Warning: preg_grep() [function.preg-grep]: Second argument to preg_grep() should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1585

Warning: array_values() [function.array-values]: The argument should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1586

Warning: preg_grep() [function.preg-grep]: Second argument to preg_grep() should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1585

Warning: array_values() [function.array-values]: The argument should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1586

Warning: preg_grep() [function.preg-grep]: Second argument to preg_grep() should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1585

Warning: array_values() [function.array-values]: The argument should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1586

Warning: preg_grep() [function.preg-grep]: Second argument to preg_grep() should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1585

Warning: array_values() [function.array-values]: The argument should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1586

Warning: preg_grep() [function.preg-grep]: Second argument to preg_grep() should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1585

Warning: array_values() [function.array-values]: The argument should be an array in /home/tamba/tamba01/web/blog/inagawa/utils.php on line 1586
稲川りよ子の霊界サロン

達観できる心を得る。

全ての事をあきらめ放棄してみると、日々の辛い出来事に関しても、「命を失ったわけではない」という気持ちで、これまでの心の状況から逃れることが出来るようになったと感じている。

ひょっとしてこのブログ、更新できるかなという?半信半疑?で書きながら、「できるようにみんなが努力してくれてるんだよ」という声が聴こえてくるのを信じている自分がいる。

今度こそ、バックアップをとれるように急いで勉強しようと思う。

それから、もしも、自分が予告無しに、このブログを書けなくなった時に、読者の方には、どうかお許しを頂けますようにと、心からお願いをしたいと思います。

テストの意味で、とりあえず、アップを試みてみます。

— posted by holy at 10:45 pm   pingTrackBack [0]

タイトルなし

最近は世の中の色々な出来事に翻弄されている自分にとても嫌気がさしてしまいます。

そして人生を振り返ってこのまま終焉の時が来たとして、果たしてそのことをすんなり納得して受け入れることができるだろうかと

考えたりしてみる。

今までの人生で評価できることと、評価できないことなどを、自分の希望した人生だっただろうかとか、あるいは社会的な貢献度などを評価の基準にして自己評価をしてみたりしてみる。 このブログを書き始めた頃、私が書いているというより、別の意識によって書かされているという感じで指一本でキーボード上を文字探ししていた私が、霊界サロンのブログを書き始めると、ものすごいスピードで両手の指の全てがキーボード上を滑っているという感じでした。 そして今、あの頃の文章を読み返してみると、最近書いている文章より優れているように感じている。 果たしてあの能力は、純粋に私の能力と言って良いのでしょうか。 それともやはり、別の意識が乗り移っていたのだろうか。 まあそのようなことは、実際のところ何も検証してこなかったので、答えが出る訳でもないが、むきになって検証するほどの事でもないかと思ったりしている。 若いころは、なんでも実験するとか、統計を出してみようとか、いろんなことを検証してみないと気が済まないという性格だった。

にもかかわらず、最近は、大抵のことがどうでもよいような気分になってしまうのは、どうしたことだろうと思う。

このような性分になってしまったのは、世の中のせいか? いやいやそれは違うだろう。

どうでも良いと思えるようになったのは、多くの事を経験し、世の中には、たくさんの違う価値観を持つ人が存在し、その人たちの学びがみんな同じレベルではないということが分かったから、自分の考え方と違っていても、同じ行動をしなくても、人のやる事を許せるようになったということかなと思う。

最近視聴しているドラマ「やすらぎの郷」は、全員が元女優や俳優たちが年老いてから、みんなが同じ敷地内でそれぞれのビレッジでここを終の棲家としてくらすという物語である。 初回からできるだけ見逃さないように頑張って視ているのには一つ理由がある。

これから高齢社会に向けて、福祉や介護などたくさんの問題を抱えて、国家も地域もどのような形でこの問題を乗り越えていけるだろうかという事に興味があったからだ。

今世紀に生まれて人生の終焉を迎えることになった私たちは、真に魂の成長の度合いを試されることになっているのではないだろうか。

この難しい時代を、本当に他者のために生きることが出来たと自己評価できる人は、本当に幸せだろうなと思う。

なぜ難しい時代というか、今の時代は、何か、人のためにしなければならないという規制も注文もなく、健康でさえあれば、世界中を自由に往来し人生を謳歌できる時代であり、だれもそうすることを咎める人もいない。

