23.お彼岸、お盆の意味は?

   春・秋のお彼岸、お盆などには、日頃、仏事に縁のない人でも墓参りをしますが、
   どういう理由があるのでしょうか。
   この期間の墓参りは特に仏の供養になるのですか。

○春の彼岸=春分の前後7日間。春の彼岸の入りは3月18日ごろ。
 秋の彼岸=秋分の前後7日間。秋の彼岸の入りは9月21日ごろ。
 春・秋のその時期にお寺で「彼岸会(え)」の法要を行なったり、墓参りをしたりする。

○お盆(うら盆)=旧の7月14日から3日間、霊を迎え、また墓参りをして祖先を祭る行事。
(うら盆会)は、旧の7月15日に仏教寺院でいとなまれる。

お盆という言葉は、〃盂蘭盆会(うらぼんえ)〃(ウラバソナ)という語から発したものと言われる。
その起源にまつわる物語がある。
法典に書かれているので、まず紹介してみよう。

──お釈迦さまの十代弟子のひとり、目蓮尊者は、
ある時、自分の死んだ母親が死後の世界でどうしているのか知りたいと考えて、
霊視(神通力)によって輪廻の世界を眺めてみると、餓鬼道に堕ちて、もがき苦しんでいることが判った。
 そこで、お釈迦さまに母親を救う方法を尋ねると、
彼の母親が今、餓鬼道に堕ちて苦しんでいるのは、生前、物を惜しみ他の人々に与えなかったからだという。
 しかし、それもわが子可愛さからしたことであるから、
彼が母親のかわりに人びとに施しをするならば、その功徳によって母親は救われる、という。
 それを聞いて、目蓮はさっそく僧たちの夏の間の修行期間が終る7月15日に、
他の僧や多くの人びとに食料や衣料など、できる限りの施しを行なった。
 すると、あれほど餓鬼道で苦しんでいた母親は、たちどころに極楽へ渡り、
蓮のほとりでにこにこ笑いながら仏の教えに耳を傾けている姿が見えてきた……。
 そして、目蓮の母親が餓鬼道で受けたこの苦しみを、
梵語でウラパソナといい、漢字に音写したものが盂蘭盆であり、
その最後の字の「盆」に〃お〃という敬称を付けたのが「お盆」であると説明付けられている。
 他にも諸説あり、ウラパソナといって〃救済〃を意味する梵語の音写が「盂蘭盆」であるというものや、
イラン語のウラバン、つまり〃霊魂〃を意味する語の音写という解釈もあるようだ。

 いずれにしても、お盆は死んだ先祖たちが死後の世界において、
苦しみから救われるように、という子孫たちの願い、
つまり祖先儀礼から始まった年中行事なのである。
 お彼岸についての詳しい起源は割愛するが、
ほぼ同様の願いに基づくものと考えて差しつかえないだろう。
 ことさら春分・秋分の時期が選ばれたのは、花咲く春、新酒、収穫の秋などその期間が、
農耕民にとって重要な季節の変わり目(節目)に当たるからのようである。

 以上のように、春・秋のお彼岸とかお盆に墓参りや仏事(彼岸会、うら盆会)などを行なうのは、
古くからの民間信仰に、仏教の教義が結びついた行事であるから、
霊界の視点から見た場合には、特別の意味があるものではない。
 従って、この時期の墓参りが祖先霊に対し、特に〃供養〃となるということもあり得ないわけである。
 ただ、日頃仏事に縁の薄い人びとに対して、祖先の存在を再認識させ、
自らの死後についての心構えや日頃の生き方の反省を促す意味において、
その価値もあるということだろう。
とかく煩多な日常生活に追われがちなわれわれ現代人にとって、
お彼岸やお盆はこれらの要事を顧みる、せめてもの機会といえるわけだ。
 毎日毎日、祖先霊に対して感謝している者にとっては特別な意味は全くない。
 霊界をよく知る皆さんは、もっと自由な形式でお盆などを迎えたらいいだろう。
楽しくはしゃいだ時を過ごせばいいのだ。

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