幸せになる7つの法則

 幸せは、向こうから勝手にやってくるわけではありません。
 幸せをつかむためには、自分自身が変わらなくてはならないのです。


   幸せをつかむ7つの法則

   法則5.「完璧を目指さない」

  1.「不完全な自分を前向きに認める」
          自分にできないことを知り他人と協力する喜びを知る

  人は何かと完全を求める生き物だ。仕事でも家庭生活でも「これで完璧」と思う瞬間、言いようのない満足感が広がる。
 しかし、完璧というものは実に曖昧で、人によっても基準が違う。
 完璧を目指して、何か大きなものを失うより、不完全な自分を認めて、自分が出来ないこと、足りないことは人と協力しながら、ひとつのことを作り上げる喜びを知ることだ。
 つまり、完璧さを追求することは、不完全な自分を知ることでもあるのだ。
 あれもできなかった、これも欠けていたとは思わずに、Aのことができなくても、Bには自信がある、と言い切れる自分であればいい。
 完璧さに振り回されないで、もっと自由に生きようじゃないか。



  2.「優等生ほど幸せになれない理由」
          不器用でも自分にしかできない得意技をもつほうが強い

 どの時代にもなんでもできる優等生はいるものだ。しかし、必ずしも優等生が幸せになるとは限らない。
 器用貧乏ということば通り、優等生は個性がないとも言える。なんでもこなせる自分に満足してしまい、もっと大切な自分なりの得意技や個性を磨いていない場合もある。
 百点満点の優等生を目指すより、あなたにしか出せない人間的な魅力を磨いた方がよい。
 有名な日本画家、加山又造氏は、「真剣に生きていれば、そのうちどうしようもないくらい、その人らしさ、個人差が自然ににじみ出てくるものだ」と言っている。
 自然に出るその人らしさが、優等生に勝る強さなのだろう。


  3.「他力本願的な生き方のススメ
          いいタイミングで与えられた援助は素直に受け取る

 私達は既に、この世に生きている限り、いろんな人たちに見えないところで助けられて生きている。意識していないが、人は助けたり助けられたりしながら生活している。  世の中の成功者の多くは、本人の努力プラス、他者からの絶妙なタイミングでのアドバイスや援助で偉業を達成している。  人を利用することと、助けられることは全く違う。せっかく手を差し伸べてくれた相手の思いは、むげにすることなく素直に受け取るのが幸せの近道といえる。 他力本願は、決して甘えた怠惰な生き方ではない。他力を受け入れてこそ、私達は幸せになれるのだ。  あなたの夢実現のパスポートを与えてくれるのは、人ではない。神様が人を使って与えてくれると考えれば、素直に受け入れられるだろう。

  4.「ほどほどに生きる知恵
          ひとつ打ち込むものがあれば、あとはほどほどでいい

 人よりずば抜けた才能があり偉業を成し遂げた人の中には、私生活が必ずしも聖人君子ではなかった人も多いようだ。すべて完璧な者はいない。 若いうちに、何かひとつだけ「これだ」と思うものにエネルギーをぶつけてみるとよい。自分が好きで得意な分野に全力を傾けることで、人間的に大きく成長させるし、それが自分への自信にもつながるというわけなんだ。  何か一つだけでも打ち込むものがあれば、あとは人に迷惑をかけない程度にほどほどでいい。「がむしゃら」と「ほどほど」のさじ加減をしることが、自分にも他人にも優しくなれ、また実体のない完璧さに振り回されないための知恵でもある。


  5.「ときには助けを求めてみよう
          助け、助けられることで好意は積み重なっていく。

  悪いからとか、嫌われたくないと思わないで、たまには他人の世話になろう。ましてや相手が心配してくれて、あれこれ世話を焼きたがる場合は、それだけ自分に好意をもっている証拠だと思って、喜んで受け入れる気持ちが大切だ。  さらに言うなら、どちらか一方が世話したり助けたりという関係ではなく、お互いが助けたり助けられたりしながら、好意を積み重ねていける関係がベストだろう。  自分はしつかり者のわりには、人から好かれないと悩んでいるなら、たまには人の力や援助を受けることが、人から好かれる第一歩なのだと知って欲しい。


  6.「完璧よりいいかげんのほうが難しい
          いいかげんとは物事のちょうどいい状態のこと

 いいかげんな人というのは、いつも気を張っている完璧主義の人とは違って、普段はいたってリラックスしている。そして、本当に力を注ぐポイントになると、集中力を発揮して全力を出せる。
 もし、あなたが完璧さにこだわって生きづらい人生を送っているのだとしたら、少しでもいいかげんのもつ良さを理解して、人とのつきあいや日常生活くらいは気を抜くことを実践してみよう。  すでに、いいかげんな自分を自認している人は、逆に気を抜きすぎて単なるだらしない人にならないように注意しよう。
 これはどちらも難しい。なぜなら水と同じでどうしても高きから低きへ流れやすい性質がある。気がゆるむと一気に楽な方へ、怠惰なほうへと流されるからだ。
 高すぎず、低すぎず、その真ん中のいいかげんな状態に自分のみを置くことが、じつは一番難しい。