なので自己規制が無ければ、人生を無意味に過ごし、終わってしまうことにもなりかねないのである。

それで良いと思う人もいるかもしれないが、この人生は、この世に再誕できるという事は、大変貴重な事であるという事を、知る人は大変少ないので結構自分の生き方をぞんざいに考えてしまっているように感じる。

せっかく総理大臣まで上り詰めた人が、疑獄事件に手を染めたり、個人的な欲望に負けて公正ではない取引に惑わされたりという最近の傾向は、大変情けない思いで傍観している。

人間は、最終的には、誠実に生きた方が魂としては、得をする。

次の人生ではより高い次元のサポート役を大勢引き連れて誕生できるから、他者よりも知恵を頂くことができるのであるが、せっかくラッキーな生まれ変わりをしても、その徳を自分の金もうけに使い果たしたら、次の人生ではかなりハードな人生を体験し、魂を鍛えなおさなければならないことになってしまうのである。

心して人生を誠実に、生きてほしいと願っている。

— posted by holy at 07:20 pm   pingTrackBack [0]

戦争断固反対!!

トランプ大統領が就任後初めての外遊で中東のある国から武器の受注を受けたと得意そうに話しているのを見たとき、この人の魂は、一体どこからこの地球に舞い降りてきたのだろうかと思った。 アメリカは、これまでにも増して、戦争を国の発展のために利用しようとしているのだということは、間違いなさそうです。

中東の国のどこの国であっても、武器を永遠に発注するわけにはいかないだろうと思うけれど、トランプの喜ぶさまは、武器を製造することが、アメリカの雇用を産み、国がそのことで潤うと契約を取り付けたことが嬉しくてたまらないようで誇らしいことのように、満面の笑みを浮かべていました。

果たしてアメリカの国民は、自国が製造した武器で他国で多くの人々が殺傷されるのを喜んでみていることに耐えられるでしょうか。 湾岸戦争の時は、実際には、核兵器を保持していないのに保持しているとして攻撃を仕掛け、一般の人も枯葉剤やミサイル攻撃によって尊い命を粉砕されました。 私たちは、まるで他人事のように、テレビで放映されるイラン対イラクの攻撃をまるでゲームのように見ていました。 アメリカの指導の下に始められた戦争でした。

アメリカは、自国の国土は傷めず、出兵した兵士たちが繰り広げる他国の土地での戦いを、当時アメリカ国民は、どのような想いでみていたのでしょうか。

今また北朝鮮をとことん追い込み、元首を暗殺作戦などという訓練を近海で繰り広げられたら、たとえ演習だと言われても、当人にしてみれば、気が気でなくなるのは当たり前で、何もしないで忍耐しろということの方が、無理があるものと思う。 アメリカは、果たして本当に平和を望んでいるのだろうかと、最近は疑問を持つようになった。 北朝鮮が、ミサイル攻撃を始めたなら、やはり周辺国家の中国、韓国、日本はまず最初に危険地域に入ってしまうことはだれの目にも明らかであろう。 同盟国なら正義でもない戦争にも加担しなければならないというのは、間違いではないか。間違っているなら間違いを諭して、回避する方法を提示するなど進言するべきなのではないだろうか。

湾岸戦争は、だれもアメリカの主張に異議を唱えないままで、大規模な戦争へと駆り出されてしまったのである。

しかし、それはアメリカの判断ミスだったことが後でわかった。

多くの命を失ったあの戦争に対して、責任をとれる人はいなかった。

人間としての尊厳を維持するためのDNAさえも破壊して、そののちに産まれた子供たちは、五体揃うどころか、何体も合体された姿で産まれてしまうという悲惨な出来事も起きた。 戦争は、人類が人類を憎み、殺し、自分さえ良ければという最悪な心の状態を維持し続けなければならない行為である。 人間が何のために生まれたかという意味とは、まったく相反する行為である。

憎むこと、殺すことを教育された魂は、簡単には魂の傷は癒されないのであり、憎しみを持ったまま、再生して、殺したくなる衝動を抑えることが大変難しい人生を生きなければならなくなります。

再生するときは、必ずしも前世の国に生まれ変わるとは、限りません。 例えば、アメリカ国民であった魂が、日本に生まれ変わることだってあります。 北朝鮮に生まれ変わることだってあります。

