5.死の瞬間に自覚はあるか?
人間は死ぬ直前「ああ自分は死ぬのだな」と意識しながら死ぬのでしょうか。
それとも、知らないうちに死んでいるのでしょうか。
『死ぬ瞬間』(読売新聞社刊、川口正吉訳)の著者で、
元シカゴ大学精神医学部助教授・医学博士のE・キューブラー・ロス女史は、
200人以上もの臨死患者(ガン、白血病)などとのインタビューから、
自分の死期を悟った人間が引き起こす反応とその後の過程を五つの段階に分けて説明している。
▼第一段階「否認」
自分が間もなく死ぬという衝撃的なニュースを聞かされると、患者は「否認」によって崩れようとする自らを取りまとめようとする。
▼第二段階「怒り」
否認という第一段階がもはや維持できなくなると、怒り、憤り、羨望、恨みなどの諸感情がこれにとって代わる。
▼第三段階「取り引き」
患者は過去の経験からして、よい振舞をすればそれだけの報奨があり、特別サービスへの願望がかなえてもらえる、
かすかなチャンスがあることを知っている。
〃特別サービスへの願望〃とは、神とのなんらかの「取り引き」であり、
もしかすると、この悲しい不可避の出来事をもう少し先へ延ばせるかもしれない、という〃建命の願望〃である。
あるいは、それは無理としても、痛みと肉体的不快のない日があと幾日か欲しいという願望である。
▼第四段階「抑鬱」(嘆きと悲しみ)
これには二つの型がある。第一の抑鬱(よくうつ)は〃反応抑鬱〃と呼ばれるもので、
大きなものを失くしたという喪失感である。
そして第二の抑鬱は〃準備抑鬱〃と呼ばれ、この世との訣別を覚悟するために経験しなければならない
準備的悲嘆(Preparatory grief)であるとされる。
いずれも、鬱状態の中で、嘆きと悲しみの底に沈んでしまう段階である。
▼第五段階「受容」
患者は、自分の〃運命〃について抑鬱も怒りも覚えないある段階に達する。
ほとんどの感情がなくなり、患者自身の関心の環も縮まって、そっとひとりっきりにされたいと望む。
以上、かいつまんで紹介したように、人間は自分の死期を悟ったときから、
怒り、嘆き、絶望……ありとあらゆる人間的な感情を露呈して、
〃生への執着〃と猛烈な闘いをするわけである。
一般に死の苦しみといわれるのは、まさにこの〃生への執着〃との闘いにあるわけで、
肉体的な苦痛などは、これに比べると大したものではないようだ。
やがて、医学的な死の瞬間が訪れると、〃幽体離脱〃が行なわれ、
次いで不透明なトンネル状のところをぐんぐん上昇していく。
その間、耳障りな不快音が鳴り渡っている。
このことは、〃近似死体験者〃が一様に語っている事実である。
しかし、死とは、夢から覚めないことだ。
夢の世界にはいつの間にか入ってしまい、覚めて初めて夢だと分かる。
死とは、夢から覚めない状態なので、殆どの者が、
『死の自覚』を持たずに、向こうへ帰ってしまう。
ただ、死にゆく者は肉体的苦痛が最高潮に達した時に
「ああこれが〃死〃か」と勝手に思っているだけなのである。