戦争断固反対!!

トランプ大統領が就任後初めての外遊で中東のある国から武器の受注を受けたと得意そうに話しているのを見たとき、この人の魂は、一体どこからこの地球に舞い降りてきたのだろうかと思った。 アメリカは、これまでにも増して、戦争を国の発展のために利用しようとしているのだということは、間違いなさそうです。

中東の国のどこの国であっても、武器を永遠に発注するわけにはいかないだろうと思うけれど、トランプの喜ぶさまは、武器を製造することが、アメリカの雇用を産み、国がそのことで潤うと契約を取り付けたことが嬉しくてたまらないようで誇らしいことのように、満面の笑みを浮かべていました。

果たしてアメリカの国民は、自国が製造した武器で他国で多くの人々が殺傷されるのを喜んでみていることに耐えられるでしょうか。 湾岸戦争の時は、実際には、核兵器を保持していないのに保持しているとして攻撃を仕掛け、一般の人も枯葉剤やミサイル攻撃によって尊い命を粉砕されました。 私たちは、まるで他人事のように、テレビで放映されるイラン対イラクの攻撃をまるでゲームのように見ていました。 アメリカの指導の下に始められた戦争でした。

アメリカは、自国の国土は傷めず、出兵した兵士たちが繰り広げる他国の土地での戦いを、当時アメリカ国民は、どのような想いでみていたのでしょうか。

今また北朝鮮をとことん追い込み、元首を暗殺作戦などという訓練を近海で繰り広げられたら、たとえ演習だと言われても、当人にしてみれば、気が気でなくなるのは当たり前で、何もしないで忍耐しろということの方が、無理があるものと思う。 アメリカは、果たして本当に平和を望んでいるのだろうかと、最近は疑問を持つようになった。 北朝鮮が、ミサイル攻撃を始めたなら、やはり周辺国家の中国、韓国、日本はまず最初に危険地域に入ってしまうことはだれの目にも明らかであろう。 同盟国なら正義でもない戦争にも加担しなければならないというのは、間違いではないか。間違っているなら間違いを諭して、回避する方法を提示するなど進言するべきなのではないだろうか。

湾岸戦争は、だれもアメリカの主張に異議を唱えないままで、大規模な戦争へと駆り出されてしまったのである。

しかし、それはアメリカの判断ミスだったことが後でわかった。

多くの命を失ったあの戦争に対して、責任をとれる人はいなかった。

人間としての尊厳を維持するためのDNAさえも破壊して、そののちに産まれた子供たちは、五体揃うどころか、何体も合体された姿で産まれてしまうという悲惨な出来事も起きた。 戦争は、人類が人類を憎み、殺し、自分さえ良ければという最悪な心の状態を維持し続けなければならない行為である。 人間が何のために生まれたかという意味とは、まったく相反する行為である。

憎むこと、殺すことを教育された魂は、簡単には魂の傷は癒されないのであり、憎しみを持ったまま、再生して、殺したくなる衝動を抑えることが大変難しい人生を生きなければならなくなります。

再生するときは、必ずしも前世の国に生まれ変わるとは、限りません。 例えば、アメリカ国民であった魂が、日本に生まれ変わることだってあります。 北朝鮮に生まれ変わることだってあります。

無差別殺人のようなことが、頻繁に起きている要因が、戦争による犠牲者であるということも、否定できません。

人類は、すべてどこの国の人たちであっても同胞です。

助け合わなければならないことになっているのですが、そのことを理解する人が少なすぎます。

現代では、親類であっても、他人のような付き合い方をする人たちが、日本でもかなり多くなっていると感じます。

私事ですが、私の親類たちは、子育てからお互いの子供たちのことを気使います。助け合います。

私も随分と親類の人たちのお世話で生かされてきました。感謝の思いは、きっと未来永劫、私の魂に刻まれていることでしょう。

そのような魂は、生まれ変わったとき、この人生で培われた感謝の思いで他者を助けようという思いが自然に湧いてくるのです。

できることなら、すべての人類が、憎む心や殺したくなる心を持たないで人生を生きていける社会であってほしいと願っています。

— posted by holy at 02:19 am   pingTrackBack [0]