無差別殺人のようなことが、頻繁に起きている要因が、戦争による犠牲者であるということも、否定できません。

人類は、すべてどこの国の人たちであっても同胞です。

助け合わなければならないことになっているのですが、そのことを理解する人が少なすぎます。

現代では、親類であっても、他人のような付き合い方をする人たちが、日本でもかなり多くなっていると感じます。

私事ですが、私の親類たちは、子育てからお互いの子供たちのことを気使います。助け合います。

私も随分と親類の人たちのお世話で生かされてきました。感謝の思いは、きっと未来永劫、私の魂に刻まれていることでしょう。

そのような魂は、生まれ変わったとき、この人生で培われた感謝の思いで他者を助けようという思いが自然に湧いてくるのです。

できることなら、すべての人類が、憎む心や殺したくなる心を持たないで人生を生きていける社会であってほしいと願っています。

— posted by holy at 02:19 am   pingTrackBack [0]

この世に誕生した時、命の運命の全てが親の意思に委ねられます。

この世で人生を経験できるかどうかのすべてが、産み落とした瞬間の親の一存で決定されるということを今日、実感しました。

今朝のニュースで、若い女性が赤ちゃんを産み、遺棄し逮捕されたということでした。

大変ショックで、やりきれない思いです。

赤ちゃんの誕生がその母にとっては、とても困る出来事だったのでしょう。

しかし、その魂はきっと、この世に誕生しようと覚悟してきただろうと思います。

光を見た途端に暗闇の世界に落とされてしまった瞬間の驚きは、どれほどであったでしょうか。

私は今、この世で激しい世界の混乱についていろいろと意見を書いていたりしている。

自分の意思を世の中に伝えることもできる。

そのことをしたくても、やはり親がこの世に誕生させてくれなければ、何も始まらなかったのである。

厳しい人生の中にあっても、ほんわかとした時間を味わうこともできる。

生きていくことは結構大変だと感じる。

でもやはり、生きているから何かを体験できる。

親はすごい!

自分の事よりも先に子供を育てるということにむきになっている。

そうでなければ、かよわい赤ちゃん、すぐ死んでしまうのだから。

ありがとうございますと心から感謝します。

小学校の時、転校生になって、なんだかんだといじめにあったっこともある。

あの時は、そのことをだれにも話せなかった。

先生にも、親にも。なぜ話さなかったのだろうと思う。

廊下で何気なく立っている男の子の足が、通り過ぎる瞬間の私の足をすくう。

転ぶ私をみてケラケラ笑うその子の姿が、今は、お笑いのビートたけしの姿にだぶる。

ビートたけしには何も罪はないけれど、あの頃の心の傷が痛む。

単なる遊びやいたずらが、誰かの心を傷つけているということを、誰かが知っていて欲しいと思う。

お笑いでぶったり、突き飛ばしたりという行為に笑えない自分がいる。

みんなと友達でいたいと思うのは、誰でも一緒だと思うが、私は一人の時が一番好き。

そういう人は、多分、辛い思いをした経験をもっているのではないだろうか。

思い切って、誰かに話したら、チクったと言って、また誰かから非難される。

今の時代。

何かが違っていると思う。

そのような積み重ねの連続で、国会議事堂の塔のてっぺんまでもが、間違いだらけの積み木の塔に

なっているように感じる。

— posted by holy at 01:53 pm   pingTrackBack [0]

カルマについて〈霊界サロン〉

私たちの過去世の体験は、私たちの魂の記憶の中にしっかりと記録されているということをご存じでしょうか。

私たちは今回だけこの世に誕生したのではなく、過去に何度もこの世に生まれ、過ごした体験を持っているという事実を知識として認識することによって、現在自分の身の上に起きている出来事を、理論的に理解し、より高度な知識と納得のいく人生観を持つことができます。

人の感性は、まず認める行為から、作動を始めます。

頑なに否定していることに関しては、考えるという行為そのものを放棄してしまうからです。 興味を持つということから、新しい知識の収集は始まるのです。 人の脳は、そのようなものだということを認めるだけで、意識はその方向へと作動し、新しい知識に対して敏感に反応し始めます。

