タイトルなし

最近は世の中の色々な出来事に翻弄されている自分にとても嫌気がさしてしまいます。

そして人生を振り返ってこのまま終焉の時が来たとして、果たしてそのことをすんなり納得して受け入れることができるだろうかと

考えたりしてみる。

今までの人生で評価できることと、評価できないことなどを、自分の希望した人生だっただろうかとか、あるいは社会的な貢献度などを評価の基準にして自己評価をしてみたりしてみる。 このブログを書き始めた頃、私が書いているというより、別の意識によって書かされているという感じで指一本でキーボード上を文字探ししていた私が、霊界サロンのブログを書き始めると、ものすごいスピードで両手の指の全てがキーボード上を滑っているという感じでした。 そして今、あの頃の文章を読み返してみると、最近書いている文章より優れているように感じている。 果たしてあの能力は、純粋に私の能力と言って良いのでしょうか。 それともやはり、別の意識が乗り移っていたのだろうか。 まあそのようなことは、実際のところ何も検証してこなかったので、答えが出る訳でもないが、むきになって検証するほどの事でもないかと思ったりしている。 若いころは、なんでも実験するとか、統計を出してみようとか、いろんなことを検証してみないと気が済まないという性格だった。

にもかかわらず、最近は、大抵のことがどうでもよいような気分になってしまうのは、どうしたことだろうと思う。

このような性分になってしまったのは、世の中のせいか? いやいやそれは違うだろう。

どうでも良いと思えるようになったのは、多くの事を経験し、世の中には、たくさんの違う価値観を持つ人が存在し、その人たちの学びがみんな同じレベルではないということが分かったから、自分の考え方と違っていても、同じ行動をしなくても、人のやる事を許せるようになったということかなと思う。

最近視聴しているドラマ「やすらぎの郷」は、全員が元女優や俳優たちが年老いてから、みんなが同じ敷地内でそれぞれのビレッジでここを終の棲家としてくらすという物語である。 初回からできるだけ見逃さないように頑張って視ているのには一つ理由がある。

これから高齢社会に向けて、福祉や介護などたくさんの問題を抱えて、国家も地域もどのような形でこの問題を乗り越えていけるだろうかという事に興味があったからだ。

今世紀に生まれて人生の終焉を迎えることになった私たちは、真に魂の成長の度合いを試されることになっているのではないだろうか。

この難しい時代を、本当に他者のために生きることが出来たと自己評価できる人は、本当に幸せだろうなと思う。

なぜ難しい時代というか、今の時代は、何か、人のためにしなければならないという規制も注文もなく、健康でさえあれば、世界中を自由に往来し人生を謳歌できる時代であり、だれもそうすることを咎める人もいない。

なので自己規制が無ければ、人生を無意味に過ごし、終わってしまうことにもなりかねないのである。

それで良いと思う人もいるかもしれないが、この人生は、この世に再誕できるという事は、大変貴重な事であるという事を、知る人は大変少ないので結構自分の生き方をぞんざいに考えてしまっているように感じる。

せっかく総理大臣まで上り詰めた人が、疑獄事件に手を染めたり、個人的な欲望に負けて公正ではない取引に惑わされたりという最近の傾向は、大変情けない思いで傍観している。

人間は、最終的には、誠実に生きた方が魂としては、得をする。

次の人生ではより高い次元のサポート役を大勢引き連れて誕生できるから、他者よりも知恵を頂くことができるのであるが、せっかくラッキーな生まれ変わりをしても、その徳を自分の金もうけに使い果たしたら、次の人生ではかなりハードな人生を体験し、魂を鍛えなおさなければならないことになってしまうのである。

心して人生を誠実に、生きてほしいと願っている。

— posted by holy at 07:20 pm   pingTrackBack [0]

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