この世に誕生した時、命の運命の全てが親の意思に委ねられます。

この世で人生を経験できるかどうかのすべてが、産み落とした瞬間の親の一存で決定されるということを今日、実感しました。

今朝のニュースで、若い女性が赤ちゃんを産み、遺棄し逮捕されたということでした。

大変ショックで、やりきれない思いです。

赤ちゃんの誕生がその母にとっては、とても困る出来事だったのでしょう。

しかし、その魂はきっと、この世に誕生しようと覚悟してきただろうと思います。

光を見た途端に暗闇の世界に落とされてしまった瞬間の驚きは、どれほどであったでしょうか。

私は今、この世で激しい世界の混乱についていろいろと意見を書いていたりしている。

自分の意思を世の中に伝えることもできる。

そのことをしたくても、やはり親がこの世に誕生させてくれなければ、何も始まらなかったのである。

厳しい人生の中にあっても、ほんわかとした時間を味わうこともできる。

生きていくことは結構大変だと感じる。

でもやはり、生きているから何かを体験できる。

親はすごい!

自分の事よりも先に子供を育てるということにむきになっている。

そうでなければ、かよわい赤ちゃん、すぐ死んでしまうのだから。

ありがとうございますと心から感謝します。

小学校の時、転校生になって、なんだかんだといじめにあったっこともある。

あの時は、そのことをだれにも話せなかった。

先生にも、親にも。なぜ話さなかったのだろうと思う。

廊下で何気なく立っている男の子の足が、通り過ぎる瞬間の私の足をすくう。

転ぶ私をみてケラケラ笑うその子の姿が、今は、お笑いのビートたけしの姿にだぶる。

ビートたけしには何も罪はないけれど、あの頃の心の傷が痛む。

単なる遊びやいたずらが、誰かの心を傷つけているということを、誰かが知っていて欲しいと思う。

お笑いでぶったり、突き飛ばしたりという行為に笑えない自分がいる。

みんなと友達でいたいと思うのは、誰でも一緒だと思うが、私は一人の時が一番好き。

そういう人は、多分、辛い思いをした経験をもっているのではないだろうか。

思い切って、誰かに話したら、チクったと言って、また誰かから非難される。

今の時代。

何かが違っていると思う。

そのような積み重ねの連続で、国会議事堂の塔のてっぺんまでもが、間違いだらけの積み木の塔に

なっているように感じる。

— posted by holy at 01:53 pm   pingTrackBack [0]

カルマについて〈霊界サロン〉

私たちの過去世の体験は、私たちの魂の記憶の中にしっかりと記録されているということをご存じでしょうか。

私たちは今回だけこの世に誕生したのではなく、過去に何度もこの世に生まれ、過ごした体験を持っているという事実を知識として認識することによって、現在自分の身の上に起きている出来事を、理論的に理解し、より高度な知識と納得のいく人生観を持つことができます。

人の感性は、まず認める行為から、作動を始めます。

頑なに否定していることに関しては、考えるという行為そのものを放棄してしまうからです。 興味を持つということから、新しい知識の収集は始まるのです。 人の脳は、そのようなものだということを認めるだけで、意識はその方向へと作動し、新しい知識に対して敏感に反応し始めます。

そのことをまず受け入れてください。

では、過去にこの世での体験があり、新しく生まれ変わった自分が今ここにいる。ということは、果たして自分は何を目的として再びここへ降り立つことを決めたのであろうか、と。 そのように考え始めたとき、既にあなたの魂は、過去世の記憶を呼び覚ます活動を始めているのです。

