岩崎ひろみさん
( 女 優 )
江原啓之さん
(スピリチュアルカウンセラー)
   
 
 【第11回】 2001年7月掲載用

 
   《今月は、テレビ朝日『痛快! 三匹のご隠居』で以前丹波哲郎と共演した、
    女優の岩崎ひろみさんと、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんです》


 ●交霊会とは何か? 最終回

岩崎 それ(交霊会)は、動物の霊でも出来るのでしょうか?

江原 それはしませんね…意味が必要です。交霊会というのは、ただ霊界の魂を現せばいいと言うのでは無くて「如何にして霊的な世界というものを理解してもらうか」そこを通してみなさんが何故生まれてきたのか、そして生きる目的とかそうしたところに進んで行っていただきたいわけなんですよ。それも一つのキッカケ作りのわけなんです。

丹波 だから交霊会というのは、飽くまでも霊界の実存、生命は永遠だということを多くの人に知らしめるために意味がなければ向こうは準備しないんだ。
 冗談半分にやると言う事は無礼で、あってはならないことなんだ。真剣に取り組まなければ。

江原 丹波先生はよく霊界の宣伝マンと仰られますが、私は霊界のデモンストレーター(実演宣伝者)なんです。きっかけの種まきをする仕事で、霊能者という言葉を使わないのは、この世では何でも夢を叶えてくれる魔法使いというイメージになっちゃうわけです。
 私は人間であり、現世に生きる魂であって、何もしてあげることが出来ないんです。出来ることはきっかけを作る道具になるだけなんですから、後はその人の魂に霊界が訴えかけ、その後はその種をどの様に花咲かすことが出来るかなんです、皆さんが。それがミィディアムの務めなんです。それを受け入れれば人生観が変わります。

丹波 今はね、私は宣伝マンという言葉はやめようと思っているんだ。今までは、大勢の人に接近するには親しまれると思うから、宣伝マンと自ら戯けて称していたが、もうその段階じゃない。これからはメッセンジャー。霊界のメッセンジャーにしようと思います。

江原 良いですね、メッセンジャーとデモンストレーター。(一同笑い)  


●あの世の人はこの世を見ているのでしょうか?

江原 見ていると言えば見ているのでしょうけれども、何でもかんでも見ているわけではありません。気になって見る必要があったり、その段階にも拠るのですが、例えば守護霊さんと言うレベルでもって見ると言うことと、肉親が亡くなってこちらを見てると言うことは又違います。同じ見る側でも意味が違うんです。守護霊さんの見守るというのは、やはり私たちがしっかり現世で生きる為に…。

丹波 教訓的に、警戒的に見ている。

江原 そうです。肉親の霊が居るならば、私たちが元気に暮らしているか、きちんとやっているかと言うところをかいま見ているんです。霊格が高くなればなるほど、その画像はハッキリするそうです。まだ、あちらの世界になれていないほどぼやけてきます。

丹波 向こうから見るとき、霊格が高いほどハッキリ見えて、低い者はぼやけたり曇って見えるんだ。これは霊界研究に於いてフレッシュな意見ですよ。
 当然見る意志を持たないと見ることが出来ないわけですが、愛を持ってみるのと憎しみを持って見るのがあると思うんですが。

江原 それはあります。

丹波 どっちが多いですか。

江原 愛を持って見る方ですね。憎しみを持って見るというのは未浄化と云いますか……。

丹波 向こうの方が低級なんですね。

江原 そうです。念として見ていることもありますけれど、基本的には愛を持って見ている方達の方が多い訳です。


 ●あの世の人にみられていると感じるとき

江原 知覚できる方は知覚する時があるんじゃないですか、私は両親を早く亡くしているんですがよく見かけますね。

岩崎 私は助けられたと言うことはないんですが、知り合いの方で声が聞こえたりして事故から免れる人が何人もいまして、今考えるとあの声は、自分の(亡くなった)肉親の声だったんじゃないかということがありますね。
 本当に呼び止められて立ち止まったお陰で、車が突っ込んできたのを免れたとかいうお話を聞くと、やはり見守られているんだなと感じます。

江原 肉親のような声が聞こえたとしても、守護霊だったということもよくあります。一番分かりやすくするために…。

岩崎
 あっ、気付かせるために!

江原 まあ、演技と言うんですかね、そう言うふうにすることはあるようですね。


●丹波哲郎の守護霊は奥様か?