そのことをまず受け入れてください。

では、過去にこの世での体験があり、新しく生まれ変わった自分が今ここにいる。ということは、果たして自分は何を目的として再びここへ降り立つことを決めたのであろうか、と。 そのように考え始めたとき、既にあなたの魂は、過去世の記憶を呼び覚ます活動を始めているのです。

霊魂の記憶は、際限なくどんどん過去の記憶を遡り始めるのです。

そしてあなたの疑問に対していつ、どのような形であなたに答えを渡すべきか、あなたの現在の生活や考え方や、精神的な環境を瞬時に把握し、あなたが理解し易い形でメッセージをしてきます。 それがいつなのかは、あなたの心が許可した時です。 ですから、あなたが否定しているうちは、メッセージを届けにくい環境ということになります。 本来、人生について、魂はある程度のカリキュラムをもっています。

魂のカリキュラムを自分の肉体次元まで落として取り込む作業をしたなら、この人生で出会ういろいろな難題を貴重な経験として取り入れながら、確実に目的に向かって進んでいくのです。

しかし、残念ながら、私たちは弱い。すぐ迷ってしまったり、自分の人生は間違っているのではないかと疑問を持ったりしてしまいます。 だから、私たちは神様にお願いをしたくなります。 また、誰か先の読める人に聞いてみたくなったりします。 そのような時、あなたが自分の魂の存在を信じるなら、自分の魂に問いかけてみると良いのです。

そしてその瞬間から、あなたは本当のあなたと向き合うのです。

自問自答するということは、決して自分の都合の良いところへ答えを導くのではなく、心の奥深く立ち入り、自分の深層心理の中までも潜り込み答えを探すという行為に他なりません。 そのことを霊魂との対話という形に導いて行けたなら、そしてそこから答えを見つけることができたなら、あなたは、これから先に起きるどのような出来事に対しても、立ち向かう勇気を得ることができるでしょう。

なぜなら、それこそが、あなたの魂そのものからの答えだからです。

あなたが求めてきたことを実践する覚悟がより強くなれば、日々の生活での些細な事に惑わされることが極端に少なくなります。 覚醒した人間は、この世で人を殺めたり、人に悪さを画策したりということは、考えなくなります。 この地上界は、私たちにとっては、教室であり、舞台であり、自分以外の命にどのようにかかわれば良いのかの実践の場です。

人は決して復讐をするために生きてはいけないのです。

が、しかし、残念ながら人の魂は、この世での感情に引きずられ清算されない感情を魂次元で持ち越していることがよくあります。 その憎しみや悔しさを持ち越して生まれ変わってしまうことがカルマなのです。 自分が持ち越してきているカルマは、ほとんどの人が気づかないで過ごしています。 カルマに気が付かない人は、過去世でのカルマによって大変大事な時に間違った判断をしてしまうことがあります。 最も間違ってしまうことは、結婚の時です。 逢った瞬間にビビビッと来たという表現があります。 それは、過去世で何か、特別なご縁があったことに間違いありません。 しかし、必ずしも良いご縁だけとは限らないのです。最も酷い仕打ちをされたという時や、その逆で、ひどい仕打ちをした間柄という時にも

ビビビッと感じてしまうのです。

感覚的に鋭い人は、そのビビビッがどのようなことかを魂に瞬時に確認する作業が始まります。そして過去の記憶が蘇り判断の手助けをするのです。

悲しい出来事だったなら、二度と味わいたくないから回避するとか、それでもその償いのための人生を選ぶのかなど、覚悟を決めることもできるのです。

そのようなことで、過去世の存在を認め理解するということは、永遠の生命を生きるという上で、とてつもなく豊かな知識を身に付けるということに他なりません。

霊界の知識は、永遠の命の尊源を知り、この人生を覚悟をもって人として気高く生きるという意味で、大変貴重なことなのです。

人類は今最も危険で取り返しの付かない過ちを再び繰り返そうとしていますが、個人のカルマと同じように国家としてのカルマも存在するのです。

国家の命運が個人の性癖で決定されるようなことがあってはなりません。

指導者たちが、総合的に冷静な判断のできるブレーンを置いて決して判断を誤らないようにと懇願します。

— posted by holy at 11:51 pm   pingTrackBack [0]

<< 2017.9 >>
SMTWTFS
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
 
T: Y: ALL: Online:
ThemeSwitch
Created in 0.4110 sec.