霊魂の記憶は、際限なくどんどん過去の記憶を遡り始めるのです。

そしてあなたの疑問に対していつ、どのような形であなたに答えを渡すべきか、あなたの現在の生活や考え方や、精神的な環境を瞬時に把握し、あなたが理解し易い形でメッセージをしてきます。 それがいつなのかは、あなたの心が許可した時です。 ですから、あなたが否定しているうちは、メッセージを届けにくい環境ということになります。 本来、人生について、魂はある程度のカリキュラムをもっています。

魂のカリキュラムを自分の肉体次元まで落として取り込む作業をしたなら、この人生で出会ういろいろな難題を貴重な経験として取り入れながら、確実に目的に向かって進んでいくのです。

しかし、残念ながら、私たちは弱い。すぐ迷ってしまったり、自分の人生は間違っているのではないかと疑問を持ったりしてしまいます。 だから、私たちは神様にお願いをしたくなります。 また、誰か先の読める人に聞いてみたくなったりします。 そのような時、あなたが自分の魂の存在を信じるなら、自分の魂に問いかけてみると良いのです。

そしてその瞬間から、あなたは本当のあなたと向き合うのです。

自問自答するということは、決して自分の都合の良いところへ答えを導くのではなく、心の奥深く立ち入り、自分の深層心理の中までも潜り込み答えを探すという行為に他なりません。 そのことを霊魂との対話という形に導いて行けたなら、そしてそこから答えを見つけることができたなら、あなたは、これから先に起きるどのような出来事に対しても、立ち向かう勇気を得ることができるでしょう。

なぜなら、それこそが、あなたの魂そのものからの答えだからです。

あなたが求めてきたことを実践する覚悟がより強くなれば、日々の生活での些細な事に惑わされることが極端に少なくなります。 覚醒した人間は、この世で人を殺めたり、人に悪さを画策したりということは、考えなくなります。 この地上界は、私たちにとっては、教室であり、舞台であり、自分以外の命にどのようにかかわれば良いのかの実践の場です。

人は決して復讐をするために生きてはいけないのです。

が、しかし、残念ながら人の魂は、この世での感情に引きずられ清算されない感情を魂次元で持ち越していることがよくあります。 その憎しみや悔しさを持ち越して生まれ変わってしまうことがカルマなのです。 自分が持ち越してきているカルマは、ほとんどの人が気づかないで過ごしています。 カルマに気が付かない人は、過去世でのカルマによって大変大事な時に間違った判断をしてしまうことがあります。 最も間違ってしまうことは、結婚の時です。 逢った瞬間にビビビッと来たという表現があります。 それは、過去世で何か、特別なご縁があったことに間違いありません。 しかし、必ずしも良いご縁だけとは限らないのです。最も酷い仕打ちをされたという時や、その逆で、ひどい仕打ちをした間柄という時にも

ビビビッと感じてしまうのです。

感覚的に鋭い人は、そのビビビッがどのようなことかを魂に瞬時に確認する作業が始まります。そして過去の記憶が蘇り判断の手助けをするのです。

悲しい出来事だったなら、二度と味わいたくないから回避するとか、それでもその償いのための人生を選ぶのかなど、覚悟を決めることもできるのです。

そのようなことで、過去世の存在を認め理解するということは、永遠の生命を生きるという上で、とてつもなく豊かな知識を身に付けるということに他なりません。

霊界の知識は、永遠の命の尊源を知り、この人生を覚悟をもって人として気高く生きるという意味で、大変貴重なことなのです。

人類は今最も危険で取り返しの付かない過ちを再び繰り返そうとしていますが、個人のカルマと同じように国家としてのカルマも存在するのです。

国家の命運が個人の性癖で決定されるようなことがあってはなりません。

指導者たちが、総合的に冷静な判断のできるブレーンを置いて決して判断を誤らないようにと懇願します。

— posted by holy at 11:51 pm   pingTrackBack [0]

霊界サロン< 霊性を高める>

私たち人間は、死んでから幽霊になるのではない?

実は人間は、生きているときでも幽霊になるのである。

え???

