池口恵観さん
 高野山伝燈大阿闍梨 )
   
 

 【第29回】 2003年1月掲載用
    (今回の対談はテレビ東京『丹波哲郎の不思議世界』より引用しています)


    みなさん、明けましておめでとうございます。

    昨年12月から、僧侶の中でも最高 峰の位、高野山伝燈大阿闍梨でいらっし
    ゃる鹿児島最福寺 の池口惠觀さんを御紹介しています。
    今月も、大変興味深いお話が聞けました。

   僧侶の世界では、霊界の存在を否 定する方が多い中、池口さんは全く違った
  考えをしています。21世紀は、きっと宗教と科学の境界線はなくなり、西洋文化が
  追求し続 けても判らなかった様々な事柄が、既に大昔から東洋文化が行き着い
  ていた事実に気付く時代でもあります。
   池口さんは、この激 動の時代に、厳しい「行」を通し、多くの人々の苦しみを自
  分の苦しみとして、人の為だけに生きている方なのです。




           生命は宇宙の一部

池口 
私たちは、霊を信じるから行が出来る。信じられなかったら行は出来ないんですね。
 つまり、肉体はなくなったら土に帰る。魂=霊は残るんです。宇宙に偏満するんです。真言密教では「大宇宙大生命体」を「大日如来」というんです。その大生命体から生み出され、また大生命体に帰って行くのです。


丹波 まさにその通り。霊とは、宇宙全体の生命の一部分が我々に届いている。だから肉体など問題じゃないんですね。
  ところで、池口さんは何故修行をするんですか。


           なぜ「行」をするのか

池口 いろろいな人達の苦しみを体験するわけにはいきませんから、苦しい「行」を通じて、皆さんの苦しみが、自分の苦しみとして解りたい。そして、人の為になりたいと考えるからです。
 ただ「行」をして何かを悟っても、それで終わりだったら自分の為だけですから、それではだめなんです。「行」をすることは、人の為に生きるということなんです。

丹波
素晴らしいですね。大勢の者たちのカルマを、御自分が背負ってでも、やってやろうという意気込みで、伝統ある行者の家に生まれて来たんですね。
 使命を感じていらっしゃることでしょう。

池口 何回生まれ変わってきても、皆さんの為になるような「行」をしたいというのが願いですね。 「行」では、八千本の護摩木を焚きます。それを弟子たちが私に渡して行くわけです。弟子の中に最後の護摩木を持ったまま、私に渡そうとして死んだ者がいます。ものすごく綺麗な顔をしていました。「行」をしている者は誰しも人の悩み・苦しみをお祈りしながら死んでいきたいと常に思っています。
 私も、読経しているときに、何とも言えないきれいな所へ行くときがありますが、そういう中にスーっとひかれて霊が離れていったのではないかと思いますね。

丹波 本当に素晴らしいお話が今日は聞けますね。おっしゃるように、死ぬと言うより、肉体という着物を、どうやって脱ぎ捨てるかが問題なんですよね。

池口 そうですね。人の着物を破いたり(他殺)、自分の着物を破いたり(自殺)したら、この時は大変だと思いますね。
 親(大日如来)から、せっかく頂いた着物ですから、大事にしなくてはいけないのに、粗末にしたら親は怒ります。
 そういう時は、自分たちの魂が、すんなりと親の元には帰れないんですね。そうしますと、どなたかに頼らないと成仏出来ないんです。

丹波
これを注釈すると、死んだ場合、守護霊様の指導が必ず必要です。守護霊様は私たちを常にガードしてくれています。こうしている今現在もそうです。そして、あの世の行くべきところへ連れていってくれます。
 だから、生きているときから守護霊様と親しまないといけません。守護霊様は、大勢の人達にやさしい心を持っている者を喜びますから、ガードしてもらいやすくなります。
 これが、仏教で言う成仏ということになります。

池口
人を大事にし、人を喜ばすと「徳」として残る。それが、子供や孫に、そういう「徳の花」が咲くんですね。

丹波
「徳」というのは、人の為に尽くした業績の集まりです。自分だけの為にやったことは「悪行」で、他人の為に尽くしたことは「善行」として積み重なるということですね。



           生命とは?

池口 生命とは、海の水をすくって、その水が再び海の中に帰っていく、そんなものだと思うんです。それが永遠なんです。それを信じるから「行」が出来るんです。

丹波
そうですね。生命が永遠なら、心に余裕が出来て、人の為に尽くそうと思えるわけです。
 たとえば、車を運転していて、時間があれば、他人に道を譲ろうとします。「ありがとう」という合図に対して「いいんですよ」と答える。そうすると、一日気持ちがいいじゃないですか。でも、時間がなければ、我先にと争いになるでしょう。事故も起こすかも知れません。生命とは、時間があるどころじゃない、永遠なんですね。
 如何に生きるかが、後々自分自身に帰ってくるんですね。 『情けは人の為ならず』です。人に対しての思いやりは、巡り巡って自分自身に返って来るんですね。 今日は本当に有意義な時間ありがとうございました。

                                    《おわり》