2.守護霊研究のはじまりは
日本では、守護霊についていつ頃から研究されているのですか?
日本おいては、東京心霊科学協会(1929年設立)を作った浅野和三郎氏が数多
くの交霊会の経験から、
守護霊の存在、そしてその重要性を初めて説かれ、その後、
多くの霊能者によって同じことが主張されている。
浅野氏は、「守護霊は、死後300〜700年経って高く向上した祖先霊のなかから選ばれて守護の任務を与えられた霊で、
一人に一柱に限られていてその人の地上生活中、その任務につく」と言われてい
る。
そして「人間は心を浄め、守護霊からその導きを受けやすいようにするのが大切
である」という。
まったく私も、浅野氏のおっしゃっていることに同感である。
ここで、浅野和三郎氏について、少し記しておこう。
茨域県の医師の三男に生まれた(1874年)浅野氏は、長じて東京帝国大学(現・東
京大学)の英文科に入学。
英文料の講師だったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に私淑 した。
大学卒業後は東京高等商業学校(現・一橋大学)の英語教師になったが、
一年で同 校を辞して、横須賀の海軍機関学校の英語担当の教官になり、
そのかたわら、英文学、 英語学に関する業績を数多く残している。
浅野氏が、心霊科学の研究に入ったきっかけは、1915年末に大本教の伝道にふれ
たことからである。
そして、後に大本教教祖になった出口王仁三郎氏が横須賀の浅野 邸に滞在した折、
〃鎮魂帰神〃の行法を出口氏から指導されるにおよぴ、
浅野氏は英文学や英語学を捨てて大本教の幹部になるために、その官を辞した。
そして1923年6月、念写研究の第一人者だった福来友吉博士など20数名の人々と、
心霊料学研究会を東京・本郷の中村岩太郎氏邸で発会し、雑誌『心霊界』を発刊するなど、
その活動が拡大し、1925年、機浜市鶴見の自宅を心霊科学協会の本拠として、
使命感をもって活発な行動をスタートした。
1929年、その研究を広めるため、浅野氏は活動の拠点を心霊科学研究から、
よりアカデミックなものとするために「東京心霊科学協会」を設立し、世間にアピールした。
日本における守護霊研究の礎となったのが浅野和三郎氏なのである。