生きている人が幽霊になると、生霊が来た〜と言いますよね。

生きているのになぜ?霊という文字がついているのでしょうか。

それは、生きているときから人間は、霊体と肉体が合体していて、細胞にも神経にも

霊魂というものが入り込んでいるのです。

人間は、肉体が維持できなくなる寸前まで、霊魂が肉体の中に宿り、肉体と同じように

活動しているのです。

死ぬ直前まで、肉体の中から脱出したり、戻ってきたりしているのですが、

肉眼ではその状態を確認できないため、元気な時は、霊などという言葉を使う必要が

ほとんどありません。

しかし霊体は、生きているときから、人間の肉体と合体して存在するために、肉体次元の

意識や行動に左右され、霊魂の宿主の性質と同じようにその霊格を形成していきます。

憎しみや恨み、欲望、その他諸々の人間の感情や情緒的な営みは、徐々に霊魂としての性質を

形成していく要素になるのです。

人間にとって自殺してはいけないという意味は、霊魂の性質を形成している途中で、命を絶った時、

最後の時に抱いていた想念が、死後、どのような霊性の世界へ逝くかを一時的にも決定してしまうからです。

一時的と書いたけれど、時空の果ての世界では、時間の感覚がとてつもなく長く、この世での時間とは

比較できないのです。

辛い思いのまま命が終わってしまうと、光の届かない闇の中で、その辛いという思いが何十年、何百年と続き、

孤独感に苛まされてしまいます。

それはとても辛い長い長い修行です。

この世での修業は、本人が止めたいなと思えば、止める選択も叶います。

が、死後の世界では、この世での修業に見合った分の力でしか対応できないのです。

だから、死後の世界で精霊となり光の中で過ごすために、辛いときには忍耐力が付くからと頑張り、

気の毒な人がいれば、手を貸してあげてきっとまた良いときもあるよと励ましてやり、あらゆる知恵を出して

この世を明るく過ごせるようにと、みんなが頑張っているのです。

人を殺してはいけないというのだから、何があってもどんな理由でも、殺してはいけないのですよ。

弱い動物たちの命も殺してはいけないのですよ。

残忍な行為をするときは、心が、残忍な想いをもったエーテル体を形成し、自分の肉体の中を駆け巡ります。

そして自分のオーラを汚してしまいます。

オーラがきれいな人は、明るく透明か、あるいは白です。

それ以上に神意識に近づいた意識の人は、明るい金色の光を放っています。

そのような人は、慈悲深くもあり、必要な時は、鬼のように厳しくもあり、正しい導きのためには、決して

甘えを許さないので、時には非常に冷酷な人だと誤解されますが、自分の利得よりも他者の導きを優先する

存在なのです。

修業半ばの人たちは、赤から黄色、緑などその魂の成長段階で様々です。

基本的な魂の価値観を知れば、この世で何が大事であり、何をしてはいけないかということは、ごく自然に

理解できます。

いい大人が、他国の人々を殺戮したり、脅迫したりすることに対して、あげ連ねる理由があるでしょうか。

スピチュアリズムの基本的な考え方が理解できれば、人殺しなんて恐ろしい行為は、たとえ自分が死んでも

できない行為です。

戦争は人殺しです。

どのような申し開きも存在しません。

愛が世界の人々の心に宿り、みんなが笑顔を取り戻せますようにと祈ります。

— posted by holy at 12:23 am   pingTrackBack [0]

世界の指導者たちへのお願い

アメリカのトランプ大統領はシリアの攻撃をアメリカ議会で審議したのだろうか

トランプ大統領が、米中会食の最中に、シリアにミサイルを59発も発砲し、うち28発が着弾したと発表した。

どこの国にも、きっと寝耳に水という状況だったのではないかと思う。

中国が何もしないなら、アメリカは単独で攻撃するという選択肢は、同盟国間のルールを無視した独断で、アメリカはどこの国にも指図は受けない、やりたいようにやるという意志表示を世界中に宣言したのではないだろうか。

