丹波哲郎が語る「死後の世界の実相」

〜第60回〜
《2006年6月〜》



        『週刊大衆』連載
                  平成16年11月8日からの連載記事から

          この連載は1冊の本にまとまり全国書店で販売中
 
    タイトル『オーラの運命(さだめ)』双葉社 税込本体1575円

    宇宙に訊け(そらにきけ) 其の十三

人間界での恨み、嫉妬、憎しみを捨て去らないと、
三途の川は渡れない。



  
  ★ 来世の宣伝マンが薔薇色の「死後」を説く


  霊界について何も知らない人でも「三途の川」くらいは聞いたことがあるだろう。そんなものがホントにあるのかって? おいおい、先人たちが残した文献や教えをバカにしちゃあいかんよ。臨死体験をした人の報告いも、ほとんど例外なく、川についての話は山山てくるんだ。半信半疑の人も多いだろうが、実際に死者が渡るべき川はちゃーんとあるんだよ。

 精霊界では本性が洗い出され、心が〃素〃の状態になるということは、もう何度も話したな。こうして完全に自分本来の素性を取り戻すと、まず、これまでに目に見えなかった大霊界へと至る通路が、あちらこちらにあるのが見えてくるんだ。

 すると今度は、数ある通路の入口のうちのひとつに、まるで磁石にでも吸い寄せられるように進んでいくわけだよ。通路は、たいてい山へと向かっている。というのも、大霊界の入口というのは、山の麓に散在しているんだ。そのひとつに吸い寄せられるんだが、まもなく、山は目の前で大音響とともに真っぷたつに裂けるんだ。その追力たるや、想像を絶するものだよ。そりゃあ、大変なショックを受けることだろう。

 すでに肉体は死んでいるわけだから、これ以上死ぬなんてことはあり得ない。だが、誰もが死の恐怖に凍りつくようだな。まさに茫然自失。声も出なけりゃ、体が硬直して、一歩も動けない。それくらい衝撃的な出来事なんだ、これが。

 やがて、音が静まった頃、ふと、我に返るんだよ。そして、巨大な山の裂け目へと引き寄せられていく。ふらふらと、しかし、真っすぐ霊界へと向かっているんだ。

 ただし、地獄へと向かう者はコースが異なるぞ。彼らは光の弱いほうへ、できれば暗いほうへと漂うように一団となって歩いていく。一団といっても、まとまっているわけじゃないんだ。バラバラで、お互い助け合うわけでもないんだが、本能的に目指す場所が同じなだけだ。

 山の裂け目を進んだ者が、しばらくして遭遇するのが、大きな川だよ。これこそ「三途の川」だ。ちなみに、西洋では「忘却の川」というな。両者は、まったく同じものだ。

 この川を渡らないと、霊界へは至らないわけだよ。彼岸という言葉を知っているだろう。つまり、霊界とは水辺の向こう岸にあるんだ。川幅は、恐ろしく広いぞ。どれくらい広いかは、霊界と、この世を自由に行き来できた18世紀の偉大なる霊能者エマニュエル・スウェーデンボルグが、こんな記述を残している。

 「私は最初、大きな河のうえを飛んでいたように思う。その河は東洋の聖なるガンジス川や中国の揚子江などとは比べものにならない大きな河幅を持ち、水はゆったり流れていたようだ」(『私は霊界を見て来た』抄訳/編・今村光一 叢文杜)。

 どうだ。少しは、その広さが実感できただろう。この広大な、まるで海のような川をひとりで渡るんだよ。よくいわれるような、渡し守が操る船に乗っていくわけじゃないんだ。



    ★ 10年、20年足踏みして結局は地獄へ行く者も

  少し話が横道にそれるが、日本には「三途の川」を渡るときの渡り銭として、死者の棺におカネを入れる風習が古くからある。いまも、この風習は地域によっては残っているな。いわゆる〃六道銭〃といわれるものだ。

 六道とは仏教用語で、生き物が輸廻すみ地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の6つの世界のことだよ。

 実は、これに似た風習はヨーロッパ各地にあり、ギリシャの場合は特に日本と似ている。死者がハデス(冥界)に入る際の渡り賃として貨幣を棺に入れる風習があるというんだ。なかなか興味深いじゃないか。

 〃六道銭〃の起源については諸説ある。まあ「死者の財産を買い取るための代金」というのが定説だな。死者の所有品に手をつけるのは、留守宅の品物を勝手に持ち出すのと同じようなものだ。もし、それを死者が見ていたらどう思うか。現世への未練が強い者なら、怒り狂うだろうよ。

 そこで、死者の大事にしていた財産の一部を棺に入れたり、あるいはおカネを入れて死者から買い取るということが風習になったわけだな。

 どうだ、少しは勉強になっただろう。テレビのクイズ番組で「へえー」を連発するのもいいが、こうして私の話に耳を傾けるほうが、もっとためになるぞ。

 死者を弔う行為や儀礼は、国や地域によって、さまざまだ。確かに意味のあることも、あまりないこともあるよ。しかしだ、こうして本来の由来や意味を知ったうえで行なえば、同じ行為でも、心のこもり具合が違うというものじゃないか。

 さて、「三途の川」だ。この川を前にして、途方に暮れてしまう人も少なくないぞ。
 というのも、人間界から持ち越してきた恨み、嫉妬、憎しみといった余分な人間感情を捨て去らないと、この川を渡ることはできないんだよ。人間界の邪念は、自分が水面を飛んでいくうえで、どうしようもないオモリになってしまう。要するに飛び立てないんだ。だからこそ、人間界でどう生きたか、どう修行したかといったことが大事なんだ。
 それは何も、とりたてて難しいことじゃない。

 明るく、素直に、あたたかい心で生きることだよ。

 結局、「三途の川」を前に10年、20年足踏みし、ついには行きやすいコースを選ぶ者もいる。これは地獄への道だよ。心豊かな者は、まもなくして何ものかのカにたぐりよせられて水中へと入っていくだろう。川を渡る自信がまったくないにもかかわらず、だ。ところが、水に入っても沈まない。泳げない者も大丈夫だよ。

 それどころか、今度は水面を、あたかも地上と同じように、どんどん歩き出すことができる。そして気がつけば、なんと、川の上を大変なスピードで飛んでいるんだ。スピードは徐々に増し、しまいには光をしのぐ速さとなって、一直線に飛んでいく。

 さあ、到着先は万人の魂のふるさと、大霊界だよ。

                                       《次回につづく》