彼らの顔はみるみる真っ青になって……。その時、生命が引き取る瞬間は、時間とか距離とかそんな空間はなくなってしまうのかな、と思いました。


丹波 この世での命がなくなるとき、霊魂にとって、時間や距離がまったくゼロになるということはないにしても、ほぼなくなるものと考えてもらってよい。

 生島ヒロシさんのおばあさんは、一時小康状態になった。それも、周囲からは
〃驚異的な回復〃と思われるほどに。しかし、実際は違うのである。
 この回復は「この世で言うべきことを言う時間を与えられた」という意味におい理解してもらいたい。

 つまり、生前近しかった人に「お世話になりました」などと、言うべきことをちゃんと伝えるための時間なのである。

 こうした場合、あまりの急激な回復に、生島さんがそうだったように、周囲は大きな期待を抱く。だが、本人には治るという期待はまったくない。なぜなら、人間は一人ひとりには死ぬ時間がはっきり決められており、それは不動のものだからである。

 回復は、あくまでも向こうへ行く前の挨拶の時間。そう考えて欲しい。この挨拶の時間には長短がある。人によっては3,4日ということもあるから、それを見せられ「奇跡的回復」と思うのも無理はない。

 生島さんは御存知なかったが、彼のおばあさんの死に関係することで、霊界のごくポピュラーな常識を一つ御紹介しておこう。

 生島さんのおばあさんは、愛する孫に「私は逝きましたよ」と知らせてくれた。そこで、人間界にいる生島さんが大好きなおばあさんに会いたいと考えるなら、意識を集中するトレーニングを行えばよい。精神を統一し雑念を払っておばあさんのことを強く念じる。そうすれば、おばあさんの霊が来るか、生島さんの生霊がおばあさんのところへ行く。また、そう念じると、生島さんが霊界の住人になった場合、おばあさんと会いやすくなるのである。

                                         (つづく)