これでは、中国も食事が喉を通らなかっただろうと思う。

中国にとっては、対北朝鮮問題で、アメリカの要求にイエスと言えないでいる最中の出来事。憮然とした顔で、シリアに対してミサイル攻撃を仕掛け、言うことを聞かないなら北朝鮮に対しても同じことをするよと、恐喝したと考えられる。

日本国民は、アジアの中で未来永劫、粛々と人生を継続していかなければならない。

第2次世界大戦で、連合国軍に追い込まれ、広島、長崎に原子爆弾を投下され、民間の人々が投下年度末までには、約40万人が死亡したとされている。

その後継続的に、被爆者たちは、苦しみながらの人生を強制され、死亡していったという。

昨年、『原爆投下は、悲惨な戦争を早期に終わらせるために必要だった』ということを話していた当時、原爆投下を実践した当人たちの言葉を、どれほど無念な思いで見たことか。

今回、トランプ大統領が、シリアに対して行った攻撃は、一体だれを標的にしてミサイルを59発も打ち込んだのか。

理由は、シリアに対してロシアが科学兵器攻撃をした事が許せないというものであった。

爆撃することで化学兵器を二度と使用できなくするものだと。

どのような理由があっても、現段階でのトランプ大統領の行為は、世界から非難されるべきことと、判断されるべきことであり、安倍総理がその判断に対して『支持します』と述べたことは、日本に対して原爆投下した行為は戦争を早期に終わらせるために必要だったと言った米国の言葉を容認するものと受け止められはしないか。

化学兵器を使うことも、ミサイルを使用することもどのような理由があろうと、その行為は、『殺人』行為であり、しかも、化学兵器や爆撃用の火薬などの収納庫を破壊したことで、周辺の地域に影響が無かったと断言できるであろうか。

自国の利益にならないからと言って、独断でいきなり他国を襲撃するといった行動をするトランプ大統領は、世界にとって大変危険な性質を持つ人物だろうと思える。

たとえ、同盟国であったとしても非難すべきことは非難し、修正できる力を各国が同等にもってこそ、健全な同盟関係といえるだろうと思う。

日本国中に米国の兵士を配置している日本の現状は、同等なという言葉は、もはや死後に近いが、友好国としてお互いの国民の信頼関係だけで、お互いの国を攻撃しないという暗黙の約束が維持されているといっても過言ではない。

しかし、国民同士が有効な関係を維持していても、現トランプ大統領の下では、したくないケンカを強制されそうな危うさを感じるのは、決して私一人ではないと断言できる。

人類の意識が向上していくと、戦争とか他者のものを略奪するとかが、どれほど空しく意味のないことかということを理解しているから、スピリチュアルな意識の向上した人々がより多く存在する国家では、たとえ大統領が戦争をしたくても、自国民が立ち上がり、その行為を阻止する大きな力となるのである。

北朝鮮に対して、世界中でタックルを組んで、いじめをしているように映るのだが、果たしてこれは、私の幻覚だろうか。

戦争で、自国のため込んだ武器を吐き出さなければならない国家も存在し、他国の揚げ足を取ろうと企むこともあるだろう。

北朝鮮は、日本のことを好意的にみている部分もあるように感じているので、何となく味方をしてあげたくなっている。

が、ミサイルを使って、自国の強さをアピールする行為は、良策とは言えないということを理解して欲しい。

微妙な調整を間違えれば、日本にミサイルを撃ち込んでしまうこともありうるので、嫌でも対応しなければならなくなるのと、北朝鮮にダメージを与えたい国家にとっては、格好の餌と理由を与えてしまうということを、決して忘れないで欲しいと切望する。

人類は、進化しなければならないときに、他に知恵を持たない、武力で他国を制する行為に疑問を持たない指導者は、その立場から手を引くべきであるということを断言する。

— posted by holy at 10:42 pm   pingTrackBack [0]

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