22.死者追善の儀式の意味は?
「お通夜」「初七日」「四十九日」「百箇日」などにはどのような意味があるのでしょうか。
また、7、49、100という日にちにも何か意味がありますか。
まず、「お通夜」だが、これは文字通り、夜通し死者のそばにいることで、
元来は、生前その死者と最も近い関係にあった者が
最後の別れを惜しんで同じ部屋で添い寝することであった。
それが現在のような形に儀式化したもの、といわれている。
また、周知のように「初七日」は、死んだ日を含めて七日目に行なう法要であり、
「四十九日」や「百箇日」などもそれぞれ四十九日目、百日目に行なう儀式である。
こうした法事は、その多くが仏教に基づいたものであり、
〃死者儀礼〃であるわけで、現在ではまったく儀式化している。
元々はそれ相応の恨拠があったというが、心霊的な意味においては、
その根拠は、見い出す事は出来ない。
しかし、一説にはこんなことを言う研究者もいる。
「百箇日」というのは、元来は中国における習慣で、
死後百日目に、死者の魂が肉体を離れると信じられていたことに由来するという。
これは、現在のような火葬ではなく、土葬であったため、死後百日目くらいに肉体は、
腐って白骨化するところから考えられたものといわれる。
同様に「初七日」や「四十九日」についても、その起源を辿れば、
何らかの理由付けができるようだ。
しかし、それをいちいち詳らかにしてみたところで、大した意味はない。
というのも、これらはあくまでも残された人間たちにとってのみ意味のあることで、
必ずしも霊界のシステムにのっとっていることではない。
死を悼み、畏れ、死者との別れを惜しむ遺族たちの表現形式としては、
むろん価値のあることだが、死者の魂にとって、特別の意味を持つことにはならない。
つまり、「お通夜」「初七日」「四十九日」「百箇日」を行なったからといって、
霊魂を救済したり、特別の供養になるとはいえないのだ。
従って、七、四十九、百という日にちも心霊学上からとりたてて意味はない。