109.強運、衰運の差が生じるのは?

    人間には、大して努力をしなくても、いつも日の当る場所を歩いている人がいますし、
    逆にいくら努力してもダメな人がいます。
    何か生まれついての〃運〃とか、〃星〃とかいうものがあるように思えてなりません。
    この違いは、どうして生じるのですか。


占星学の観点からもいろいろと答えられる問題であると思うが、
あくまでも霊界との関係において述べると、実は人間はすべて平等なんですね。
因果律で生きているから、すべてが±0である。
この因果律に従って、人間は色々な課題を与えられている。
一見不平等に思うかも知れないが、実はすべてが平等に出来ているんですね。
見えるものを見てはいけません。
見えないものを見るのです。
そうすれば、これ以上の幸せなどないことに気付くでしょう。

これで納得いかなければ、こう説明しましょう。
運をあげたいと思うなら、常に感謝することです。
一般に、どんな人間にでも、〃守護霊〃〃背後霊〃指導霊〃から成る類魂がついており、
その存在によって守られ、そのお蔭で生きているといって良い。
〃守護霊〃というのは、前世からの中心的な霊で、その人間を霊界から見守っている。
〃背後霊〃は、やはり霊界にいて、背後からその人間を助けたり、いろいろとそそのかしたりする霊。
また〃指導霊〃は、背後霊の中でも特に職業とか趣味とかいった目的のために、
その人間を指導している霊である。

その人間を守っている、これら類魂の力によって、運・不運というものが現象面では決まってくる。
つまり、ついている類魂の力のない人間が〃運が悪い〃ということであり、
反対に力の強い人間が〃運が良い〃ということなのである。
それに、功なり名を遂げた人間や九死に一生を得たような、
いわゆる〃強運の星〃の下にあるといわれるような人間は、
三者の霊だけに守られているのではなく、何百、何千、何方という霊たちに守られているのである。
つまり、運のいい人間、得する人間というのは、霊界から大勢仲間を引き連れてきているわけだ。

でも、もう一度言っておく。
その運の悪さから学ぶべき事を学べば、次第に運を良くなるのです。
すべては、魂の修業ですから……。

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