丹波 イヤ、違うんだ。女房が守護霊という訳じゃあない。守護霊というのは類魂の仲間だから、女房が類魂かどうかは向こうへ逝ってみないと判らないんだ。

江原
 守護霊というのは生まれる以前からです。例えば奥様が守護霊だとしたら、奥様が現世で生きていらしたときに(丹波先生は)守護霊がいないことになりますから、そう言うことはありません。

丹波 よく、「僕が死んだら、君の守護霊になって守ってあげるよ」なんて言う話があるが、そんな事はあり得ないんだ。

岩崎 では私の守護霊様は、私の生まれる前から向こうへ逝くまで変わらないんですか?

江原 そうです、類魂ですから。

丹波 類魂には分担があって、自発的というのはなく役割が決められるんだ。

江原 よく守護霊というのは誤解されやすくて、「お人好しの霊が、人生を良くしてくれる」と、そう言うのじゃないんです。
 類魂ですから、ある意味自分が自分を見守っていると言うことなんです。ですから、自分のことだから見守るし、指導もするわけです。魂がしっかり成長してもらいたいし、それに延いては自分(守護霊)が成長する事になるんです。

丹波 私の研究と全く同じだね。類魂というのは自分なんだ。先祖供養なんて笑っちゃうんだ。自分が自分を供養するという事だからお経を上げることではないんだ。「自分は現世で立派にやってますよ、胸を張って暮らしていますよ」と言う態度が一番効くんじゃないか。類魂という言葉ほど大事なものは無いんだ。
 我々は向こうへ逝くと、我々の大きな存在、巨大な本店があるんだ。我々は支店なんだ。支店が閉じたら本店へ帰ればいいんだ。だから死というのは無いんだ。これをしっかりと把握しないと、霊界研究はどこまで行っても堂々巡りになって進歩しないんだ。

江原 私は類魂を魂の親と呼んでいるんです。親ならば子供に何でも与えたり、好きなようにさせるのが良い事か?、違いますよね。時に転んでも起こしてやらない、自分で起き上がるのを待つ、これが守護霊です。
 よく「運が悪い、何かに取り憑かれているんじゃないか」と言う人がいますが、「あっ、守護霊さんがやっているんだな」と思うことがありますよ。

岩崎
 これまで映画大霊界を見たりしても、すぐ信じてしまうんですが、今のお話などは私の思いがふくらみますね。

江原 それは魂が分かっているんですよ。ですから、私が色々なもの(交霊会等)を見せても魂の目が開いていないと分からないし、同じ映画を見てもバカにする人はバカにします。でも、誰に教えられたわけでもなく、すなおに受け入れられる人は魂の成長なんです。

丹波 まとめとして、あの世の人はこの世を見ているかと言うと、霊界通信でハッとする事がありますね。何十年も前に死んだ人が自分を見ていることが分かったりしてね。しかし、死んだ恋人や女房がいろいろ見ていたとしても向こうはやきもちはないから、そこがこの世と違うところだね。そこが霊界の面白さだ。

江原 逆の方が多くて、例えば亡くなった方から現世の人へ、次の人生を考えてくれと通信してくることが多いですね。余程の仕打ちを受けている場合以外ですが。


 ●死ぬ時の苦しみはどのくらい

丹波 死ぬ時の苦しみは全く無いんだ。死ぬまでの苦しみは有りますよ、ただ自分の肉体がのたうちまわっているのを幽体が見ているという状態です。死後の世界を勉強していた人は、肉体が苦しんでいる時幽体はいろんな人に会いに行ったりしますよね。 岩崎 自分の父も、手術中に心臓が止まったとき不思議な体験をしたようなんですが、死後の世界を知らなかったのでどうしていいか 分からなかったようです。

江原 私の母は真綿にくるまれたようで、このまま覚めてほしくないと思ったという通信が来ますね。実際肉体はその時すごく苦しい状態だったんですが。

丹波 霊界通信のほとんどが、肘枕でうつらうつらしている状態だと言ってきているんです。でも、肉体はその時のたうちまわっているんだ。死後の世界を研究していた者は別として、ただ向こうへ逝った者の90パーセントは、死んでいることが判らないんだ。
 現世と全く違うのに判ら ないんだ。だから、葬式などは自分が死んだことを分からせるためには良いのかもしれないね。本日はありがとうございました、又是非お越し下さい。

江原 ありがとうございました。

岩崎
 又御一緒にお仕事をしたいですね。ありがとうございました。



               《来月のお客さんも、岩崎ひろみさん・江原啓之さんです》