今月のお客さん 横尾忠則さん

 【第
41回】 《2004年2月号


   今回の対談は、学研から出版されたムック本からの抜粋です。
   『大霊界〜丹波哲郎の世界』というタイトルのこの本は、
   霊界ブーム全盛期の頃のものです。
   横尾忠則さんとは、本当に長いお付き合いだとよくわかります。
   1989年2月1日発行のものなんです。
   かなり古い資料からの抜粋となりますが、
   その内容は今読み返してみてもなかなか新鮮です。



          霊界にやはり学校はあるんだ


丹波 あなたの幽体離脱の話は、本当に話せば話すほど、みんなに受けるんだなあ。

横尾 あれは僕、丹波さんに直接お話しました?

丹波 しました。私は、年中あなたの名前を出しちゃうんですよ。出すと出さないじゃ、話の信憑性が違っちゃうな。
 いまでも、幽体離脱は自由自在ですか。

横尾 知らないうちにやっているかもしれない。何度か夢でUFOに乗っていますが、あれも一種の幽体離脱かもしれない。去年の5月から、神霊とのコンタクトが始まりましてね、そのプロセスで僕の死んでしまった母親と親父とコンタクトができるようになりまして、随分、両親と話をしました。
 丹波さんもおっしゃっていたように、両親が向こうで一緒になるということは、非常にまれなことらしいですよ。

丹波 そうだと思います。

横尾 その非常な稀なことを、彼らはやっているんです。それは、僕が非常に強く、それをこちらの世界から望んだ結果らしいんですよ。とにかく、僕は死んだ両親はいつも一緒に住んでいるだあうという考えがずっと頭の中にあるわけなんです。それが結局、そういう形で、向こうで実っている。

丹波 人間界の念によって、向こうのほうでそういうふうに一緒になる可能性があるわけですね。

横尾 そうらしいんです。それは非常にまれで、めったにないケースだというのを、神霊の方から聞いているんですけどね。

丹波 やはり、生前の御両親よりも、ずっと若返っていますか。

横尾 僕が、年いくつだといったら、「おとうちゃん、いくつになったのかなあ」って夫婦二人で相談して、「60いくつくらいかな」とかいっているんです。ところが亡くなったのは、父親が69歳で、母親が74歳で、亡くなった年齢よりは10歳くらい若くなっています。

丹波 ははあ。

横尾 若い頃のアルバムなんかを見せてくれたり、親父が持っていた懐中時計なんかを向こう側からくれるわけですよ。僕はもらっていませんけど、向こうはやったつもりなんですよ。
 生きていた時の話とか、つらかった話とかいろいろするんですけれども、死んだときの母親の話を聞きましたら、真っ暗なところを札をもらうために、ロウソクを手に持たされてずっと歩いていったんですって。
 それは非常に心細くて、本当に不安でしようがなかったというんですね。
 田舎のお袋の言葉で全部しゃべるんです。そうすると、向こうのほうに明かりが見えてきて、それでやっと安心してそこまで行くと、体が温かくなって、そのままひょいとつままれて、気がついたら、西脇−−兵庫県の西脇出身なんですが、そこの家の中にいたというんですよ。
 この間にもいろいろあったようですが、記憶は消されているようです。
 じゃ、親父と一緒かといったら、「おとうちゃんは修行に行ってはって、わて一人です」。というわけです。そういう話をいろいろ聞き出しまして、僕と母親だけしか知らない話もいくつかしました。
 その後、3か月くらいたった頃に、突然親父が夢の中に出てきたんですよ。親父が夢の中に出てくるのは初めてで、ものすごく懐かしがって、僕も何か涙が出るくらい懐かしかったんです。
 そうしたら、すぐその数日後に通信があって。


丹波 どういう通信があったんですか。

横尾 僕と会えたことを喜んでいて……。

丹波 親父のほうが、そういうようで。横尾さんのほうじゃ、夢じゃないかと思っていたという。

横尾 僕は夢だと思っていたんですけど、成城の町で、親父が自転車でスーッと走っているのを見まして、あっと思って追っかけたら、やはり親父だったんです。
 親父は僕と久し振りにあったというので、ものすごく喜んで、僕も嬉しくって……。
 夜の成城の駅前の街灯があんまり椅麗だったので、霊界にもこんな電気があるのかと聞いたら、明かりはあるといっていました。
 そういう夢なんですけども、この夢のことを親父が、「本当にこういうことは人にいうても、信用してもらえない話やけれども、会えたということは嬉しい」といっているわけです。向こうでそういうことをいっているんです。こちら側から霊界の話をすると、なかなか信用してもらえませんよね。ところが、霊界のほうの人間がね。
(笑)まるで、自分が現実界にいるのと同じ感覚でものをいっているわけなんです。


丹波 そういうことでしょうな。向こうには向こうの現実感があっての話ですね。

横尾 そうなんです。それで両親の死後直後の状況はどういう状況だったか、ということを僕のコンタクトしている神霊に聞きますと、後で亡くなった母親は、ある運動場のような場所にポツンと置かれまして、運動場じゃないんですけれども、仮にそういう場所に置かれて、そこにいろいろな教室があるらしいんですけど、どっかの教室に入らなければいけないんですよ、そこに指導してくれる人がいるので、行かなければいけないのに、何か現世に対する執着が強すぎて、そこの場所にも行きたがらずに、運動場のような所に長い間留まっていたらしいんです。
 結局、親父のほうは、好き勝手なことをやったくせに、結構、ちゃんとまともにいっていたような感じなんです。それで母親は、「おとうさんは修行に行ったはる」なんていってるけど、実は自分のほうがあんまり悟れてなくて。

丹波 私が霊界では学校に入るというと、「学校に入るなんて」と、みな笑うんだよね。

横尾 僕も丹波さんの「学校」の言葉を覚えていましたからね。あれとよく似てるなあと思って。

丹波 どうも、私が「学校に入る」というと、みんなワーッと笑うんだね。私もしようがないから、一緒になって笑っているけど。「学校」という言葉が悪いのかなあと思ったけど、ちゃんと学校は学校なんですよ。

横尾 僕が、神霊に聞きましたら、運動場があって、教室があってというふうに説明しないと説明しようがないから、そういうふうにいってくれたみたいです。

                                          (つづく)